あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。
こんにちは!
個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口といいます。
僕は今の仕事をはじめてまだ稼げなかったとき、2011年9月~2012年4月まで、大阪・あいりん地区のドヤ街で暮らしていたことがあります。(詳しい経緯は「鬱病で半年間寝たきりだった僕が、PC1台で世界を飛び回るようになった話。」で書いてます)
そのとき、同じアパートで暮らしていた、とあるヤクザの元幹部である「中條さん(仮名)」という方にお世話になり、「仕事」というものについて、人生の指針となるアドバイスをいただきました。今日は、そのときのお話をシェアさせていただきます。
1泊1200円、三畳一間の部屋に籠城し、成果の出ない仕事に励む日々。
当時、僕は1泊1200円・三畳一間のカビ臭い部屋に籠城しながら、延々とWEBサイトを作り続ける生活を送っていた。
写真のとおり、机を買うお金もなかったので、BOOK-OFFで買ってきた本を積み重ねて台座とし、そのうえにノートパソコンを広げての仕事。
当然ながら稼ぎも0に等しくて、そんな経済状態であいりん地区に住んでいるものだから、もう自分がほんとうにどうしようもない人間に思えてきて仕方がない。
「ここに俺も混じってるんだよな...」と思うと、もう心臓が、ギリギリと音を立てて削れていくような気持ちがした。
余所者の僕は、アパート内でも居心地が悪かった。
外はもちろんのこと、アパートの中も居心地もなかなかに悪い。
特に風呂!
風呂は共同で、17時から23時までの間に、好き勝手入っていいのだけど、
一度、人が多い8時くらいに行ったとき、般若や鬼や孔雀や、今からどこ飛んでくの?ってくらい立派な翼や、そんな禍々しい刺青のおっちゃんらに囲まれたときはもう喰われるかと思った。
なので僕はいつも、みんなが上がった後、風呂が閉まるギリギリの23時近くにやってきて、シャワーだけ浴びてさっさと部屋に引き上げる、借りぐらしのアリエッティのような生活を続けていた。
でもここはジブリの世界じゃない。
僕が出会ったのは、元ヤクザの豪傑幹部・中條さんだった。
ある日、やたら元気なおっちゃんが風呂場に飛び込んできた。
やたら元気なおっちゃんが、風呂場に飛び込んできた。
風呂場が割れるようなバカでかい声で挨拶された僕は、一瞬、「俺か、俺に話しかけてるのか!?」と度肝を抜かれて固まった。
こんなことなら湯船になんて入らず、さっさと上がっておけばよかった、、、なんて思う間もなく、おっちゃんは身体も洗わず、バシャバシャと湯船に入ってきて逃げられなくなった。
あーやっぱり見られてるんだな、と思ったのだけど、不思議と嫌ではなかった。
おっちゃんは30代の半ばくらいで、筋肉質で背が低く、地黒で、顔は景気が良さそうにテカテカしている。労働者っぽく見えるけど、他のあいりんに住む労働者のような陰気な感じがない。ってか、笑い方が豪快すぎる。明らかに只者じゃないオーラが漂っていた。
この人には隠し事は通用しないなと思った僕は、思い切って、全部話してみることにした。
去年、鬱病になって仕事を辞めなければならなくなったこと。
「企業ではもう働けない」と思ったから、自分一人でもできるビジネスを立ち上げようと思ったこと。
お金はないものの、誰にも頼らず0から這い上がりたいと思ったから、誰でも受け入れてくれるあいりん地区のドヤ街を選んだこと。
お金はまだ全然稼げていないけど、近い将来は海外で生活をしたいこと。
そんなことをぜんぶ話してみた。
おっちゃんは楽しそうに僕の話を聞いて、ガハハ!と野太い声で笑った。そうかそうか、そりゃ頑張りや。最初は誰でも失敗するし、金も回らん。そこを乗り越えて一人前になるんやで。
ここに来て、はじめて聞いた優しい言葉に、なんだか泣きそうになった。
風呂場で「人生」について教わる日々。
おっちゃんのは中條さんといって、半年前からあいりんに越して仕事をしていると言った。
共通点があったよ!
共通点などなかった。
ってかあっさり、そんなドヤ顔で言っていいものなの?
ヤクザって俺、こんな人だと思ってたわ。
中條さん、ぜんぜん違うじゃん。
刺青だってひとつもないし、草野球でもやってそうなその辺にいる体育会系のおっちゃんじゃん。でも、だからこそ妙なリアリティがあった。
中條さんにヤクザの仕事を教わる
それに、出てくる話すべてが、突拍子もなかった。
たとえば、裏社会のビジネス。
「悪徳出会い系を運営して、月600万円を荒稼ぎする方法!」
とか。
「パチンコ店を半年間で乗っ取って、8億円の利益を上げるビジネスモデル!」
とか。
「僕はこれからどこかのパチンコ店に送り込まれるのではないか・・・」そう心配になるほどに、中條さんは詳細に教えてくれたのだった。
ヤクザの仕事についても色々教わった。
他にも、
奇天烈な大仕事から裏社会の仕組みまで、中條さんの話はいつも刺激的で面白かった。
もちろんそれは中條さんの一面にすぎない。僕には話すこともできない、悪行も散々やったのだろう。でも、そんなことはどうでもよかった。
僕は大阪には友達もいなかったし、鬱病になった時に携帯は壊してしまっていたから、気軽に話せるような人が誰一人としていなかった。中條さんはそんな生活の中で、唯一の話し相手になってくれた人だったのだ。
阪ちゃん、初詣に行くで!
あいりん地区のドヤに住み着いてから、あっという間に4ヶ月が経ち、2012年の1月。
そのときにはもう、僕もすっかりアパートに馴染んでいて、住民とは挨拶や世間をふつうに交わせるようになっていた。
夜、ロビーの人たちに新年の挨拶にいこうとすると、ロビーはガラガラ。
うろうろしていると、たまたま中條さんが部屋から顔を出してきて、「阪ちゃん、これから初詣行くで!」と言ってきた。
中條さんの車で住吉大社へ向かうと、境内はすごい人で賑わっていた。
なるほど、現場で働いているけれど、正月の仕事がないときは、アパートのみんなで露天を出して、荒稼ぎしてるのだとか。こうゆう人たちが祭りの屋台を出していたのかと、はじめて知った。
境内を歩いていると、色んな人が中條さんに声をかけてくる。また中條さんも、テキ屋の皆さんには顔が効くらしく、10mおきに誰かしらと楽しそうに談笑していた。
なんだか不思議と心地良い気がした。
参拝が終わったあとでラーメンをご馳走してくれることになり、車で京橋に向かった。
京橋の駅からそう遠くない、カウンターとテーブル席がいくつかあるだけの小さな麺屋だ。
中條さんは昔からこのラーメン屋にお世話になっているらしく、ここが成功している経営上の理由や原価や利益や、まるで店の中の人のような情報をいろいろ教えてくれた。
おやっさんが、「中條さん、勘弁して下さいよ」と笑っていた。僕は久しぶりにあたたかいものを食べた気がした。そのとき僕は貧乏の極地で、外食はもちろん、外でラーメンを食べるなんてもっての他だったのだ。
ラーメンを食べて外にでると、正月のキンと冷えた夜風が気持よかった。
「なんだか、自分の仕事なんて、ホントに小さいなーって思いますよ」
これまで、中條さんの仕事の話や、色々なビジネスの裏話を聞いてきた。
それは刺激的だったけど、いつも思っていたのは、「それに比べて、俺はなんて小さい仕事をしているんだろう」ということだった。
僕は、23歳のとき鬱病になって会社を逃げ出した。人と接するのが怖くなり、でも生きていかなくてはならなかったから、一人でもできるビジネスとしてWEBをつくる仕事を選んだ。
別にヤクザに憧れるわけでは全くないし、自分の仕事が嫌になったわけでもない。自分にはこの道しかないと思っていたし、自分の仕事を誇りに思っている。
それでも、人と触れ合う、人とぶつかり会う中で仕事をする人間の話を聞くと、羨ましくて仕方がなくなる時があった。僕はそれを、投げ出してしまったから。
世の中には本当に、たくさんの選択肢があるということを、良くも悪くも中條さんに思い知らされてしまった。まだ、僕は満足にお金を稼ぐことができなかったから、余計に、そうゆう世界への劣等感があったのだと思う。
ぼそっと、本音が漏れた。「どうしたんや、急に?」 と中條さんが言った。僕は素直に、感じていることを中條さんに話した。
中條さんは笑わなかった。そういえばいつも、僕の話を笑い飛ばしていた中條さんが、そのときだけは、真面目な、優しい顔をしていた。
「阪ちゃん、あのな」、
「はい」と僕は答えた。
即答だった。
中條さんはガハハ!と笑った。
あいりんからの卒業。
今思い返すと、僕が自分の仕事に疑問を持たなくなったのは、この時からだったと思う。
24時間仕事のことを考え、自分の夢を考え、周りの雑音を気にせず仕事に向き合うことができた。
その成果か、正月を超えてから急に運営していたWEBサイトの広告収入が上がるようになっていった。月10万円、月15万円と収入は右肩上がりに伸びていき、気がつくと、昔企業で働いていたときの給料以上の金額を、パソコン一台あれば稼げるようになっていた。
2012年4月、僕はあいりん地区を卒業した。
中條さんに最後の挨拶に伺うと、素直に喜んでくれた。中條さんのほうも、もうしばらくしたら別の仕事でここを離れるらしく、「まあ、何かあったら連絡せい」と連絡先を書いた紙を渡してくれた。その連絡先をコールする機会は、まだ、ない。
充実感のある仕事を続けてきて。
その年の7月、僕は日本を出国し、夢の第一歩を踏み出すことができた。
旅をしながら異国の街で仕事をすること。
旅そのものを仕事にするライフスタイルを叶えること。
アパートを借りて暮らしたり、語学学校に通ったり、現地で恋人を作ったりすること。たった一人でも、企業や組織に属さなくても世界を飛び回るライフスタイルを実現できるのだと証明すること。
そんな、あいりん時代に思い描いていた生活を、この1年半でだんだん叶えることができてきた。
でも、時には仕事に迷ったり、行き詰まったりする。勇気が出ずに足踏みしてしまったりする。
そんなとき、僕は中條さんのあの言葉を思い出す。中條さんの腹に響く力強い声と、全てを吹き飛ばすような笑い声を思い出す。
あなたは、どう答えますか?
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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僕は今も世界を飛び回りながら、仕事をする生活を続けています。
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