15人生の岐路 / 無駄な時間ばかり

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二条城ライトアップのおかげで、二年生の滑り出しは順調だった。

大学二年生の大きな軸としては、
①ゼミでの映画制作
②美大日記
③京都学生祭典やアルバイト である。

順番が前後してしまうが、②→③→①の順で話を進めていこうと思う。

まず、② 美大日記である。

美大日記ってなに?
具体的に説明すると、全国の美大生が日々の生活をつらつらと綴るものです。
美大はつながるのだ!をコンセプトに、ムサビの職員さんが美大日記を始められたのがきっかけである。姉妹サイトにはムサビ日記がある。
一様、各大学2名までという制限が設けられ、自分の大学枠は当時残り1人だった。
是非とも自分がやりたいと思って、学生広報スタッフでお世話になった職員さんに話をし、推薦して頂いたのだ。
ムサビの職員さんにも話が通り、無事に美大日記の一員となった。
☆この美大日記は2013年4月1日をもって休止になりました。理由は10年目を迎え、管理者であるムサビの職員さんが美大日記を始められた時に10年を目安にしていたからである。
ちなみに私はこの美大日記に、2010年4月〜2013年3月31日まで参加した。
美大日記を卒業すると同時に大学を卒業したので自分の中では良い節目だったと思う。
先に言っておくと、
美大日記によって全国の美大生と話せる機会に恵まれた。
自分にとって大きな一歩となり、また刺激を貰った。
ムサビの職員さんを始め、各美大関係者には感謝の気持ちでいっぱいである。
また世間を知った。
少しでも大人の目に引っかかる記事を書くとすぐに苦情の電話が入り、1年に一度は大学から呼び出しをされた。
大人ってめんどくさいなと思うほど、生意気な学生だった。
けれども、3年間続けられたのは文章が書くのが好き・人に発信するのが好きだったからだと思う。コメントやレスポンスがあるだけでテンションが上がった。ブログ上だけでなく、直接、会ったこともしばしば。今度、千葉の子と会う約束もある。まさに美大はつながるのだ、というコンセプトに当てはまっている。

③京都学生祭典とアルバイト

1.京都学生祭典

結果から言うと、途中でフェードアウトした。
2年生になると、刺激を得たく、学外の活動を積極的に行うようになった。
今思えば、大学内で十分刺激はあるのに…何故か当時は、他の大学との交流を行う意識が強かった。友達を作りたかったのだ。

京都学生祭典とは、「学生のまち」京都だからこそできる、学生プロデュースのお祭りです。大学生と産・学・公・地域が互いに連携して京都の魅力・学生の魅力を発信し、京都を盛り上げていきます。

私が活動をフェードアウトした理由…それは、コミュニケーションの壁だった。
初対面の挨拶で失敗したのだ。
美大生=フォトショ、イラレを完全に使えるという呈で質問をされ、全然扱えなかったけど恥をかけないと思って、多少扱えると背伸びをした。
すぐにパンフレットの制作物を任された。

ちんぷんかんぷんだったけど、今更できないと言えないため、嘘を突き通した。
けれども、苦しくなった。
自分の首を絞める結果となったのだ。
このまま自分がいても意味がないと気づき、潔く辞めた。
活動場所が遠かったり、祭典メンバーとの話が噛み合なかったり、一人だけ浮いていたのも確かだった。上手く呼吸をすることができない日々だったため、一刻も早く抜け出したかったのだ。
潔く辞めたのではない。メールで有りったけの言い訳をつけ「辞めます」と言った。もちろん嘘も含まれている。
特に誰も引き止めなかったし、やはり住む世界が違うのかなと悟った。
手元に残ったのは、後悔ではなく解放(開放)感だった。
やって良かったことももちろんある。ただ、すぐには出てこないのが事実である。
結局、それほど印象にはなかったのだ。

2.アルバイト

こちらもフェードアウトである。期間は3ヶ月。
理由は、仕事を全然覚えられないこと、そして高校生に顎で指示をされることだった。
アルバイト先は、京都の祇園にある旅館である。
何故そこでアルバイトをしたかと言うと京都らしいバイトをしたかったから。
それに観光客とふれあいたかったから。

ただ、アルバイトをしてすぐに心が折れた。
16時〜23時が基本で、料理の盛りつけに、配膳、敷布など、旅館でいう仲居の仕事をやった。もちろん部屋で食事を取られる場合はごはんを運んだし、片付けも行った。

私はとろかった。
料理の名前も全然覚えられないし、作法もダメ。力が無さすぎて料理を運ぶ際にお盆がぐらぐらする。
アルバイトの比率は高校生と大学生で構成されていたが、足を引っ張っていたのは明らかに私だった。
顔色を伺いながらいつも仕事をしていた。
見えないところでは手を抜いていた。
心に余裕がなかったのだ。シフトの確認の時にお休みがあるだけで嬉しかった。
そう、働く気やお金を稼ぐ気はなかった。
早くこのアルバイトから開放されたいとしか思っていなかったのだ。
だんだんと辞める方法を考えるようになった。
そのような時に、ゼミの制作が忙しくなり、アルバイト先には大学のことをお伝えしてだんだんとシフト日数が少なくなって行った。
有り難い口実だった。

二週間ほどアルバイト先に顔を出していない時、さすがに…と思った正社員のおばさんが電話をかけてきたので「忙しいんだよね?」「はい」「無理しなくていいんだよ」「辞めます」対話は終わった。
もう二度と、あの旅館に行かなくていいんだと思うと、鴨川を全速力で走った。
そのくらい待ち望んでいたことなのだ。
アルバイト先の旅館からしたら良い迷惑。
毎日入れますと気合い十分の学生を受け入れたものの、3ヶ月もしない間に辞める事態。
なんで雇ったんだろうと思われていたはずだ。

私はアルバイトから解放されたことで充実していった。
しかし、すぐにガタガタの道になり、何度も立ち止まることとなる。
そう、ゼミの制作により、喧嘩が勃発して嫌になる。
映画製作が大っ嫌いになる道を歩み始めたからである。
人生の選択肢って難しいな。

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16人生の岐路 / 映画製作が嫌いになったわけ

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