えにしつむぎ『わたし』
菅波ひろみ
人と違う格好でいたいなあー。お花を習っていたからなあー。映画看板を描きたかったん だよあー。文章が好きで少し絵も描けます。お酒も好き。ブラックミュージックが好きで 歌います。高校卒業後から20代半ばまでに、次から次へと湧き出る好奇心から様々な職業 に就いた。服飾系事務、花屋勤務、記者兼少しだけイラストレーター、看板屋作業員、 バー のウエイトレス、音楽教室の受付。そして、ヴォイストレーナー、ゴスペル歌唱指導、 ソウルシンガーという肩書きに収まる今。歌うことを生業として13年目、震災より更に旅 歌人となったワタクシ、菅波ひろみと申します。小名浜生まれ小名浜育ち。 我が儘いっぱい闊歩した道のりではありますが、感謝すべきは沢山の方々との出逢い。 そしてその繋がりが今に紡がれていること。その一つのご縁より、兼ねてから愛読していた 「日々の新聞」での連載の機会を頂きました。こちらでは、出逢い在りき、の視点から 日々の諸々を綴っていきたいと思っております。まずはご挨拶と自己紹介、の書き初め。
東日本大震災より、ひと月の中で、杉並区荻窪、長野県塩尻、いわき市小名浜の3箇所を 行き来する移動生活が始まる。それに加え、シンガーとしての方々への巡業。2004年に東京 での腕試しの為に荻窪に部屋を借り、現在に至る。この町はもはや第2の故郷。そして我が愛し の大阪、第3の故郷。大阪の話は追々。小名浜こそは、最愛の故郷...そう思うようになったのは、 家を離れてからである。家族と毎日交わす挨拶や会話、在り来りで当たり前の日常はあの日から 一変する。夫はすぐに会社を長野に移し、目の前に住む母や祖母祖父と離れて暮らす日々...「暮らし」 って何だろう?そう考えると今、毎日帰宅する場所が違う私にとっては「住まい」に暮らしの重心 こそ無い。旅こそが暮らし。各地で交わす会話と音楽を通しての交流、それこそが私の日常。 「寂しさなんてのはなあ、歩いてるうちに風が吹きとばしてくれらあ!」とは寅さんも言ったもの。 旅先で出逢うご縁に紡ぎ、紡がれ励まされ。さて次回はどんな縁から始めましょう。
著者の菅波 ひろみさんに人生相談を申込む
著者の菅波 ひろみさんにメッセージを送る
メッセージを送る
著者の方だけが読めます