万4千年の恐怖と、45億年の悲しみ その5 〜黙る相手とは議論にならない。

2万4千年の恐怖と、45億年の悲しみ その5 〜黙る相手とは議論にならない。

原町第二中学校を後にした僕らは、そのすぐ近くの石神第一小学校へ移動した。
今度はここで、夕飯の炊き出しを行うのだ。

さっきと全く同じように準備を始めると、話好きのおじさんが出て来て僕らと話し始めた。
若い頃は 750cc のバイクに跨って、峠を攻めたという話だ。
きっと何度も繰り返し話した、おじさんのとっておきの自慢なのだろう。

大きな夕陽が薄く切ったチャーシューを照らし、やがて夕飯時になった。

昼食の時と同じように、四食ずつ提供されるラーメン。
「本当に美味しかったです、ご馳走さま!」と笑顔をくれる人が居た。
チャーシュー多め、メンマ少なめ、と細かい注文をしてくれる人が居た。
知らずに外食してしまったが、どうしても美味しそうだから、小さなラーメンを作って欲しいと頼みに来てくれた人も居た。


ここでも無事に全員分のラーメンを提供し終え、外の水場で洗い物をした。
そこでは、三人の子供が居るという、三十代後半の女性の話を聞くことができた。
震災直後に父親の病気が悪化し、治療もままならぬ状況だった為、
一時、東京に避難していたのだと彼女は言う。
福島から避難してきたと言うと、みな親切にしてくれたらしい。
しかし看病むなしく父親は病死し、また福島に帰ってきたと言っていた。

女性は、小さな子どもたちを抱えて、ここで生活するのは不安だと漏らす。
放射能は大人より先に、まず子供を蝕むのだ。
僕は不安に堕ちていく彼女の暗い表情を見て、胸が張り裂ける思いだった。


例え恋人や、家族を失ったって、未来があれば人は明るく生きていくことが出来るはずだ。
しかし、火を噴く原発がその希望を根こそぎ奪っている。
原子力発電所は、人をしあわせにする為に作られたものじゃなかったのか?
人をしあわせにしないのならば、どんなに高い技術が使われていようともそれは科学ではない。

誰がこんなものを作ったんだ?
電力会社か?日本政府か?それともアメリカの圧力か?
いずれにせよ、誰もしあわせになっていない。作った本人でさえ、その例外ではない。 


これはゲームの理論でいうところの「ナッシュ均衡」に他ならないと考えた。
誰もが望まぬ結果でありながら、そこにしか行きつけない。
まるで「囚人のジレンマ」である。


それでもまだ、原発に賛成している人が居るということが信じられない、と僕はTに言った。
だがタケシは、「そんなこと言ったって、議論にならないよ」と言う。
いのちだとか、しあわせだとか、そういう誰も否定できない価値のあるものを引き合いに出したって、彼らとの話は成立しない、と。

全ての福島県民が、原発に反対していると思ったら大間違いだ。
県民の希望する就職先は、何年も連続して原発が一位になっている。
実際に多くの労働者が原発で働いている。
交付金や核燃料税が県に支払われ、それが教育費や医療費の補助として住民へ還元された。
原発は大きな雇用と富を生んだのだ。

原発推進派には、そういう恩恵を受けてきた人も含まれる。
彼らに「いのちや、しあわせの大切さ」を説いたって黙ってしまうだけだ。
「黙る相手とは議論にならない」
Tの言う通りだ。


僕は、全員が原発に反対の立場であって欲しいと思っている訳ではない。
もし原発反対派が、推進派全員に対して「居なくなれ」「死ね」と思っているのだとしたら、僕はすぐにでも推進派に乗り換えるだろう。

みんなが同じ意見になるのではなく、違う意見を持っている人でも、仲良く一緒に暮らしていければいいと思う。
どちら側に居る人も、少しずつ我慢して、少しずつ譲り合いながら、お互い尊重してうまくやっていけないものか、僕はそれを考えている。

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