ぶっ飛び?!エジプト人セキナさんとの思い出。

セキナさんとの思い出。

友人のFBフィードコメントでエジプシャン話が盛り上がり、久しぶりにセキナさんの事を思い出したので、せっかくなので書き留めておこうと思う。

プロローグ

私がM1の10月頃、エジプトの某大学のアブ・セキナ教授からうちの研究室にしばらく滞在したいとの申し出があり、教授になりたてだった我がY教授はあまり深く考えずに受け入れることにした。

副学長でもあるという事で、それなりの待遇をせねばという事になり、実験室などがある別棟の居室を確保し、わざわざPCを1台購入。万全のセッティング体制を整えた。M1だった私はお世話係を命じられた。

セキナさんが日本に到着し、学部生が空港まで迎えに行って研究室に到着した。セキナさんは軽く体重100kgは超える巨漢で、見た目はフィドラーのロビー・ラカトシュ(写真参照)のような愛くるしい?風貌で、口ひげが特徴的だった。ありきたりの表現だが、まだこの時はどんな嵐が待っているのか知る由もなかった。


無駄になったPC

まずは、準備した居室に連れて行った。しかし、普段人口密度が低い別棟で一人ぼっちの部屋はお気に召さなかったようで、結局この部屋もせっかく用意したPCも一度も使うことはなかった。そしてセキナさんは、学生部屋にある学部生が使う事が出来る唯一の共用PCを独占するようになった。しかし、「どけ」とも言えないので、しばらくの間皆ガマンすることになった。

セキナさんのITレベル

一日中共用PCの前に座ってうつらうつらする日が続いた。ある日、セキナさんに「Oppa!」(セキナさんは最後まで私の事をOppaと呼んだ)と呼ばれ行ってみると、なにやらパソコンの操作がわからないらしい。最初は何を言っているのかわからなかったが、どうやらクエスチョンマークの出し方がわからなかったようで、「Shiftを押せば・・・」と教えてあげると驚いた様子だった。これで一日悩んでいたのか。このパソコンの知識レベルのあまりの低さに愕然としつつ、そして作られた文章をプリントアウトしていたので読んでみると、アラーがどうとかで何が書いてあるのか分からなかった。そういえば、セキナさんのメールアドレスはyahoo.comだった。国立大学の副学長という人が、大学のアドレスがないというのはどういうことか。

セキナという名前

調べてみると、ちゃんとその大学は存在し、アボウ・セキナという名前もあった。しかし、自称していた副学長(vice president)ではなく、表現は忘れたがどうも理学部の副学部長に相当するポストのようだった。ちなみにセキナという名前は、現地の言葉で「ナイフ」の意味だとセキナさんは言っていたが、WikipediaによればSekinaとはコーランにも出てくるアラビア語で、「平和」とか「平穏」を意味するようだ。

(追記:シッキーナならナイフという意味があるらしい)

驚愕のテキスト

次第にどんな人かわかってきて、特に修論を控えるM2の先輩たちは全くセキナさんと関わらないように決め込んでいた。やることがないセキナさんは、せっかく日本に来たのだから講義がしたいと言う。Y教授にも許可をとったようだったので準備にとりかかった。どうやら講義用のテキストをコピー作っているらしかった。表紙と写真入りのプロフィールのついた結構なボリュームのある冊子のようになっていたが、中身を見て驚愕した。我々の分野なら誰でも一度は読んでいる(というか全員必須の入門書なので研究室には先輩のお古が何冊も転がっているので寧ろ買う必要がないくらい)キッテル固体物理学から、何章かをまるごとコピーし、章立てやページ番号だけ上から小さな紙を貼って付け替えて(それも向きはまっすぐではない)、最後に自分の論文が2、3本綴じられていた。こんなんで講義したら著作権違反で問題になってしまう。


悪夢の講義

講義の日程は決まっていたので仕方なくやることになった。しかし、外部の人間も呼んでは問題になる可能性があるので、あくまで研究室のメンバー内だけに声をかけた。講義が始まると、先生は黒板の左上の端におもむろに「H」と書いた。一体なんだろうと思っていると、今度は黒板の右上の端に「He」と書いた。「もしや・・・」と思うと悪いストレートな予感は的中し、「Li、Be、・・・B、C、N、O、F、Ne・・・」と続いた。そう、元素周期表を黒板に書き始めたようなのだ。これはどこまで続くんだろうと思っていると、BeとBの間を空けて書いていることから、どうやら4周期(4列目)以降も書くようだった(図参照)。しかし、手書きで周期表を4周期以上書く場合、Bなどの13族の位置は先に分からないので、先に4周期目を書いたあとに右側のBなどを書くのが普通だ。案の定、4周期目を書き始めると位置があわなくなってしまい、これまで書いてきた13族より右の元素は全部書き直しになった。結局20分くらいを費やしてランタノイドもアクチノイドも全て書ききり、臭素と水銀にチェックを入れて「この二つだけは常温で液体だ。インポータント!」と解説を加え。「ザッツ・オール。エニークエスチョン?」とセキナさん。我々→( ゚д゚)ポカーン。


次はない

セキナさんは、皆が唖然とした事にきがついていないのか、この講義をシリーズもので全部で5回くらいでやりたいと言い始めた。なんとか交渉してのこり4回をすべて凝縮して次の一回で終わらせてもらうことに。しかし、研究室のメンバーも誰も聞きにいくつもりの人がいない。仕方なく、半ば強制的に学部生を引き入れて二回目に臨んだ。内容はわすれてしまったが、セメントは社会にとって重要みたいな話だったと思う。その次はない。

セキナフィッティング

結局苦労してはり絵した著作権違反のコピペテキストは、学生を動員して何部も製本した割に講義では一度も使わなかった。付録についていたセキナさんの論文をみてみた。内容は忘れてしまったが、何枚か曲線が描かれたグラフが掲載されている(たしかメスバウアー効果かなにかだったと思う)。それらをよくみてみると、データ点が1つとか2つしかないのに、曲線をフィッティングしているという事がわかった。その後研究室では、乏しいデータ点で無理やり理論線を引くことを「セキナフィッティング」と呼ぶようになった。


共同研究

講義がもうできないと分かったのか、暇になったセキナさんは今度はOppaと共同研究をしようと言い出した。Y先生に聞くと、まあ1テーマぐらいやればという事になった。そしてY先生は中国へ一ヶ月の旅に出かけ、誰もセキナさんを止められる人がいなくなった。まずは実験設備が見たいというので案内した。MPMS(SQUID磁束計)がある部屋は、スリッパに履き替えて二階に階段で上がらなければならないが、セキナさんは普段どうしているのか、椅子がないと自力で靴を脱ぐことが出来ない。結局MPMSには二度近寄ることはなかった。

虚しい研究

研究テーマとして最初に先生が持ってきたのは、いかにも一流ジャーナルのような名前が付いているが若干タイトルが違う(確か"Physics Letters"とかそんな感じ。一方、この業界の一流ジャーナルとして"Physical Review Letter"がよく知られている)実は怪しいロシアのジャーナルに掲載された、「常温超伝導」の論文で、専門家が見ればすぐに捏造か誤報だとわかるものだった。しかしセキナさんは「捏造かどうかは検証実験しないとわからないだろう」と、強引に言うので、仕方なく再実験をやることに。リザルトは期待通りのノーリザルト。誤って摂取すると体臭が臭くなるセレンやテルルなどの16族元素を使ったリスキーな実験だったのに、虚しいことこの上なかった。ゼミで実験結果を発表した時、涙がでそうになった。


悪臭騒ぎ

私がいた化学教室では、研究の性質上、誤って有毒なガスが実験室から漏れてしまう事があり、そういう場合はサイレンが鳴って屋外退避の指示が出たり、注意喚起の放送が流れたりすることがある。ある日、「異臭の報告があるので、各実験室で調べるように」との放送が入った。うちの研究室でも異臭の原因を調べていると、どうやらエレベーターが臭くて通報されたらしい。しかし、うちの研究室のメンバーはそれに気が付かなかった。なぜなら、研究室は既にもっと臭かったからだ。セキナさんは、服を2着しか持っていなくて、普段は1着を毎日着ていたのでかなりボロボロでそしてとても臭かった。宿泊先は学生用のボロアパート(京大でボロアパートと言えばかなりのボロさ)だったので、お風呂もろくに入っていないらしい。さらにラマダン明けに色んなものを飲み食いして、体臭はさらに酷くなった。それが異臭騒ぎの原因だった。M2の先輩は臆する事なくタオルで頬かむりして、毎朝セキナさんの所に行ってファブリーズをふりかけるのが日課になっていた。異臭騒ぎがあったその日、私は事務所に行って代わりに謝罪した。もしやテルル中毒?あれ舐めちゃったの?

メガネの溶接

セキナさんはおしりがかなり大きいので、肘掛けのあるタイプの椅子には座れない。ある日、セキナさんは自分のメガネをいつも座っている丸椅子の上においたまま座ってしまったらしく、メガネのつるが一本折れてしまった。どうするのかなと思ったら、「Oppa、ハンダゴテ貸して」と言うので、出してあげたら案の定折れたメガネのつるをハンダ付けしようとしている。「いや、絶対無理だと思います」と言うのだが、まあ勝手にやってるので放っておいた。うまくいかないと分かると、今度はガスバーナーに火をつけろという。仕方なく、石英管などを真空引きして焼き切る時に使っているガスバーナーに火をつけてあげたら、メガネのつるをそのまま火で炙って溶接しようとしている。しかし、案の定樹脂に引火して炎上しはじめた・・・。結局針金で無理やり固定して、しばらくのあいだしのぐことになった。


鳩を獲ってこい

ある日、「Oppa、公園でハトをたくさん見かけた。今から獲ってきてくれないか」と言う。とってどうするのかと聞けば、食べるのだと言う。エジプトでは鳩料理はポピュラーなのかもしれないが、日本では平和の象徴だし、だいたいあんたのためにそんな事は出来ないと説得しても全然言うことを聞かない。こうして英語で喧嘩する事に次第に慣れていった。


原爆と軍事研究

ある日、「Oppa、キミはなぜ日本に原爆が落ちたか知っているか」と聞いてきた。「そりゃあ、アメリカにしてみれば、今後奪われる可能性のある自国民の命を守るために一気に終戦に持ち込むという言い訳をしつつ、ソ連との冷戦を見込んで新爆弾を見せつけつつ実験を行うためだった。でも、日本では主語なしで「過ちは繰返しませぬから」などと言われている」みたいな事を答えたら、「それは違う。アラーが落としたのだ。」とセキナさん。理屈を超越されるとなんか反論する気がしなくなる。

またある日、レーザーの研究をしようと言う。研究目的はなんだと聞くと、「日本の軍隊は弱い。レーザー兵器を開発する事は重要だ」と言う。日本物理学会は、唯一の規則があり、それは軍事研究は行わない事である。


畑と牛

散々言い争いをしたが、セキナさんは私の事を気に入っていたみたいで、私が避けて居室にいないようになると、会う人会う人を呼び止めては「Oppaはどこだ」と聞くので、私は色んな人に「なんかエジプト人の人が探してたよ」と毎日聞くようになった。ある日、セキナさんから、「Oppa、お前エジプトに来なさい。来たら畑と牛をあげるよ」と言う。私は出来るかぎりはっきりと意志を込めて「ノーサンキュー」と答えた。

放浪

ある日、勝手に研究室から出て行ってどこかお出かけしたご様子のセキナさん。すると研究室に工学部のある研究室から電話がかかってきて、訳がわからないエジプト人が急にやってきて、話がしたいと言っているのだが、なんとかしてくれないかという苦情だった。セキナさんは別の学部まで出かけて行って、勝手にアポ無し突撃をかけていたようだ。Y先生から、セキナさんがどこにもいかないように監視せよとの命令が下った。

携帯電話

日本滞在も残り少なくなってきて、家族へのおみやげを考え始めたセキナさん。すると、研究室の固定電話の子機に興味を持って、これは線がなくて凄い便利だと興奮している。当時既に学生も皆携帯を持っていたのだが・・・。というか、それ10mくらいしか電波届かないし、子機だけ持って行ってもエジプトでは使えませんから!残念!!


そして旅立ち

他にも数々の伝説を残し(但し滞在日数は1~2ヶ月)、ついに旅立ちの日がやってきたセキナさん。空港直通のMK乗合いタクシーを手配してあげて、アパートまで学生が見送りに行くことに。私は既に限界だったので、見送りには学部生に行ってもらう事にした。聞けば、セキナさんは信じられないくらい膨大な荷物をもっていたらしい。中には包んでいない巨大な置き時計や、金属バットもあったとか(直接みていないのでちょっと記憶があいまいだけど)。MKタクシーは、これは一人分の料金では乗せられないと言い、3シート分の料金を請求したが、セキナさんは頑として拒み、板挟みにあった学生はかなり苦労したらしい。セキナさんがいなくなったあと、研究室では実験道具の紛失が相次いだ。特に、ウン十万円するような備品も何点かなくなっていた。もしや・・・。

あとで聞いたことだが、セキナさんは以前にも日本に滞在して共同研究を行なっていた事があったようだが(論文の共著者に日本人の名前のあるものもあった)、そのグループの人に伺うと、相当ひどい目にあったそうだ。中国から帰って来て何も知らないY先生は、話を聞いて、これから先生を招聘する時は、相手がどんな人かちゃんと確かめてからにすると言っていた。

PTSD

それから私は、ちょっとしたPTSDを抱えるようになってしまった。セキナさんは、一着しかない上下紺色の服を毎日着ていたのだが、セキナさんが帰国した後のある雨の日、学生部屋のすりガラスの前に紺色の影が立ったのを見て、恐怖で手の震えが止まらなくなってしまった。結局それは、紺色の雨合羽を着た学部生がたまたまそこにたっていただけだったのだけれど。

アボウ年会

セキナさんが帰ったのが12月の下旬だったので、帰国後すぐに研究室の忘年会があった。その年は、研究室でスキー旅行に行ったり、夏には海水浴に行ったり、秋には化学教室・化学研究所合同野球大会で優勝したりと、色々なイベントがあったのだが、最後の1ヶ月ですべてが吹き飛んでしまい、皆セキナさんの事しか思い出せなくなっていた。そこで、この年の忘年会はアボウ・セキナさんの事を忘れるという意味で、「アボウ年会」と呼ばれた。

電話

セキナさんが去って一年くらいが経ち、皆少しわすれかけていた頃、秘書のSさんが慌てて廊下を飛び出してきて、「大場くん、じゃなかったOppaくん(←これはネタm(_ _)m)、セキナさんから電話よ!」と。私は電話を取ると、静かに通話ボタンを押して緑のランプが赤いランプに変わるのを確認すると、そのままそれを秘書の方に返した。それから二度と連絡があることはなかった。

エピローグ

セキナさんは今どうしているのだろう。今検索しても、どこかの組織に所属していることはないようで出てこない。ただ、たしかに存在はしていたようだ。最近同時のテキストや写真を発見した。なにもかもがなつかしい。


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