バンドをやっていた時のこと、音楽遍歴、あれこれ・その7

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 さて、このような中で私も大学3年生となり、ギターは自宅でちょこちょこと弾いていたものの、バンドには全く縁がなく、このころになるとバンド演奏は完全に諦めていた。 

 ところが、そんな中、突然ではあるが、思いがけない形でバンドに入ることとなったのである。たまたま、以前から親しくしていた地元の先輩と話をしていたのだが、この先輩は地元の社会人で構成するバンドでギターとボーカルをやっており、私も機会があればバンドで演奏してみたいという話をしたところ、先輩はボーカルに専念したいから、じゃあお前、オレの代わりにギターでこのバンドに入らないか、という話になり、この私をバンドに推薦してくれたのである。このバンドは社会人で構成されていたので、練習時間もメンバーの都合を調整しながらやっていたので、私も活動できないこともなかった。

 その後、オーディション的にバンドと音合せしたところ、最初にもかかわらず、すぐに息のあった演奏ができ、結果は即合格。こうして、生まれて初めてバンドというものに加わることができたのである。私は中学時代に抱いた夢を7年かけて実現することができ、本当に嬉しかったことを覚えている。

 しかし、夢の後には現実が待ち構えている。私がこのバンドに加わった直後、それまでベースをやっていた人と、もう一人のギターの人とが、理由は定かではないが、急遽脱退してしまった。そのため、残されたのは、リーダー(ドラム)、先輩(ギター、ボーカル)そして私の三人となり、仕切り直しとなった。そこで、リーダーの知り合いのギターの人を新たに加えたのだが、ベースはなかなかいないようで、すぐには見つからなかった。そこで、唐突だが、私がベースをやることにしたのである。私は以前からビートルズのポール・マッカートニーの影響でベースにも興味があり、ベースもやってみたいと思っていたからである。しかし、元々ギターということで採用された私が、バンド加入直後にベースに転向したことは、この10年以上先になって矛盾として顕在化することとなる。

 その後、さらにバンドにキーボードも必要だろうということとなり、リーダーの行きつけの喫茶店でアルバイトをしていた女性をキーボードに加えることとなった。そして、女性一人では心細いだろうということで、同じく、この喫茶店でアルバイトをしていたもう一人の女性(以下女性Bという)をボーカル兼コーラスとして加えたのである。こうして、バンドは、ドラム(リーダー)、ギター兼ボーカル(先輩)、もう一人のギター、ベース(私)、キーボード、コーラス(女性B)の6人体制となった。

 今思うと、このバンドは練習環境にも非常に恵まれていた。というのは、バンドリーダーがある喫茶店(前述の喫茶店とは別)の店の人と懇意になり、その喫茶店がバンドの練習会場として、店を全面的に貸してくれることとなったのである。そして、ドラムセットやアンプも店内に常駐させ、我々はギター類だけを持っていけばよかった。店としても、店内にドラムセットやアンプがあることで、客寄せになると考えたのであろう。練習は週に1、2回、喫茶店の営業後に行い、根を詰めて練習したので、演奏技術もすぐに向上した。

 そして、結成から数カ月後、さらに他の数バンドを集めて、大々的なライブイベントをその喫茶店で開催することとなった。

 イベント当日、私は非常に驚いたことがあった。というのは、こういう場合は、いわゆるPAセット、すなわち、マイク、マイクスタンド、ケーブル類、アンプ、ミキサー、モニタースピーカー、そしてフロントスピーカー等のセットが必要で、それも大掛かりなもので、それぞれにかなりの数が必要である。

 普通はこういったセットは楽器店等に頼んでレンタルで借りることが多いのだが、驚いたのは、バンドリーダーはこれら大掛かりなものを個人の持ち物として一式所有しており、これらをイベント会場に持ち込んできたことである。

 練習のときは簡易的な小さなPAセットでやっており、また、私もバンドリーダーがそういった大掛かりなセットを持っているというのは聞かされていなかったので、次から次へと運びこまれるセット類を見て、私はともかく驚いた。また、バンドリーダーの知り合いも駆けつけ、この知り合いの方がこれらのセットを手際よく組み上げる姿にも驚いた。

 このように大掛かりなPAセットをバンドとして持っているというのは、バンド活動においては大変に大きな利点をもたらす。なぜなら、演奏会場に電源さえあれば、いつでもどこでも演奏しに行けるからである。後述するかもしれないが、その後、実際に公民館、屋外、その他普通の会場といったところに、PAセットを持参して演奏しに出かけた。

 しかし、PAセットを自ら運び、自ら組み上げるというのには欠点もある。前述のように、本格的なPAセットは大掛かりであり、必要な機材類はおびただしい数になる。これらはバンドメンバーの車に分散して載せて会場に運ぶのであるが、車への積み込み、運び出し等の作業自体が面倒であった。

 また、PAセットの組付けは会場ごとに変わるし、専門的知識も必要であり、マイク、ミキサー及びアンプを単にケーブルでつなげればよいというものではない。つないでも、音自体が出ないとか、狙ったいい音が出ないとか、そういったこともある。

 そのため、意気込んで演奏しに出かけても、PAセットの組付けだけに時間を取られ、リハーサルの時間がなく、ぶっつけ本番に近い形で演奏したとか、そういうこともあった。今だから言えるが、演奏の質を上げるには、こういうやり方はあまりいいものとは言えなかった。

 ともあれ、喫茶店を使っての最初のライブイベントは大勢のお客さんが入って大成功を収め、私も生まれて初めての人前でのバンド演奏であり、中学時代にビートルズを見てバンド演奏を志してから8年越しの夢がようやく実現したのである。

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