片親と苦痛の子供時代

思えば、人生の初めから困難だった。

生まれる前の、お腹にいた時から、親が憂鬱で

自分は生まれない方がいいんじゃないか?

自分は殺されるんじゃないか?

そう疑って、息をのんで、でも大丈夫だった。

親を裏切ってしまった罪悪感。

そんなイメージから始まる。


小さい頃、親を喜ばそうとして

一目散にテストの結果を見せようとしたら

「後でね」

とこっちも見ずに、流れ作業の洗濯物の方が大事というように無視された。


絶対にほめてくれる!

って、ウキウキした気持ちが

みるみるしぼんで

親が受け入れてくれないなんて

とショックだった。


やっと慣れてきた高学年。

怖くて怒ってばかりで嫌だった父親や、クラスメイトとも

別れなければならない道を強制され

初めて、弟の前での醜態で泣いても

頑として聞いてもらえなかった。

でも、父親のもとにいたら

確かに怖いし、何をされるかわからない。

母親が大好きだし、離れるのは嫌だった。

また、母をとるのか、他をとるのかという選択を迫られた。


また、というのは

学校でよく校歌を歌ったり、日の丸を見たりという行事があったが

母は

「エホバ以外の偶像を崇めたらだめ」

とか

「献血でどれだけの人が苦しんでるか」

といった話をしだし、

他の生徒と違う事を強要された。

私は苦しんだ。

母は好きだけど

皆と同じでいたい。。

私、皆と違うのかな?

でも、そんな自分を認めたくなくて。

仲間外れや苛めや特殊な目で見られたくない。

でも、そしたら親を裏切る事になってしまう。

親をとるのか、皆をとるのか悩んだ。

結局、親を裏切ってないところを見せ

胸を張って親に自慢し

皆とも、同じ事をしてるんだよ的に

ごまかした。

その中途半端さに、人の目が気になって

動揺と、自分の心が痛んだ。


中学になって

可愛さ余って苛めていた弟が

学校の苛めでひきこもり

家庭内暴力をふるうようになった。

父親がいないから、大阪に引っ越したから

母の対応が余計怒りを注いだから

私も怖くて、なぜ年上の私までが

構いに行かなくてはならないの

って気持ちと、怖いって気持ちと。

母を守りたいのに、暴力で痣を作ったり

苦痛な話を聞かされる度、怖くて

守れなくて、自分の保身しか考えられない

自分の弱さを卑怯さに苦しんだ。

そんなに嫌なら、弟から離れたらと

助言しても

「それはできない」

っていうし、だからといって

苦痛を私に浴びせ続けるのに変わりもない。

私は、母を救いたかった。

私がいなければ、私が味方をしなければ

母は壊れてしまうんじゃないかと思っていた。

だから、ずっと我慢していた。


私の事も見て。

私の話も聞いて。


そう願っていたが

言い出せなかった。

ただ、母の力になりたかった。

問題を解決したかった。

でも、どちらも聞き入れられる事なく

私は無力だと痛感していた。


常に、後ろめたさと

罪悪感と寂しさと不安と恐怖と

私は、大事な物を放り出し

逃げ出したんだという苦痛は消えなかった。






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