私が大企業での出世の道から下りた本当の理由 その2
17年前、総従業員数が20万人を超える大企業に、気合いと元気だけでなんとか就職。泥臭く仕事をしながら、同期のトップグループで課長まで昇進。
学生の頃の自分からは予想できない状況。
「俺、良くやってるよ、出来過ぎじゃん」と心の中でつぶやきが聞こえてくる。
ただ、それと同時に、
「このままでいいの?どうすんの俺?」という問いが波の様に繰り返されていました。
起業する訳でも、転職する訳でもなく、
絵に描いた様な模範的な社会人生活を送ってきていた。
辞めたいと思う様な出来事はあっても、本気で辞めようと思った事は一度も無い。
仕事も仲間も、築いてきたキャリアも、自分にはもったい無いぐらいよく出来ている。
また、それを手放す程、自分に余裕がある訳でもなく、別に熱くなれるものがある訳でもない。
これまでよくやってきた、出来過ぎ。というのが実感。
ただ・・
入社以来、求めてきて得られていないものが一つあり、
それをあきらめられないという思いがずっとあった。
得られていないものそれは、
「心の底から楽しい」という感覚。
近い感覚は知っている。
学生時代、中学・高校・大学と陸上競技に没頭。
ただ走るというシンプルさが好きで、
日々のトレーニングは苦しいが、とにかく心底楽しかった思い出。
テキトーに出来ない性分なので、
就職を機に、陸上競技からは離れた。
今度は仕事で心底楽しもうと!
それから17年。
未熟感や負けん気から始まり、
責任感や、達成感、充実感など、
仕事を通じて、いろんな感覚を得てきた。
が、テレビや雑誌に出ている人が、キラキラしながら
これをやるために生まれてきましたと言わんばかりの
楽しそうな状況や感覚を得た事は正直なところなかった。
俺には無理なのかな?
いや、何かを変えれば大丈夫。
心の中でそんなやり取りを繰り返しながら、
いろんな仕事にトライした。
・営業、開発、マーケティング、人事・・・
社外の活動も増やした。
・中小企業診断士、ビジネススクール、異業種交流・・・
器用ではないが、何でも一生懸命やってしまうので、結果はついてきた。
ただ、同時に何かが違うという認めがたい感覚だけはいつも残った。
結局、自分なりにいろいろやり尽くしたところで、八方ふさがりとなった。
自分の前には、すでに道が出来上がっていた。
今の会社で期待されている仕事がある⇒懸命にやる⇒結果を出す⇒評価を受ける
という道だ。
悪くない、というか、リーダーシップを発揮できるここからが本当に面白いところ。
ただ、何かが違う。
その何かはわからないが、違うことだけはわかる。
わがまま?甘え?妄想?現実逃避?
訳がわからなくなり、もう自分ではどうしようもないという段階まできたので、
・条件を外して(≒正直になること)
・メンターのサポートを受けながら
無意識に避けてきた本当の自分に向き合おうと思った。
一定のキャリアを積んだ30代で、ゼロベースで人生を考える事は恐怖に近い。
これまでの立場や収入、家族など守りたいものがある中で、
出てくるものによっては、すべてを捨てることになりかねないからだ。
人は、それが快くても不快でも、慣れ親しんだものを自然と守ろうとする。
ホメオスタシスという機能だ。
体温を一定に保とうとする様に、思考や行動習慣も変えない様に自然と機能する。
だからこそ、
自分では気付いていない、本当に大事なことに向き合おうとすれば、
無意識に自分の常識内で考えてしまわない様に、
・信頼できる第三者のサポートを入れつつ
・頭だけではなく、感覚を頼り
に進めていくことは有効だ。
体験からも、
自分にとって、本当に良いことは、頭でなく感覚が伝えてくれる、
というのが正解。
(良い話でも気が乗らない場合があるし、理由はわかんないがこれが良いというのもある)
私の場合は、
会社員気質を過度に採用しすぎていたせいか、
周り(会社や上司)の期待には何が何でも応えるというマイ・ルールが強すぎた。
結果、自分が望まないことでも期待されればやり、
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