コンピューターのメンター、ミス アルフォードに出合った日を私は忘れない
アメリカの大学に入って一番困ったことは、コンピューター力のなさであった。ここの大学は(日本でもそうだと思うが)、今は授業だけではなく、宿題でも成績でもなんでも、コンピューターで管理される。そんなことも知らずに、その頃の私は勢いで大学に行こうと思っただけなので、イーメイルとインターネットしか知らないファイリングもできない状態だった。それで、あわててでコンピューターのクラスをとることになった。
クラスでは、見えやすいようにと一番前に座った。案の定、最初からみんなと同じ画面に進めない。焦れば焦るほど、変なところをクリックしてもとにもどれなくなってしまうのである。しょうがないので、他のクラスのように隣の人に助けてもらおうと思ってはなしかけたら、ミス アルフォードは、私に向かって大声でどなった。「そら、人に聞いてはいけません。」 えっそんなこと言われても、この画面を元に戻さないと、私は授業にならない。顔から汗が噴き出してきた焦れば焦るほど、変な画面にすすんでしまう。じゃあ、先生が教えてくれるのかと思って、待っていたけど、一向に助けてくれる風がない。周りのみんなはスクリーンを見てどんどん先に進んでいる。私は半べそ状態で、手を挙げて先生に助けをもとめた。でも彼女は私を無視した。
そんな状態の授業が何回か続いたころ、私は彼女のやり方に頭にきて彼女の授業をとることを辞めることを告げにいった。すると、彼女は、クールに行った。「コンピューターは自分で考えて、まず手を動かすこと、行動すること。まちがったら、またもどればいいことだから。自分自身を信じて決断していくことです。それができれなければ、コンピューターも自分の人生もマネージできません。」
ショックだったのは、彼女が正しかったからだ。私はこの何十年間も自分で考えて、決断することを避けて生きてきた。その方がらくだったから。だから、きちんと自分で決断する訓練ができていなかったのだ。たとえ、画面をクリックすることさえ時間がかかった。間違った画面に言ったらどうしようとそればかりをおそれていた。そのことに時間を費やして前に進めないでいた。間違ったら、また自分でもどればいいんだ。そう思ったら、画面が読めるようになっていった。嫌いだったコンピューターがだんだん楽しくなっていったのである。
彼女は貧しい環境で育ち高校を中退して、そのあと気が付いて、高校卒業資格を取り、働きながら大学に通い、エンジニアの資格を取り、就職しても、大学院に通い、そして、今大学で教えながら、博士号を取るために勉強している。私は彼女のきついけど、きりっとした生き方が好きである。そして あの日から、彼女は今も私のメンターであり続けている。
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