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鬱病で半年間寝たきりだった僕が、PC1台で世界を飛び回るようになった話。

こんにちは!

WEBの仕事をしながら世界を旅している阪口といいます。

2012年7月に出国以降、東南アジアとヨーロッパの7ヶ国に住みつき、現在も旅をしながら、旅資金を稼ぐ生活を続けています。

しかし三年半前、僕は鬱病で仕事を辞め、起き上がることもできない状態にいました。今日は、鬱病で寝たきりの状態から、どうやって世界を飛び回る力をつけたのか、お話させていただきます。


※この話は2014年4月、朝日新聞出版より出版されました。
⇒「うつ病で半年間寝たきりだった僕が、PC1台で世界を自由に飛び回るようになった話



2010年、寝たきりで迎えた、23才の夏。


2010年の23歳の夏。

社会人二年目で鬱病になった僕は、自殺未遂をして身体がおかしくなり、起き上がることすらできなくなっていました。


それまで僕は、小説家とミュージシャンを目指して奮闘していたのですが、将来が見えない不安と、才能のなさに諦め自暴自棄に。仕事から逃げ出し、携帯も壊し、友達も、家族も、夢もすべて投げ出してしまい、これからどう生きていけばいいのか全くわからない状態でした。


そんなふうにして半年くらい、ぐったりしていたのですが、


ある日窓の向こうの空を見上げていた時、

脈絡もなくふっと、

大学時代、バックパッカーをやってアジアを歩いていたことを思い出しました。


「ああ、そういえば俺は、ずっと世界に出たいと思ってたな...」



僕にはまだやり残したことがある。


バックパッカーをやっていた時、僕はレストランバーで働くタイ人の女の子に一目惚れをして、付き合ったことがあります。


しかし、その時大学生だった自分は、異国の街でできる仕事もなく、稼ぎ方もわからず、貯金がなくなったらもう帰国するほかに選択肢がありませんでした。

自分には、好きな人と一緒にいられる力すらない。スワンナプーム空港から成田へ飛び立つ飛行機の中で、もう、めちゃくちゃに悔しかったんです。


だから僕は、自分に約束をしました。

「次に出国するときには、世界中どこでも生活していけるような力を絶対につける。海外でもできる仕事を、ひとりでも作る。次に好きな人ができたときに、ずっと一緒にいられるように。もう、こんな悔しい思いをしてたまるか!」


そうだ、僕にはまだやり残したことがある。

あの時の屈辱を、まだ晴らしていない。

世界に出よう。そして、世界を舞台に青春をするのだ。

僕はただ、それだけの気持ちに従って、起業することにしました。



旅をしながらできる仕事を探したら、株、Fx、アフィリエイトの3つしか見つからなかった。


僕が最初にやったことは、自分の状態と向き合い、そんな自分でも、思い描くライフスタイルを叶える仕事を探すことでした。


人脈も、お金になるような技術や経験も、貯金もない。鬱病になってから、人と会うことがとても怖くなり、誰かと一緒にやるような仕事ができない。

それでも、世界に出たい。


僕は図書館と本屋に1ヶ月間通い続け、そんな条件が叶う仕事を探し続けました。


そうしてわかったのは、何か特別な能力や技術がない人間が旅先で稼ぐには、

 1.株をやる。 

 2.Fxをやる。

 3.アフィリエイトをやる。

という、3つの選択肢ぐらいしかないことがわかりました。


株は「長期的な視野」に立たないと失敗すると多くの人が言っており、

Fxは「リターンは大きいがリスクも高い」ということで、全財産を擦った人の経験談に恐れおののきました。

アフィリエイトは胡散臭かったのですが、「収益を上げるWEBサイトを作る」というビジネスモデルはいいなと思いました。WEBサイトを運営するのは、年に数千円もかからないですし、資金が少なく始められ、旅資金を稼げるだけの収入も得ることができる。


他に選択肢のなかった僕は、この仕事を選ぶことにしました。



まあ、驚くほど稼げない。

ということでアフィリエイトの教材を買って、

サイト作成ソフトを買い、サイトを作ってみるのですが、


まあ、驚くほど稼げない。


最初の1ヶ月はもちろん0円。2ヶ月目も0円。

3ヶ月目でようやく報酬が入ったのですが、これが320円。

1日8時間、月に25日働いたとして、3ヶ月で600時間。つまり、


「じ、時給、0.5円....」


もうこの数字を見たときは泣いた。

あまりの自分のビジネス力のなさに唖然としました。


「あんた、最近なんかやってるね。何してるの?」

「い、いや...別に...なにもしてませんですよ?」

「まあ、動けるようになってきたのはいいけど、次どうするか考えないとねぇ。。。」

「そうですね...(アフィリエイトやってるなんで言えない)」

成果も出ないし、親の目も痛い。

身体が動かない大義名分はありますが、22にもなって実家にずうっと篭っているのも苦痛になってくる。

このまま同じことをやっても成果は出ない。貯金ももうすぐなくなる。

ここは無理やり社会復帰して、働く感覚を取り戻さなくてはならないと思いました。



無理やり社会復帰をするため、福岡の旅館に住み込んで働き始めた。

そんなときに見つけたのが、旅館の住み込みバイトでした。



「住み込み」というと工場や肉体労働のイメージが強かったのですが、長期休み期間は、旅館やホテルの仕事も数多くあり、北海道の孤島から沖縄まで、働く場所を自由に選べると知りました。


日本中どこでも住み着いて働けるというのは、将来海外に出たい僕としては、願ってもない仕事です。


「ここで、踏み出すしかない」と思った僕は、勇気を出してその日のうちに申込み、1週間後には仲介業者との面接。


2週間後には、福岡の志賀島という、海に囲まれたとある旅館のウエイターとして派遣されることが決まりました。



体育会系九州男児に囲まれて過ごした2ヶ月間。

福岡で僕を待っていたのは、よく日に焼けた体育会系の、九州男児たちが働く職場でした。

僕はレストランのウエイターとして働くことになったのですが、ホールでお客様に接するだけでなく、厨房とのコミュニケーションも必須。この厨房が、もう、絵に描いたような屈強な男たちで、常に怒号が飛び交っている。まさに「バンビーノ」の世界。


たとえば、厨房に食器を戻しに行くと、

「仕事なめてんじゃあねぇぇえぞぉぉぉぉぉおおおおお!!」

と料理長が怒声を上げながら料理人に飛び蹴りをくらわしていた。


「次またやたらくらすぞぉぉぉお!!」

「はい!すんませんした!!!」


唖然としながら周りを見ると、とくにみんな気にせず仕事をしている。これが日常風景らしかった。


もう、鬱なんて吹っ飛んだ。

頑張らなきゃ、まずい、やらなきゃ、やられる。


朝は早い日は6時前には出勤。夜は遅ければ12時くらいまで。旅館の裏手には寮があるのですが、従業員たちはこの寮から通うことになるので、きつい日はかなり長いシフトが入っています。初日からそんな感じで、もう変なことにうだうだ頭を悩ませる時間もない。とにかく仕事、仕事、仕事。


そして仕事をしながら、どうしてこれまでの自分は稼げなかったのか、ここを出たらどんなサイトを作ろうか、そして出国したらどんな生活を送ろうかということをずっと考えて、それをノートに書き留めていました。(寮はネットが繋がらなかったので...)


しかもこの志賀島、かなり交通が不便な場所にあって都会まで遊びに行くのも一苦労。結局2ヶ月間、遊びに行くことも滅多になく仕事をしまくり、40万円くらい稼ぎました。

(志賀島の砂浜。仕事がないときはよくここでぼおっとしていました。ここから眺める夕日はとても綺麗だった)


0からスタートしようと思い、日本で唯一の"スラム街"と呼ばれるあいりん地区へ

住み込みで貯めた40万と、貯金の16万を合わせて56万円

その全財産を握りしめて僕が次にやってきたのは、大阪・あいりん地区でした。


薄汚れた格好をした労働者と、浮浪者があたりまえのように路上に寝転がり、酒を飲み、喧嘩をし、いつもトラブルが絶えない日本で唯一の「スラム街」とも呼ばれる街。


僕がこの街を選んだ理由は

 ・日本で一番物価が安くて便利な街だから

 ・底辺から這い上がる経験をしたかったかから

というものです。


この界隈には1泊1000円程度で泊まれる宿が密集していて、居手続きは窓口に相談して空き部屋を確認、空いていればもう、その日から長期契約で入ることができます。


また、「パチンコ店のようなスーパー」として有名な「玉出」があり、

弁当半額タイムセールの時間帯をうまく使えば、1日500円でお腹いっぱいになることができます。(唐揚げ弁当が300円くらい)



学生時代に、大阪に遊びにきたときにこのことを知った自分は、いつか、何かあったら、ここに来れば暮らしていけるかもしれない、と思っていました。


また、一度人生に挫折してしまったのだから、もう一度0から始めたい。あいりん地区から這い上がるということは、そのわかりやすい証明だと思ったのです。



僕の部屋と仕事場です。


三畳のスペースには当然机は置けませんので、BOOK OFFで買ってきた100円本を積み重ねて机に。ここで胡座をかきながら、ひたすらにWEBビジネスに取り組みました。


1日24時間、月曜から日曜日まで、とにかくサイトを作り続けました。


指の骨が折れるほど、手首が腱鞘炎になるほど、手首に出来たマウスだこが擦り切れるほど、胡座のし過ぎで足腰の骨が歪むほど、ひたすらサイトを作り続けました。


なにせ全財産が56万円なので、1ヶ月7万円で暮らしたとしても、8ヶ月しか生きられない。貯金が尽きる前に成果を出さなくては、僕もまた、路上に転がる浮浪者のひとりになるしかない。


1ヶ月間頑張って、最初の報酬が320円。

2ヶ月目で、3000円。

3ヶ月目で、10000円ちょっと。


僅かずつですが、少しずつ成果がでてきました。


しかし、そんなことを言っても微々たる金額。

1日中仕事をしている。疲れたら寝て、起きたら作業してを繰り返して、繰り返し続けているのに成果が出ない。

「24年間も生きてきたのに、俺はこんなにも稼ぐ力がないのか...!」

その悔しさや劣等感に押し潰されそうになり、毎日「ちくしょう、ちくしょう」と叫びながらキーボードを叩いていました。



それでも、逃げるわけにはいかない。


それでも、諦めるわけにはいかない。


「社会に戻ればまたきっと、自分は鬱病になる。企業ではもう、生きていくことはできない。だから、この仕事で成功できなければ、本当に自分は生きる方法がなくなる」


そして、絶対に「出国したい」という情熱。それだけはどんなに辛いときも、消えませんでした。

「出国する、出国する、僕は絶対に出国する...」

その言葉を、何万回繰り返し唱えたかわかりません。


異国の街を事由に放浪し、仕事をし、恋をする自分の姿を思い浮かべながら、とにかく手を動かし、サイトを作り続け、気がついたら月収が20万円を達成していました。



2012年7月、ついに出国。


2012年7月25日、25歳の夏。

僕はタイ行きの航空券を握りしめて、成田空港にいました。


月収は30万前後で安定し、WEBサイトの運営を手伝ってくれる国内のパートナーも見つけ、PC1台あれば、外国でも自由に仕事ができる環境を手に入れることが出来ました。


もちろん、ただ「海外でも仕事ができる環境を手に入れた」だけで、向こうでも自由に贅沢な旅をすることはまだできず、仕事は続けなくてはならないですが、、、


この1年間で僕は、


タイのチェンマイでアパートを借りて、喫茶店で仕事をしたり、




各国の色んな飛行機に乗って飛び回ったり、




可愛い女の子とデートをしたり、


気分転換に荷物をまとめて、新しい街へと移動したり、


現地の語学学校にかよって、タイ語を勉強したり。


現地のイベントに呼ばれてなぜかスピーチをしたり。


これまでタイ、ラオス、ベトナム、イタリア、フランス、スペイン、ポルトガルの7ヶ国に住んできました。


旅をしながら仕事をし、お気に入りの街を見つけたら住み着いて、パソコンひとつで仕事をし、現地人と仲良くなって楽しい毎日を過ごす。旅と仕事が一致したライフスタイルを、だんだん実現することができるようになりました。


最初はアフィリエイト・ビジネスだけでしたが、今ではWEBマガジンを運営したり、Facebookのファンページを運営したり、「ひとりでもWEBで稼ぐ」仕組みを幅広く実践しています。


そして稼いだ旅資金で世界を飛び回り、Facebookやブログでその情報を発信。「世界を自由に飛び回る」というライフスタイルに共感してくれる仲間を増やし、彼らのライフスタイルをWEBで叶えるお手伝いをしています。



今つらい状況にいる方の、何か少しでもヒントになれば嬉しいです。

最後までお読みいただきありがとうございました。


追記:今回の記事が元になった本が、出版されることになりました。



★書名:「うつ病で半年間寝たきりだった僕が、PC一台で世界を自由に飛び回るようになった話

★出版社:朝日新聞出版

★発売日:2014年4月18日(金)

★値段:1400円+税

★著者:阪口裕樹(さかぐちゆうき)


こちらのストーリーがベースとなり、本を書かせていただくことになりました。


内容は、

・千葉の実家で半年間寝たきりだったときのこと
・自分の夢に決着をつけるため日本縦断した話
・異国の街に恋人を置いてきた、その悔しさを晴らすために起業したときのこと
・うつ病を克服するために九州の旅館で住み込み働いた話
・大阪あいりん地区に潜伏し、元ヤクザ幹部に人生を教わった話
・世界を自由に飛び回るためにWEBで稼ぐ力を身につけた話


など、このストーリーで中でお話しているものや学びについて書いています。よろしければご覧いただけると嬉しいです。


===


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