誰にも言っていない、僕が地域おこし協力隊として山形に移住した本当の理由。

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『やまおこし』のことが頭の片隅に残ったまま海外に行く準備を着々と進めていた頃。

ワイン会という社会人サークル?で仲良くなった友達が、東京から岡山県の西粟倉村に最近移住したと聞いていたので、遊びで西粟倉までワインを飲みに行った。

その友達はシェアハウスを運営しながら地域に根付く活動のスタートを切ったばかりで大変そうだったけど、住み始めた西粟倉村を丁寧に案内してくれた。

西粟倉は、廃校を殆どそのまま利用して森の学校という間伐材を利用した木材加工品を作っている会社が最近スタートし、僕より若い大阪出身の女の子がそこで働いている。

また、地震災害が少ない村として、3.11以降に移住してきた人が増えてきていた。

「若いのになんでこんなところで?」と思っていたけど、雇用という受け皿があるし、育児目的で移住してきたことを聞くと、少し頭の整理がついた。

鳥取県八頭町というところで地域おこし協力隊として働いている女の子も紹介して貰った。

そこで初めて地域おこし協力隊という制度を知った…


西粟倉で出会ったのは、実際に田舎に移り住んで働いている人、しかも若い人たち。それぞれに目的があってやりがいをもって、生きがいを持って生きていて、なんだか羨ましかった…

この出会いがキッカケで『今の若い人にとって、生きるように働ける場所が田舎にあるんじゃないか?』という仮説を建てることになる。

実は、岡山にいきたかった。
その後、西粟倉村の隣の美作市というところが地域おこし協力隊を募集しているのを知って、仮説を深堀りする為に今度は美作市を訪れた。

2013年に美作市が募集していた地域おこし協力隊は5つの地域で7人。

事前情報として既に実績を上げていて有名な梶並地区の山村シェアハウス上山地区MLATの棚田再生事業があったし、村楽LLPという地域おこし協力隊のプラットフォームを形成している東さんという方がいて、人にかなり恵まれている環境。

そんな方々と遠からず近からずな位置で関われると思い、東粟倉・小房地域というところを2日間、アポなしでリサーチして回った。

始めは何もないところから『地域おこし協力隊』を切り口に歩いている住民、個人商店から情報を集め、拾った情報をキーワードに数珠つなぎに人を紹介してもらい、おもちゃ村、地元の温泉施設、農家民宿、最後には地区長さんのお宅にまでたどり着く。

そこには50歳以上の人でも今の地区の状況をつぶさに把握し、問題意識を抱え、前向きに地域おこしに取り組んでいる人たちがいた。

初めて出会った人がスキルも何もない僕を必要としてくれて嬉しかったし、『協力隊にも協力してもらいたいしゼヒ頑張って来てほしい!』というお話まで頂き、「これしかない!」と思えた。

地域おこし協力隊になりたいという想いが確信に変わっていくようだった。

関東に帰ってからは拾った情報の中から自分ができること具体案を整理し、美作市の地域おこし協力隊になるために書類審査・面接の準備を始めていった。

友達にも「俺、岡山行ってくる!」と宣言し、次の行先がまだ確定していない2013年2月初めの時点で会社に3月末で退職する意思を伝え、受理されていた。

それぐらい自信があった。

結局は岡山へ行けなくなってしまうのですが…

行けなくなった岡山、待っていた山形。

田舎で感じたマンパワー不足。
都会への人口流出が絶えない中で、村の将来を作っていくことが難しいと感じた僕は、地域に住み込む魅力を感じて貰いながら生きていく手段(仕事)を掲示する『山村留学』というのを考えた。

1週間~1か月のある程度長いスパンで体験的に住み込みながら、農作業の手伝い・草刈りなどで賃金を稼ぐことを実践して貰いながら地域行事に参加する。それプラス、地域の不動産情報や耕作放棄地の情報、仕事の情報、生かせる資源の可能性などもその場で共有していける仕組み。

精神的にも経済的にも田舎に住めることをイメージできるようにして、そこに住むことを将来のプランに入れて貰えるようなサービスの提供…

先ほど紹介した山村シェアハウスが、山村ワーホリという形で既に仕掛けている。ニッチかもしれないけど、そういうニーズは存在していることの証明。

地域によって特色も人も違うので、受け入れ態勢を整えてあげればそこに価値は生まれると思った。後々のマネタイズも考えていた。

やったことが無いので根拠は無いけど、『これは絶対いける!』と思って、その提案を武器に美作市に応募したら書類審査は通ったので面接に挑んだ。
が、結果は不採用…

「マジありえねぇ!!!」

美作市の地域おこし協力隊になるために、岡山に行くこと計3回。
使ったお金:約8万
使った時間: 岡山滞在時間:合計6日 準備期間:2週間

「時間と金を返せ~!」

なんて言っても結果は結果。
来年まで待っていられないので次に行くことにした。
実は美作市と同時進行で、僕の生まれ故郷の山形県も受けておこうと思って鶴岡市に応募していたんです。山形には小さいときから何度も連れられてきてよその田舎よりも想い入れが強いし。

鶴岡市との出会いは総務省のJOINのイベントで、全国の地域おこし協力隊を募集する自治体からの説明会が東京で開かれた時。

受け入れ先が大鳥ということと、自然の家があることだけはネットで調べていたけど、岡山にリサーチをしに行くだけの時間も無かったので、それ以外の情報は皆無。

だけど、山形に対する思い、田舎に対する思いをひたすらぶつけたら想いが通じたのか採用して頂けました。

面接なんて何が良くて何が悪いのか、良くわかりませんね…笑

この先どうなるか全然分からないけど鶴岡市でスタートを切った今はただひたすらに、がむしゃらに動くだけ。

地域おこしのこれから

人口減少で、このままいけば廃村が益々増えていくと国土交通省の資料に書いてあります。

今の都会的システムじゃ稼がないと暮らしていけないし家族を養っていけないので出生率は低いまま。2050年には9000万人になると言われています。

日本が潰れたりしない限り、革命のような劇的な変化がもたらされることも無いと思う。

だからゆっくり日本人口が減るし、残念だけど廃村は増えてくると思う。

海外シフトはドンドン加速しています。

格安航空券が出てきて海外に驚くくらい安く行けるようになった。

語学を学ぶんだって、フィリピンやフィジーの英語留学を使えば安いし、インターネットでも格安で英語のレッスンが受けられる。

海外へのハードルはドンドン下がってきている。

アジアのマーケットはまだまだ成長していくし、日本にある仕事はアジアの易い労働力に取って代わっていく。

今のままであれば、更に搾取されていく人が増えていく。

でも、100年後に日本が無くなると思いますか?

それは無いと思います。

海外シフトがある程度行き着いたら、日本の食や、地域の伝統文化が見直されていくんじゃないかな~って。

昔の日本人は大地に根を張って、山や海と共に暮らし、文化を築いてきた。

お茶であれば茶道。書き物であれば書道。生け花であれば華道。

普段の生活を洗練し、文化にしてしまう力が日本人にはある。

環境もそう。

一度山に入れば世界一キレイな水がそこら中に流れている。その水を受け、田んぼや野菜を育てているから美味しい。

海にいけば、生で食べられるような魚がウヨウヨいる。

いくら海外から安い野菜や米や魚が入ってきたって、スーパーに行けば国産のモノが大半を占めているのは論より証拠。

そんな日本の中で生きている僕たちは、きっと世界中に通用する力を持っているし、世界が羨む環境を持っている。

だから、日本の地域が見直される未来が来ると信じて、世界の中の日本、日本の中の山形、山形の中の鶴岡、鶴岡の中の大鳥と、本当に小さな小さなところではあるけれど、地域に人が住めるようにするための土台作りを少しずつしていきたい。

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