25歳で生まれ変わったのでは?と最近気づいた 【「⇒」の世界編】

前話: 25歳で生まれ変わったのでは?と最近気づいた 【「=」の世界編】
相変わらず筆が遅いですが続きを書きます。

「=」と「⇒」の違いって?

大学に入ったらなにが変わったの?って言われると小さな変化なのですが、高校と大学の勉強の違いは抽象度だと思います。
高校までは比較的イメージしやすいモデルが出てきて、それから答えを導き出しますが大学ではそれが非常に抽象的なモデルになります。
高校で「箱を押すと動くよー」だった力学が、「光は粒子でもあり、波動でもあり・・・」となるわけです。
このとき何が起こるかといいますと、「問い」と「答え」の距離が離れると思います。その結果答えが「=」のように即求められることが減って、「論理的」なステップを何段階か踏んで答えが得られるようになります。

必要条件の重要性

高校数学くらいの話になるんですが「A ⇒ B」と言った時のAを「十分条件」、Bを「必要条件」といいます。高校まではこの十分条件から物事を考えることが大半なんですが、大学になると必要条件から考えることが増えてきます。
これが「仮説」です。
大学において初めて「仮説を立てる → 検証する」というプロセスを体験することになりました。
これは非常に楽しかったんですが、しばらくすると飽きてきました。論理に疲れてきたと言えるかもしれません。なぜかというと、論理は基本的に誰が使っても同じ答えが得られるからです。あまり多様性がありません。ある程度トレーニングをして使えるようになれば、そこから先の広がりはあまり感じられませんでした。

「?」の兆し

では多様性が出せるところはどこなのか、それは「問いを見つけること」です。その壁に初めてぶつかったのが卒論を書いている時です。問いが決まらない・・・
結局問いが決まったのが提出1ヶ月前、それから一気に書き上げました。僕にはどうやら「問い」、それも限られた期間で結果が出そうな問いを探すのはなかなか難しいことだというのを実感しました。
同じような壁に修論でもぶつかった時、僕の中に1つの疑問が芽生えました。
自分はこのまま研究者への道を進んでいいものか。
そんな時バーテンダーのバイトをしていて、初めて「社会」というものに触れた僕は、就職するのもいいのじゃないか、と思うようになりました。

ロジックの限界

結局先輩に捕まって受けた会社に内定を受け、最後まで迷っていたもののサイコロを振って就職を決めたわけですが、その会社での経験は今の自分を形成する上で最も大きなものだったと思います。
ある程度大きな会社で働いてみて分かったこと、それは「ロジックには限界がある」ということです。ロジックは非常に大事、それには大賛成です。
では、自分はロジックで他の人に圧倒的に勝るのか?そこだけで生きていけるのか?そういう生き方で胸熱になるのか?
こういう思いが強くなってきました。
じゃぁどうするか、レールも何もない世界に飛び込んで見ればいい、と25歳の僕は思ってしまいました。そして大失敗をします・・・

この上ない失敗

結論から言って、金に目が眩んだ仕事をして何も得られずに終わりました。この経験から学んだことは1つ。
お金は大事だけど、クリエイティブなものづくりはもっと大事
25歳にしてそんなことに気づくほど自分の世界は狭かったし、考え方がガキ(今もですが)でした。この失敗は自分の人生の中では今のところ最大の失敗ですし、悔しいですがこのタイミングで失敗したことは良かったのかなぁと思います。
そしてやっと「?」がいっぱいのスタートアップの世界へと足を踏み入れることになるのです。
年齢、25歳。
持ってるスキル、プログラミングちょこっと。
厨二病。
今考えても(2年しか経ってないですが)無謀なことやってるなぁと思います。しかしそこには素晴らしい世界が待っていました。続きはなるべく早く書こうと思います!

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