聴く琥珀と飲むルビー バッハのバイオリンパルティータ編

 琥珀といっても宝石のことじゃない。聴く琥珀とは、バイオリンのこと。
 あれは、J.S.バッハの「無伴奏バイオリン・パルティータ第3番の前奏曲(Johann Sebastian Bach 1720 “Preludio” from Violin Partita No.3 in E major, BWV1006)」を聴いたときのことだった。
 音楽家バッハについては、ここで説明するまでもないだろう。曲も、ここで語るより実際に聴いてもらった方が良い。その旋律は一度や二度ならず、どこかで聴いた覚えがあるかもしれない。バイオリン独奏の楽曲として、あらゆる演奏家による様々な演奏が300年近く続く、古今の名作の一つに数えられる。また、バッハ自身によるリュートへの編曲(BWV1006a)、ラフマニノフによるピアノ編曲もされている。私にとっては、ある友人を思い出させ、その象徴にもなっている。
 この曲を聴いては、「夢は実現するものだ」と思う。目に見えない物、事、様の具現化には想像力が不可欠だろう。これは非常に人間的な行為といっても良いかもしれない。しかし、目に見える「形」は時間と共に変化し、失われるものだ。
 それでも大事な「モノ」は見えずに残される。少なくとも300年は失われない。目に見えない「モノ」を具現化し続けること、その実現に向けて努力することが、人間らしい生き方というのかもしれない。
 実は私の母と叔母がピアニストだったこともあり、その実家には立派なピアノが、グランドとアップライトとそれぞれあり、古い楽譜やら音楽教本などが山のようにあった。しかし初めて楽器に興味を持ったのはピアノではなく、幼い頃に聴いたバイオリンの生演奏だった。
 その演奏家であった友人が見せた、いつものふざけている時と違う真剣な表情も印象的だったが、思い返せば何よりもバイオリンの音に魅了されていたように思う。(もう少し思えば、子供の頃に好きだったTV番組のテーマ曲がブルーグラス だったことが影響しているかも…)
 将来の夢は音楽しかないと語っていたその友人は、その後、音楽科の学校へ進学した。私自身は普通科へ進学し、さらに引越しも伴って会うこともなくなったが、しばらくは手紙をもらった。
 そこには、変わらず音楽を学んでいること、日々の苦労と夢の実現に向けて一心に努力していることが書かれていた。その姿を想像すると、不思議とうれしく、じっとしていられなくなったものだ。それからは、互いに目の前のことで精一杯だったのだろう。いつしか手紙は来なくなっていた。こちらから書こうとも思わなくなっていた。
 そうしていくつも季節が過ぎ、時が流れたある日のこと。偶然にも友人を、ある舞台で見かけた。きれいな衣装に身を包み、ライトを浴び、楽器を弾いていた。曲が終わると客席から多くの拍手喝采を受け、サインまで求められていた。
 私にとって、あれほど誇らしい瞬間はなかった。友人が夢を実現させただけでなく、多くの人々を楽しませ、笑顔にしている瞬間を目の当たりにしたのだから。うれしさのあまり、周囲を押しのけ、舞台上の友人に駆け寄って声をかけた。
 しかし、友人は私のことを覚えていなかった。
 それ以来、私と友人の関係の「形」は「友達」ではなくなった。最後に聴いた友人の演奏であるバッハのバイオリン・パルティータは、演奏家や楽器によって印象が変わるが、その華麗さと明るさ、かけがえのない友人の象徴であることは変わらない。
 今もまだ、私と友人の「形」は失われているが、目に見えない「友情」は私が確実に持っている。この友情が具現化できれば、関係の「形」はなんだって構わないのだ。

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