自由を求めて 「異質」からの脱出編

 タイトルほど、そんな大げさな話じゃない。何か少し、吹っ切れたり自由を感じたりしただけのこと。
 あれは、仕事の一環でやっていた読書レポート集づくりで、芥川龍之介の『鼻』を読んだときのことだ。
 読んで直ぐに頭に浮かんだことは、映画『Forrest Gump(邦題:フォレスト・ガンプ/一期一会)』と小説『アルジャーノンに花束を』のストーリーだった。それから、幼少期とその後の自身の経験が織り交ざって頭に浮かんできた。
 映画『Forrest Gump』の主人公フォレストと、小説『アルジャーノンに花束を』の主人公チャーリーは、いわゆる知的障害といわれてしまうやつだ。『鼻』の主人公である内供は、このチャーリーを思わせた。周りからの「力」によって自分自身を変え、その結果、不幸になる点が似ている。
 一方でフォレストは、チャーリーや内供と違って、自分を変えることが一切ない。例えば、もっと幸せになろう、自分はああなりたい、とフォレストは考えない。それでも映画では彼が不幸になることはなく(辛そうなシーンはあるが)、フォレスト以外の登場人物の方が不幸に陥り、苦しむ場面が印象に残っている。
 内供もチャーリーも、周りから「異質」というレッテル貼りが行われ、内供は自ら、チャーリーは他人によって、レッテル剥がしにもがいているように思えた。これは私自身も経験があるように思った。幼少期をアメリカで過ごし、その後、日本で生活することになるのだが、来日直後は何かと特別扱いされた。
 まず、学校へ途中から入ることになったために、クラスの皆の前で紹介される。転校生の自己紹介ってやつだ。ああいうとき、先生からも帰国生であることを特別視されるのが子供心に嫌で、ああいう自己紹介は今でも好きじゃない。どうも嫌な思いをした記憶がある。
 例えば「英語を話してくれ」「朝は何を食べるんだ?」などと質問攻めにあい、素直にそれに応えるように英語で挨拶をしたり、「朝はパスタだった」などと答えたりしたことがあった。すると、「やっぱりアメリカ帰りは違うなぁ!」と「異質レッテル」を貼られていたんだなと思う。
 当時、初めのうちはそれほど嫌に感じることもなく意識もしなかったが、無意識にいつの間にかアメリカの話はしないようになっていた。ところが、中学、高校、大学へと進学するにつれ「異質」レッテルをはっきり意識せざるを得なくなった。それは特に、英語の授業と、友人らとの付き合いの深まりからだった。
 英語の授業や試験で不正解があったり、教師や周りと発音が違って「なぜアメリカ人の真似をするのか」と言われたりすると、ひどく落ち込んだものだった。
 また、個人的なクセや習慣の違いが原因と思われるような友人らとの摩擦も、「アメリカ帰りだから、癖があるよなぁ」といった具合にレッテルが貼られ、心の成長とともに強く自分は異質だと思うようになった。この時期は「異質レッテル」を剥がそうと苦しくもがいていたように思う。
 それから大学へ進学し、映画『フォレスト・ガンプ』や小説『アルジャーノンに花束を』と出会い、ありのままを受け入れる大事さを考えるようになり、自分が皆とは違うことを受け止められるようになった。
 特に文化人類学や古典文学、語学や教育学、国際法学など、大学の教授や友人らと学び、語り合ううちに、世の中は不平等で同じ人間などいるわけもないという当然のことに気づいたと思う。意識するようになったというのかな。
 大学のラグビー部やパラグライダー仲間とは、子供の頃とは異なり「アメリカ育ち」を率先して話すようになっていた。アルバイト先のワインバーやレストランでも、それは特徴であり、個性であり、自分にしか使えない道具として、客や仕事仲間との関係づくりに使おうと考えるようになっていた。そして社会は、多種多様な人々で成り立っていることを考えれば、ありのままを受け入れることと社会性を保つことは矛盾しない。つまり「異質」だから周りとうまくやれないなんてことはないのだ。
 仕事の一環で『鼻』を読んで改めて思うことは、この世界は皆違っていて不平等なのだからこそ、対等な社会を目指すべきなんじゃないかということ。皆違うのだから、鼻が長いも短いもない。勝手に人間が用意したカテゴリーの中に、その「人間」が入るか否か考える時間があるんならば、ありのままの姿で社会をつくるにはどうすれば良いか考える時間にするべきだ。鼻が長くても短くても快適な社会をつくる時間に。
 今、もうひとつ、別の映画のシーンを思い出した。中世スコットランドを舞台にした映画『Braveheart(邦題:ブレイブハート)』で、主人公と敵対するイングランド王の使者が、争いをやめて投降すれば、その引き換えに金銀と土地、末代永続の爵位を与えると申し出るシーンがある。
 「こうして平和をつくっていくのだ」という王の使者の言葉に対して、「そうして奴隷をつくっていくのだ」と反論する主人公の、セリフの一節。「神の創造物に、人は何も与えられない(I have been given nothing. God makes men what they are.)」。

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