「両利きのキャリア」 今しなければならないこと、先のために今すること
勉強しない高校生が・・・研究所のリサーチフェローに
読書でセンスが創られた高校時代
正直なところ、ほどんど勉強しませんでした(笑)。大学の附属高校にいたせいもありますが、そもそも、そんなにテストのために猛勉強するタイプじゃないんです・・子供の頃から。高校には神戸から東京に中2のときに引っ越してあわてて受験準備したので、あわてて詰め込んでなんとか合格。関西は公立高校のほうがステータスが高いから、部活やったり、美術や音楽など、教科科目以外の勉強も成績に関係したりして・・音楽と美術それと、社会科と英語の科目は子供の頃から好きでしたね。
本を読んだり、学習マンガ(日本の歴史)とかそういうのを読むのは子供の頃からかなり好きだったみたいです。そこら中、散らかしっぱなしにしていても、どうせ、またすぐ読むからって、親も何も言いませんでした。自分の周りにはいつも手の届く場所に20冊くらいの学習漫画やら、小説があって、それを覚えるくらい3ヶ月くらい、寝る前とか、学校から帰って暇なときとかに読んでた。また数ヶ月たったころに、また寝る前に読む。最初の印象とかわってきたりして、1冊から何度も新しく思えることがある。それも、こういう子供の頃からの好奇心のせいもあるだろうけど、とにかく読みました。 それで、高校時代に、何を読んでいたのかというと、ポール・ヴァレリとか、聴いたロッシーニ、プロコフィエフの伝記など。小説や評論で印象に残っているのは、『モオツアルト』(小林秀雄)、『地上』(島田清次郎)、『花岡青洲の妻』(有吉佐和子)、『点と線』(松本清張)、あとダントツは、『痴人の愛』(谷崎潤一郎)。とにかく読まされもしたし、読んだ。そうすると人の「なり」や、雰囲気、状況に合った空間が頭の中でイメージされてくる。この人はこういうときにこういう音楽を書いたんだ、とか、人と違う意見を持っていても、それが人に受け入れられると人気が出るようになるんだ、そのためには、人が好きになるような、「自分」を創らないと・・・こうなってきて、カッコいい(というか、ひとが気持ちよくなれるような)自分にあった音楽を聴きまくる。ジャズや洋楽(ソウルやヒップホップなど)、高校時代というのは、とにかく、音楽に夢中だったのと、外国の思想や哲学についての本をよく読んでました。
大学時代は、視野を広げてセンスを「磨く」
本当は法学部に行きたかったんです。なにせ法学部しか有名じゃない大学だったので。それも法学部の政治学科、哲学や思想を学ぶ機会があったからです。でも、それは残念ながら600人近くいる高校の中でも1割くらいしかいけなかった。進学するときには第3志望まで書いて成績順に振り分けられて進学する学部が決まる。それで、自分は何を書いたのかというと、第一志望に法学部政治学科、第二志望に文学部のフランス語文学文化専攻 って書きました。好きなものにしようと。第三志望は総合政策学部にしました。社会に出たら、いくらでも社会に即した勉強はできる。総合政策は人気があったのですが、自分の成績でいけるところだった。クラスの担任の先生からは「文学部はやめて総合政策にはいれ、はいれ」と何度も親あてに説得があったりしたけど、いやだった。「総合政策」は当時、法学部の先生がたくさんシフトしてきていて、「法学部の落ちこぼれ」が行く学校だったから、ここに行くくらいなら、「好き」な勉強しようと。 そうして、哲学の勉強に明け暮れた。文学作品の講読もありましたけど、フランス語の新聞を訳したり、「フランス」の歴史、言葉、政治、音楽、料理、流行、なんでも読みとったりした。そうすることで、自分のセンス(感覚)は「考え方」になって、自分の進路を考えるようになる。
「ジョブ」は好きなことの積みかさね
大学は勉強するところであると同時に、将来の自分の「生き方」を決めるところ。 「好き」なことをしているだけでは、進路は決まりません。自分の視野がその時点でどこまで広がっているかが大切です。「好きなこと」、以外のこと「遊び」の部分のなかから、次の「好きなこと」になりうるものを探さないといけない。 「好きこそものの上手なれ」は本当で、自分の好きなことを周囲で見聞するものの中から探して、それをしているうちに、それは、だんだん、「仕事」になってきます。「次はこのことをしよう」が、いつのなにか「しなければならないこと」になってくる。ジョブになります。どんどん、自分で好きと決めたことでもそれが反復されていくと、「ルーティング」になっていく。でも、そこで重要なのは、イマと将来のあいだで自分の好みやアクションが「両利き」であること。つまり「両利きのキャリア」。さらにその「ルーティング」の中から、「それ以外の別のこと」つまり「遊び」を探さないと、次の好きなことを見つけることはできない。「遊び」の中に、次の「ジョブ」のシーズが転がっています。
次の「好きなこと」は、自分の場合は、公務員でした。それも、ただの役所の仕事じゃなくて、国家公務員になりたかった。「国」を考え、自分が住む国の「将来のために尽くせる仕事がしたい」と考えました。自分が学んだフランスの習慣や文化、社会制度というのは、あまりにも、日本のものとは違っていました。徹底的に個人主義、議論好き、ライフスタイルを大切にする生き方、みたいなものは、少子高齢化する日本にはとても大切だと。自分たちが輝くような、それを、社会のほかの人がうらやましく、自分も努力しようと、輝くように努力することが賞賛される社会になるように、雇用問題や年金問題を扱っている厚生労働省のキャリア官僚を目指し試験を突破、でも面接で不合格になり、教育サービスの企業に就職したというわけです。
仕事のかたわら・・書籍の執筆、研究活動
社会人になってからは、書籍の執筆、研究、受験指導のインストラクターとして仕事をしていますが、その傍らで、いくつか、それとは別の取り組みをしてきました。研究活動です。ヒトのためになることを自分のアイデアで実現しようとするためには、企業に勤めて組織で行っていても限界がある時が来ます。年功序列で自分がそれをする番になるころには、きっと、社会は手遅れだ、くらいに20代のころは思ってました。大学の恩師など研究関係者にコンタクトして、短大の非常勤講師をして「現代社会論」の講義を仕事の傍らで始めたのは、28歳の時でした。就職やキャリアアップできる社会という問題や、若年者が生き生きとして仕事し、また早期退職を強いられるベテランのビジネスマンが再就職して充実した生活をすることが出来るようにすることは、当時の社会問題でした。雇用問題、キャリアに関する研究は、こういった非常勤講師の仕事、つまるところ「遊び」をしながら得た人間関係のお陰ですることができた。論文を書いたり、学会で発表したりということをすることができ、大学のキャリア教育を改善、実践する仕事にも張り合いが出ました。今は立教大学の博士課程(経営管理学)で研究しながらの社会人生活です。
▲ Entrepreneurship (ビジネス創造者)の研究でアントレプレナーファイナンスが専門の William Bygrave 教授 からのメッセージ "Good luck with your career." 「遊び」の積み重ねはキャリアに生きる
「好きなこと」を仕事に、「遊び」をチャンスに
社会に出て、いつも思っていたことは、とくに自分の好きなことを仕事にすること、それと、それ「以外」のことを発掘して行くことの2つを持つこと、「両利き」のキャリアを試してきました。講師の仕事をしながら、組織人として、仕事をし、研究活動をしながら、仕事として、課長職をするという生き方です。経済学の受験指導用のテキストの執筆は、自分の経験を後輩に役立たせることが出来ていれば自分の糧になりました。研究するという「遊び」は、研究機関でキャリアを作り上げる理想の社会のあり方を考えて、それを実際の教育の場で実現されていけば幸いだと期待して、書き続けることが出来ます。リサーチの仕事は、中小企業の景気や利益率の計算、失業率や、大学進学率、大学から企業への内定率などを調べて、リサーチペーパーをまとめたりすることが主です。大学時代に良く学んだ、社会制度の分野や哲学、公務員試験の受験で鍛えた経済学や経営学はもちろん、財政学や社会政策の知識がイマも役立っていますね。
自分でよく本を読み、考え、それを人と話して、感覚を自分のものに作り上げていくこと、それを続けることで自分を周囲が認めてくれるようになるんだとおもってます。「好きなこと」を夢中にやり、それをいつかは「仕事」に。そして、仕事だけじゃ物足りなくなるから、常に、「それ以外」をもう片方に持って「遊び」に。「遊び」の部分で見聞きしたことは、自分のライフスタイルや環境の変化によって、「次の好きなこと=仕事」のチャンスになって、自分を迎えてくれるようになると思ってます。
現在も、仕事をしながら、立教大学の博士課程で経営学の研究を続けています。自分の描くキャリアが実現される社会とはどのような社会なのか、そのために必要な人の能力や制度はどのようなものなのか。人が育ち、感覚を磨き、それを社会のなかで生かせるようにする社会は、どのような構造から出来上がるのか。ビジネスチャンスをつかむというのはそういう周囲の習慣や構造を自分のセンスに一致させて、「ジョブ」にすること。相手が思う前に相手が求めていそうなものをつくりだす。ヒット商品というのは、そういう「トレンドの先取り」でできています。
▲ミーゼス研究所( Mises Institute )は、経済学者ルードウィッヒ・フォン・ミーゼスの意思により設立された研究機関。キャリアを実現できるような経済のしくみ、法律や制度の教育の方法のあり方を考える大切で楽しいディスカッションの場となっている。
グローバルの時代にこそ、自分が培ったセンスが生きる
グローバル化とよく言われてますが、それは、一人ひとりの個性が重なり合ってより高度な商品や産業を作り出していかないと、社会に自分が取り残されていってしまう時代になったことを意味しています。オートノミー(自律性)っていうんですけど、これが求められる社会になってきました、ってよくいわれますね。ヒトの個性というのは、性格とか、趣味とか、思考とか、そういうセンスというのは、自分が育った場所や周囲の環境で決まります。だから、グローバル化で色々な人が世界規模でコミュニケーションでき、ビジネスが行われるようになると、そこでは、やはり、ほかの人と自分の「違い」みたいなものが、人間関係を築く上で欠かせなくなってきます。今以上にです。なので、人に合わせていてはダメで、自分のカタチを持つことが大切になりますね。グローバル化というのは、「地球規模」という意味。文字通り、外国からの商品が溢れ、働き方も海外の人たちと触れ合う機会が増える社会を意味しています。「あなたは何を考えているのか」が大切なんだということ。
センスを作り上げ、磨き、人とつながり、他の人のために、役立つような生き方を自分で探していかないと、自分自身も社会も充実しないと思うんです。そして、自分はそれを今も、高校時代からずっと大切にしてきた。高校生の皆さんには、ただ大学にいくために受験勉強するために学校生活送るのではなくて、10年後になっていたい自分のスガタをイメージして、楽しく学校生活をすごしてほしいですね。自分の周囲で起きているものを見て、聞き、自分のアタマとココロで考えることのできるセンス。 こうして出来上がる自分の嗜好や感覚(センス)が自分の進路や働き方を決定していくんだと思います。
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