28人生の岐路 / とにかく内定がほしい

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途方に暮れていた。
このままだと就職すら危うい。
気づけば年が明けようとしていた。
年末年始は実家に帰り、履歴書づけとなる。大学4年生でまさか…ね。

この時期にまだ就活をしている自分が恥ずかしかった。
高校の友人から「どうなった?」て聞かれたら「京都で決まったよ」と都合のいいことを言っていた。
「まだ決まってないの」なんて口が裂けても言えなかったのだ。

焦っていたのは自分だけではなかった。
両親も非常に心配をしていた。
私が映像系に行きたいことは知っていたので、静岡新聞に載っている応募や就職サイトからわざわざ印刷をして教えてくれたのだ。
さらに、書店などで置いてあるフリーの雑誌など。
仕事と並行して、大原という資格を取るための学校もどうか?と勧めてきた。
説明会の日時まで調べてくれた。

以前、30歳〜40歳の男性が働かず家におり、母親と一緒にハローワークに行く様子が放送されていたが、まさにそれに当てはまっていた。
父が様々な仕事を探してくれていたのだ。
ただ、すべて地元静岡での仕事だ。

私は数少ない就職活動はすべて関西に絞ってきた。
京都が好きだからという口実のもと、恋人と遠距離になるのが嫌だった。
仕事<恋人を優先していたのだ。

だから、両親が静岡の仕事を紹介してくれた時もはじめは乗り気ではなかった。
しかし、焦ってくると気持ちは変わるものだ。
両親の話を聞くことで地元に帰りたい気持ちが膨らむ一方だった。
静岡での就職活動をしようと思い、親に卒業をしたら静岡に帰る、と伝える。
この発言で波乱が起きるとはまだ誰も思ってはいなかった。

年が明け、京都に戻る。
恋人と話す事で、気持ちは揺らぐ。
親には静岡で就職を、と言ったものの、恋人と一緒にいたい気持ちが強くなったのだ。
さらに、大学の先生と話しており、東京に視野を広げることとなる。

原点。
テレビ制作をしたいという気持ちが心のどこかに残っていたのだ。
その感情は抑え切れず、静岡の選考が進む中、東京のテレビ製作会社にも3社ほど履歴書を送ることとなる。

とにかく内定がほしかった。

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