走るゲイル

私は毎朝起きたら、目をこすりながらの状態で、ソックスをはき、ランニングシューズをはいて、飛び出す。大した距離ではないが、近所を走る。頭が目を覚まして、面倒くさいと思わないうちに走り始める。自分の本質が怠け者であることは、長いこと生きていれば自覚している。だから、そんな自分が目覚めないうちにはしりはじめるのである。
私が走るようになったのは、親友でもあり、隣に住んでいるゲイルの影響だ。彼女は一日おきに何マイルも走るランナーだ。2年前に、ここにご主人の仕事で引っ越してきたイギリス系のカナダ人だ。年が近いこともあり、すぐに仲良くなった。一緒に食事にいったり、ショッピングやパーティに行ったりするうちに、いろんなことを彼女から学んだ。
食事や自分の体の健康にとても気を使い、そして本当に自分自身をトテモ50代とは思えないほど、健康的に美しく保っている。いつも素敵におしゃれを楽しんでいるし、家もいつ行ってもほこりひとつなく美しいインテリアで飾られている。すべてが美なのである。私がいつも憧れている姿がそこにあった。でも、一番すごいと思ったことは、はっきりと自分の意見を何でも、だれに対してもいうことだ。夫に対しても、遠慮なくはっきりとストレートにものがいえるところだった。
ゲイルと出会ったころの私は周りとのコミュニケーションをまだ何十年もたっても日本的に回りくどくやっていた。そのために、自分の思っていることをはっきりと周りに伝えることができていなかったと思う。でも、彼女のあまりにもクリアーな自己表現を聞いていると、自分はまだちゃんと自分の意見を表現できていないと気が付いた。それは、私が心のどこかで人に変に思われたくないと思っているからだ。でも彼女は全然全く人が何と思おうが気にしない。自分が自分の人生を生きているのだからという感覚である。嫌味がなくスカッとするのである。私もそういう風にしゃべれるようになりたいと、いつも思った。
あなたは完璧よ、私のゴールだわ。とゲイルに言ったら、そんなことないと笑われた。「私の喉には、いつガンになるかもしれないポリープがあるのよ。私はいつもそれと戦って生きているのよ。」といった。自分がいつ死ぬかもしれないと思えば、自分にとって大切なものとそうでないものがハッキリとしてくるという。私は彼女がそんなものを抱えて生きているなんて全然気が付かずに、ただただ憧れてみていただけのあほであった。彼女が一日一日を美しく生きることに情熱をかけているのは、明日という日がないかもしれないからだ。でも、それは生きている私たちみんな一緒だ。
もういい妻であることを辞めよう。もういいお母さんじゃなくてもいいんじゃないの。もういい人といわれなくてもいいんじゃないの。残りの人生を自分が思うように好きなようにいきて行ってもいいんじゃないの。ゲイルの走る姿は私にいつも問いかけているように思えた。
今日もゲイルは、私の家の前を風のようにはしりぬけていった。明日は一緒にランチをしに行こうとおもった。心はまだ彼女を追いかけている。

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