すべてを失い、うつ病になった僕が「悩みを話せる友達が見つかる場所」を作るに至ったSTORY

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人との繋がりを求めて自分のお店を出した話


2008年夏、24歳。
僕は東京・高円寺で念願だった自分のお店を出しました。


「自分のお店を持ってみたい」
そう夢を見る人の中には、自分の好きなことを仕事にしたい、自分の好きなものに囲まれていたい、自分の好きな仲間と一緒に働きたい、などなど色んな動機の人がいると思うけれど…。僕の場合はただ『人との繋がり』を求めてお店を出しました。


不仲な両親を見て育った僕は、小さい頃からあたたかい家庭や人間関係にずっと憧れがありました。でも、人前で弱音を吐けない性格だったため、多人数に溶け込むのが苦手で、現実は強がって一人でいることが多かったです。だから、「人との繋がり」とか「自分の居場所」がほしい気持ちがいつも心の底にあって、大学時代に将来の夢を考えたときに、「自分のお店を出したら、きっと、人との繋がりが溢れた生活が手に入る…!」そんなふうに思ったんですよね。


社会人になってからもその夢はずっと心の中にありました。「毎日常連さんが来て、ただいま、おかえり、みたいな言葉が飛び交って。いつも笑顔の中心に自分がいる!」そんなイメージばかり沸いてワクワクしていました。そして、紆余曲折を経て、社会人3年目についにお店を出すことを決めたのですが、「お客さんと仲良いお店をつくる」こと以外、何も考えていなくて、物件が決まる直前まで何屋にするかすらも決まっておらず、ましてやお店をどうやって経営するかなんてもう一切考えずに、勢いと若さだけで仕事を辞めて自営の道へと飛び出していきました…笑


すぐに挫折、そして駆け上がる


今考えたら当たり前なんですけどね。業種も業態もちゃんと考えることなく、知識も経験もなく、さらに人見知りな僕が「お客さんと仲良い場所お店にしたい」と出したお店がうまくいく要素はどこにもなくて…。いざOPENしてみたら、お客様もほとんど来なくて、自信満々で作ったお店に1人、ただ立ちすくむ日々が続きました。


せっかく来てくれるお客さまともうまく会話することができず、1日お店を休んだだけで周りからは「潰れたかと思った」と言われ、僕はどんどん自信をなくしていきました。自分が人生を賭けて作ったお店が誰からも受け入れられない苦しさ、毎日寝る以外の時間すべて働いても給料0円どころかマイナスの苦しさ、こればっかりは経験しないと分からないけれど本当にきつかった(>_<)


ポジティブだと信じていた自分の自信は嘘のように粉々にくだけて、諦めたくないけれどどうすれば良いのかも分からず、悔しくて、苦しくて、家に帰ってからお店の事を考えると勝手に涙が溢れてくることが多かったです。多分、このとき人生で初めての挫折を味わったんだと思います。自分でやると決めて選んだからこそ、言い訳もできず、100%すべて自分の責任としてのしかかってきました。自業自得なんだけどね…笑


それでも、明日も見れないような状況から諦めずに前を向けたのは、一緒にお店を立ち上げた親友2人の存在のおかげでした。1人は会社に戻り赤字を支えてくれて、もう1人はお店を一緒に立て直す力をくれました。僕はお店を良くするために誰よりも勉強した自信はあるけれど、思い返せば、あのとき。お客さんが誰も来なくて広い店内で1人で立ちすくんで現実から目を背けたくなったあのとき。折れた心に寄り添って一緒に前を向こうと励ましてくれたのは、経営書でもなんでもなくて、その親友たちの存在でした。


「この絶望的な状況から何とか繁盛させてみせよう!」そうやって一緒に最後まで諦めないことを誓い合いました。理想のお店を目指して、楽しい時間を提供しようと前だけを見て努力し続けました。半年経ち、1年経ち、少しずつだけれど結果がついてきて、このときはじめて、自分のお店に笑顔が溢れないのは、自分が人に何も与えていなかったからだっていうのを痛いほどに感じました。


心から人に与えたいと思い、目の前の人を喜ばせようと努力したときにはじめて、気付いたら自分の周りに笑顔が溢れているものなのかもしれません。どん底の地獄を味わったおかげか、プライベートなんてほとんどない状況でも、喜んでくれる人が増えるだけでただ楽しくて嬉しくて、お店は2年間で黒字になり、スタッフが増え、常連が増え、応援してくれる人が増え、その後はテレビや雑誌にも多数取材される繁盛店へとなっていきました。


慢心した自分、4年間の経営を終える


もともと愛情に飢えて人から認められたい気持ちが強かった僕は、お店の経営を通じて生まれてはじめてたくさんの人が自分を認めてくれている状況に、ただただ喜びを感じていました。偽善でもなんでもなく、ずっと心の底で飢えて欲していた、自分を応援してくれる人のためだったら、もっともっと良いものを提供したいと毎日寝るも食うも忘れてお店のことを考えていました。


でも、結果が出れば出るほど、僕は自分の力でお店を大きくできたような気持ちになり、身近な人たちに助けられて今があるということを少しずつ忘れていってしまいました。また、赤字から売上を良くすることばかり考えてきた僕は、いつからか経営に専念するようになり、お客さんと関わる時間も減っていき、目の前の人たちに心を向ける時間が少なくなっていきました。


そして、気付けば「お客さんと仲良いお店」は僕ではなくスタッフが中心となっていました。「自分」や「未来」ばかり見ていた結果、自分のつくったお店に自分の居場所を感じられなくなってしまいました。そのときになって、やっと、本当はただ「人との繋がり」が欲しかっただけだということを思い出しました。でも、傲慢になっていた自分には、その感情を吐き出せる繋がりもありませんでした。違和感を抱えながらも、お店は2号店を出す話などが進んでいき、色んな人を巻き込んでいる責任もあって、全部1人で溜め込んでしまいました。


そんな状態で楽しく仕事をできるわけもなく、お店に行っても何も手につかなくなってしまいました。だんだんと動悸がおかしくなるようになり、心療内科に通うようになり、うつ病になりました。そして、ある日、限界を越えてしまい、結果として、色んな人に迷惑をかける形で2号店の出店を取りやめました。1人で勝手に溜め込んでいた僕のことを周りは理解できるわけもなく、巻き込んでしまった人はもちろん、お店の常連さんにも非難されるようになり、次第に、自分のつくったお店に行くのも怖くなりました。自分が嫌で嫌で、もうすべて投げ出したくなってしまいました。そして、周りの期待に応えられないだけならまだしも、自分を応援してくれていた人たちにキチンと感謝することもできないままにお店を終えてしまいました。



お店を失ってからの話


お店を辞めたあと、責任から開放されて少し気持ちも軽くなるかなと思っていましたが、いざ終えてみると、何も無い自分がそこにいました。約4年間ただ楽しくてお店のことしか考えてこなかった僕は、お店がなくなって夢もなくなり、お店を続けられなかったことで自信もなくなり、情けない姿を周りに見せることもできず人間関係も切ってしまい、そして、残った自分には何も無くて、「何をやりたいのか」「何のために生きているのか」すらも分からなくなっていました。


空いた心の穴を埋めたくて、何か少し興味が沸いたことに取り組んでも、あれほど熱中できたお店と比べてしまう自分がいて、いつも虚しくなりました。そして、お店のことを思い出すたびに、あんなに応援されていた現実が遠く離れて、世界のはじっこに飛ばされて蓋をされてしまったような気持ちになりました。失ってみてはじめて、自分の力で培ったと思っていた自信は、周りの人たちからの信頼で得られていたものだということに気付きました。僕は、一人では何もできない人間でした。


過ぎたことに何か修正を加えることはできないけれど、今まで周りがくれていた力の大きさを感じるたびに、もし、またやりたいことを見つけることができたら、今度は「自分の素直な感情を出して、信頼し合える関係の仲間と働きたい」気持ちが溢れてきました。でも、そのときには具体的なやりたいことは分からなかったので、中途半端な気持ちでどこかの会社に勤める気分にもなれず、自信のない自分をもっと追い込むことになるとは分かっていたけれどもう少しニート生活を送ることを選びました。


「悩みを話せる友達が見つかる」無料相談サイトを作る


ニート生活の時期は色んなことを振り返りました。お店の最後は自分のキャパを越えてしまってうつ病になったので、もうお店をやっていた自分すらも否定してしまって、自分が何を好きかすらも分からなくなってしまったけれど…。

みんなの読んで良かった!