悩む前に無鉄砲であれ!裸一貫で東京へ上京した男の話

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高校生の皆さん、人生のターニングポイントはどこですか?
自分がまだ想像がつかない未来に対してどう向き合うか?

現在、私の仕事は広告関連のコンサルティングを行なっています。
大阪出身・大阪育ちで今は東京在住ですが、大阪時代ではデザイン事務所でWEB/紙媒体のデザイン制作を経験してから、25歳という遅いタイミングで東京へ上京し、広告代理店に8年勤務し今の職に従事しています。
※ピカソと私
広告は「企業と消費者のラブレター」なんてよく言われていますが、私はそのラブレターを一緒に考え、たくさん成就させたいと思っています。

◆ “まずやってみた”中高生時代

中学時代はなにも努力はしていないし、「興味がある事すら興味がない」というダメダメな時代だったのですが、高校時代は自分のアイデンティティを見つけようと、凄く自由奔放に行動していたと思います。
周りの進路等の動きもありましたが、私は勉強の成績も優秀な方ではないですし、そもそも自分の情熱はどこにあるのか、を視点にした行動を優先していましたね。
悩む事は特になかった気がします。というより悩む前に少しでも興味がある事はやっていた気がします。
中 学の時に競馬マンガにハマっていたので、競馬業界ってどんな世界なんだろう?!と思い、色々調べていました。騎手は体格と高校生の私にとっては環境的(中学卒業後→騎手学校へ 進学)に厳しいので、競走馬を世話してあげる厩務員なら大丈夫だったので「まずは馬に乗る技術が必要だ!」と思い、乗馬クラブに行きましたね。 ※結果的に趣味となり、仕事に結びついていないのですが乗馬ライセンスを取得しましたw
ここで高校時代の変化したポイントなのが、高校に入ってからは親が別居し父親と生活する事になったのです。※今はまた仲良く一緒に住んでいます
父親も仕事の関係上、朝も早く夜も早くには寝ていたので、私も父と話す機会を多くもたず、炊事・洗濯などの生活全般・高校卒業後の方向性なども含めて、自分の事は自分で行い、全ての判断・行動をしていました。
それがまだまだ若い自分にとっては「人生を自らが決めなければ誰も決めてくれない」と感じさせられたし、周りの同世代の人よりも焦っていました。
この自立をしていた土台によって、高校時代のアイデンティティを見つけようとする原動力があった事は間違いないと思います(あ、といっても当然学費等は親にお世話になっているので、100%自立はできていないのですがね)。

◆ サウンドデザイン専攻に入学し職人の道へ

私は昔からモノを作るのが好きで小学生の時はハンダゴテを使った工作や、ラジコンも自ら作っていたりと、なにかを創造し品質を高く生み出していく職人やクリエイターに徐々に魅力を感じていました。
そんな中、大学に進学せず自らの専門性をいち早く身につけて、社会に出て活躍したい気持ちもあり、専門学校でサウンドデザイン専攻に入学し職人の道へと進みだしました。
サウンドデザイン専攻とは、読んで字の如く、音楽とデザインを創作できるようになる授業です。な ので作曲の授業から電子音楽としてパソコンで曲を作ったりしていましたが、私としてはPhotoshop・IllustratorやCGを作ったりしてい る時の方が楽しい時間でした。卒業した生徒の中では、あまりデザイン系には就職せず、放送局にいってラジオ用の音源を作ったり、カラオケ用の音源を作った りする仕事等に就いていましたね。

※専門学生時代。調子のってますねw
専門学校では、1期生だったので、色々学校側も模索しながらの授業で先生も何度も変わったりと、授業内容も変動していたので自分自身がどう吸収していくかを意識しないと大変でした。
一 番の思い出としては、卒業制作として映像学科の生徒が映画を作る事になった時になぜか私がその映画の主演として参加する事になったのです。ストーリーは怠 け者の人間が1人の男と出会い、社会に向き合って就職し、活躍していくという結末ですが、この役を私に抜擢するという事はイメージとピッタリな人間がいたと いうなんとも複雑な感情でしたw
ただ、その映画作品が学院長賞を受賞したのは嬉しかったですし、撮影期間も睡眠時間も削り行なっていたので苦労しましたが、凄く楽しかったですね。

みんなの読んで良かった!