何の取り柄もない自分が、グラフィックデザインで独立するまでのお話し。「第一話 〜高校時代〜」

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美的感覚が芽生える、高校時代。


幼少期から小学校あたりまでは時間の関係(関係ないけど)で、すっ飛ばします。中学〜高校時代。私は六年間、男子校でした。



周囲に男しかいない空間。男子学生たちは、「外部の女性と遊ぶことを得意としたギャル男」か「架空の女性と想像の範疇で楽しむことを得意としたオタク」の二分割に大きく別れていました。そして、私は典型的なオタクになりました。


なぜそうなったか…「島国の中で、独自の文化を発祥させてきた日本人が昔から持つ、二次元に対する美的感覚を現代人として最大限に生かすため」とかカッコイイことが言えるわけがなく、周囲にいた友人たちの影響です。朱に交われば〜環境って大事ですね。


学校が終わると東中野から、当時はあまり飲食店などが栄えていない秋葉原に通い、色んな店をグルグル回り、また学校のある東中野に戻り、チャリで帰る。という日常を繰り返していました。




オタクたちの中には、X-MENのように各々が特化した能力、詳しいジャンルがありました。声優・ガンダム・恋愛ゲーム…など。やはりどこの業界もそうですが、○○だったらアイツだ、という見られ方をしないと埋もれていくのです。


それまで、目立ったことは特にしてきませんでしたが、心のどこかで、頭一つ出したい欲求が自分の中にあったのか、「せめて、この学校のオタク学生の中でも特化したジャンルを身につけたい!」というしょうもない感情から、目をつけたのが “漫画” でした。


幼少期から、なにかモノをつくることに関しては飽きずにずっとやってこれた、ということもあり、ノータッチジャンルの漫画を我流ながらに描き始めました。続けていくことで、学校内で「漫画といったら永井だ!」、そのような認識が徐々にされていきました。(ホント、しょうもない。)


自分が描いた作品に対して、すげーなぁ!とか、ここはもうちょっとこうした方がいいのでは?とか、人に見せること生まれるリアクションが、なんだか快感でした。ここで一つ、伝えたいことがあります。先ほどまで漫画、と言いましたが、正直に言うとちょっぴり破廉恥な同人誌です。すいません。


… 「第二話 〜大学時代〜」へ続く …










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