からっとした高原の夏では頭痛がし、むわっとした関東平野の夏が好きな理由 2

前話: からっとした高原の夏では頭痛がし、むわっとした関東平野の夏が好きな理由

 甲州街道をぬけ、甲府盆地を西に進み、南アルプスを越えると、仙丈ケ岳のふもとと、中央アルプスの谷間に盆地がある。2つの川で作られた河岸段丘の一番上の段、日当たりのよい台地の上に住宅造営団があった。僕が育った場所だ。

 その団地がある高台から西に向かって下に下がり、天竜川を超えて西側の河岸段丘の一番上に登ると、父の実家があった。国道356号線をぬけると、牛の糞の臭いがいつも車の窓から入ってきた。次男だった父はこの集落で農業を営む祖父母の家を出て、関東の大学を出ると、地元に帰って公務員になり、東側の段丘の日当たりのよい新興住宅造営地に家を買った。彼が31歳の時だ。

実家の裏には、空き地があった。
 この団地は、元はカラマツ林だったようだが、空き地には、小さなカラマツが生えており、僕の活動範囲が空き地に限られていた間は成長しなかった。他には液がつくとかぶれると言われるブロッコリーをつぶしたような形の葉がはえる植物があり(毎日見ていたのに名前も知らない)、カラマツとその植物の間に座って、僕はアリを見ていた。毎日アリを見ていた。
 アリの他にはヒコバッタがいて、アリとの物語にはおあつらえのサイズだったので、気に入って僕の物語に登場させていた。ヒコバッタをつまんでアリの巣の入口に押しやると、アリがかみついてくる。青色の糸トンボではこれほどうまくいかない。一度アリジゴクを置いたら、アリが2匹で、まるで担架を運ぶように運んでいった。あれには笑った。

 野球やサッカーにはなじめなかった。家の中にいるときは、お菓子のおまけを使って作った仲間たちと一緒に、物語の中にいた。
 小学校の頃は、空き地の横に雑木林があった。友達と秘密基地を作って遊んだ。白樺の皮をむいてその香りをかぐのが好きだった。

 団地をぬけると田んぼが広がっていた。通学中、よく水路に木を浮かべて友達とどっちが早くつくか競争した。僕が名前を付けた小枝は、よく走った。
 小学校は、住宅団地と同じ河岸段丘最上段にあり、団地以外の子供立ちは、下の段の、古くからある集落にある家から、急な坂を登って通学していた。その途中にはカブトムシやクワガタもいたのだが、僕の通学路には人がいない田畑があるだけで、道草をくう森はなかった。そこで、外のものに関心を示すよりは、友達と空想の物語を語りながら歩いた。物語を進行するのはたいてい僕だった。友達は、話を合わせて、いつも静かに笑っていた。

 家の中はいつも明るかった。昼間は南側の窓から日が入り、ダイニングで、父、母、妹と家族4人で朝食と夕食を食べた。公務員の父親は夕食の時間には帰ってきていた。いつもくだらないことを言っては、母を笑わせ、妹がそれにのっかった。
 父は甲斐性のある人間で、これといった趣味もなく、ただただ家族のためによく働き、かといって家庭を顧みないほど仕事に熱中することもなく、たんたんと生活を営んでいた。
 母はいつも明るく、正義感が強く、子供を何よりも大事にしていた。20年間も同じスーパーの肉屋でパートをしていて、毎日笑って暮らしていた。
 父方も母方も祖父母は全員今でも生きている。長寿家系で、身近な誰かが大病にかかったこともない。

 両親は一度も子供に手をあげたことはなかった。勉強をしろとも言わなかったし、塾に行きたいと言えば行かせてもらうこともできた。のびのびと、大事に育てられた自分には、乗り越える壁がなかった。

 日当たりが良い、清潔な家。平和な日本の中で、そこは、古い農村の土や因習からも、都会の雑踏からも切り離された完璧な空間だった。家計が傾く不安からも、何かを強制する家族からのプレッシャーもなく、とても平穏な日々は続いた。

 そこで僕は、たんたんと人生を消化していた。たんたん、たんたんと・・。

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