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13/10/15

世界は全て数式で記述出来ると信じていた高校時代の話①

Image by Olia Gozha

2006年 修士論文の一部を撮影。
こういう数式を解くのが、今でもこの上なく好きです。



まえがき

もう18年も前の話か...  私も歳をとったものだ。

中学時代から大学院時代まで、約13年間(浪人1年含む)
自分は医者か科学者になると信じていました。

少なくとも今やっている、営業やマーケティング、
デザインをやるなんて夢にも思っていませんでした。

数式と科学の美しさに魅了され、そこにロマンを追い求めていた少年でした。

それがいつしか、チームでやる素晴らしさ、
人と感動をわかちあうことの面白さに目覚めていくのだから
人ってわからないものです。

人と話すことは無駄だと思っていた少年が、
今では人と話すことの可能性を感じている。
そんな人物のストーリーです。

「人ってこんなに変わるものなんだね。」ってことが伝わると嬉しいです。

いや、本当にこれだか人生はおもしろいね。最高に。



暗黒の3年間

1996年-1999年。私は群馬県立太田高校という男子高に通っていました。
群馬の片田舎の男子校で、群馬特有の「赤城おろし」とい北風に立ち向かいながら必死で自転車をこいで通学していました。




私はこの男子校で、狂ってるんじゃないかってほど勉強ばかりしていました。朝8時には学校の自習室で勉強を始め、授業終了後も自習室に向かい夜22時まで勉強。友達には、「参考書が友達だよね。(キモ...)」って言われていましたし、確かに当時の自分を振返るとヤバかったです。




テレビもほとんど見てなかったし、ゲームも屋根裏に自分でしまっちゃってたし、下界(世界)との交流を完全に断とう本気でしていました。今思うと完全に受験勉強マシーンでした。それ以外は無駄と思ってたし..



我が家では、 ”雄介の暗黒の3年間” と呼ばれているのですが、本当に勉強以外をした記憶がありません。両親は少し心配していました。しかし、私はそれ以外に時間を割くことが嫌だったので、望んでそんな生活をしていました。だって、群馬という枠組みから必ず抜け出して、もっと広い世界で「挑戦する機会」を手に入れたかったから。「挑戦する機会」を手に入れる最短の手段が私には勉強だったんです。



私が野球に没頭したり、ギターに没頭していたら、それで挑戦しようって思っていたかもしれません。でも、私には、そういうハマった物がなかったんです。私の場合は、たまたまハマったのが勉強でした。学ぶことは楽しかったですし、学ぶことで世界が広がる快感にのめり込んでいきました。




この頃から、ボンヤリ思っていたのが、「楽しいことやり続ける」っていうのは、一種の才能だなぁ。って思います。人間の才能なんて大差ありません。(たぶん) となると、差が出てくるのは、物事にどれだけ集中した時間を持てたか?であり、集中を継続させるには楽しくないと難しいというのが私の持論です。そのため、楽しいことを、トコトコ突き詰める。すると結果って自ずとついてくる。そうなんじゃないかな?って思っています。



宇宙という書物は数学という言葉で出来ている。

いつ頃からこう思い始めたのか記憶が定かではないのですが、幼い頃から頭の片隅に、私には1つの仮説がありました。


「きっと、自然界を記述する理論があるだろう」

なぜそう思ったのかも、今では思い出すこともできません。ただ、幼い頃から心のどこかで、ずっと信じていて、それを常に追い求めていました。そのため、中学の頃から何となく、


「このことが学べる大学に行きたいなぁ〜」


と思っていて、そのためには、今後の数十年のために3年間の学生生活は諦めようと、謎な決意をしていました。

結果として、自然界を統一する理論に出会うまでには、高校時代から数えて約7年年を費やし、それはどうも、量子力学という学問から学べるらしいということに気づくのですが.... この続きは後ほど...

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