教育実践とテクノロジー

1.eポートフォリオ編

 先日(2012年12月15日)、日本教育工学会研究会に参加した。今回の研究会のテーマは、「eポートフォリオの活用と普及」であった。そのため、教育分野におけるeポートフォリオの活用に関し、多くの発表があった。中でも、eポートフォリオを用いた教育実践の報告は、私にとって、非常に興味深く、また、参考になる点も多かった。しかし、一方で自身の教育観を実現するための手段としてeポートフォリオが用いられているのではなく、eポートフォリオを用いること自体が目的化しているのではないかと感じられた報告もあった。
 教育実践において、eポートフォリオを利用した際に得られる効果として次の三つが考えられる。
1)リフレクション促進効果
 eポートフォリオに自身の学習計画、学習内容を継続的に記録することにより、学習に関するリフレクションが促進される。
2)経験・思考整理効果
 eポートフォリオに蓄積された学習計画や学習内容を整理することにより、学習に関する自身の経験や思考も整理される。
3)学び合い効果
 お互いの学習計画や学習内容を参照し合ったり、お互いにコメントし合ったりすることにより、更に学びが促進される。
1)2)は、主に自律学習に寄与する効果であり、3)は、協同学習に寄与する効果である。しかし、いずれの効果も必ずeポートフォリオを活用しなければ得られない効果というわけではない。つまり、eポートフォリオは、自律学習や協同学習に必須の要素ではない。あくまで活用することにより、自律学習や協同学習がより促進されるかもしれないというツールの一つに過ぎない。しかるに、いくつかの報告においては、まずeポートフォリオを使用することありきで実践がデザインされているような印象を受けた。
 誤解のないように言っておくが、私自身は、教育実践にテクノロジーを活用することに肯定的である。むしろ、「使うことで、教育実践が「よりよく」なるんやったら、なんでも積極的につこたらええやん」と考えている。が、一方でテクノロジーを使うために教育実践があるわけではないことを忘れてはならないと思っている。テクノロジーを活用する前に、まずは、なぜこのテクノロジーを使用する必要があるのか、このテクノロジーを使用することは、自身の教育観とどのような関係があるかを考える必要がある。たとえ面倒でも、やはりそこから始めなければ、教育実践においてテクノロジーを活用する意味はない。

2.デジタル教科書編

 先日(2013年2月10日)、日本デジタル教科書学会 新潟支部主催の「Edu×Digi Festa Niigata 2013〜新潟からデジタル教科書を語ろう〜」に参加した。
 日本デジタル教科書学会は、「デジタル教科書・教材やそれを活用した実践について、学術的に追究し、我が国の教育のこれからの発展に資すること」を目的に立ち上げられた学会である。ここで言われている教育とは、もちろん学校教育のことであり、(私のフィールドである)日本語教育とは実践のフィールドが異なる。しかしながら、情報通信技術がどのように実践をあり方を変える可能性があるかという点で何か参考になる点があるかもしれないと考え、参加することにした。
 本会は、次のような構成で行われた。
【第一部】
 シンポジウム「新潟からデジタル教科書・教材の未来を発信する」
 <デジタル教科書・教材の実践の可能性と課題>
 <デジタル教科書・教材の可能性>
【第二部】
 研究&実践発表「新潟発!学習者用デジタル教科書・教材実践」
以下、私が会に参加していた際に考えたことを、その際に行ったツイートを交え、紹介する。(※ハッシュタグが設定されていたため、話をききながら、twitterでつぶやくことができた。デジタル教科書学会らしい試みである。)
 【第一部】をききながら、私は次のようにツイートしている。

デジタル教科書は、個別学習や協同学習を行う際に、力を発揮するのでは?教育実践として、従来の知識教授タイプの授業が想定されているのであれば、デジタル教科書を使用する必要はないのでは?
教師も含めた学び合いのコミュニティを形成する重要性。知識を保持することで教師の権威を保てる時代ではない。
【第一部】を聴きながら、私は次のような感想を抱いていた。デジタル教科書は、情報を探したり、情報や思考内容を仲間と共有することを容易に可能にする。デジタル教科書を活かすためには、個別学習や協同学習の導入が不可欠ではないか。つまり、デジタル教科書を導入するとは、一斉授業から(寺子屋のような)個別・グループ学習への転換と不可分ではないか。
 しかし、【第二部】を聴いたところ、どうもそういった教育像の転換が共有されているわけでもなさそうであることがわかってきた。【第二部】をききながら、私は次のようにツイートしている。

ここまでに「アナログも大切」という発言が何度もあった。この発言は、わかるようで、よくわからない。1)アナログとは具体的に何を指しているか。2)なぜアナログも大切か。
デジタル教科書が知識や思考の共有に有用であることは疑いない。それが前提ならば、教育実践において、協同学習をどのように位置づけるかという議論なくしてデジタル教科書に関する議論を行うのは難しいのではないか。(私が議論の前提を共有していないだけかもしれませんが)
【第二部】で紹介された実践例は、私が見たところ、知識教授タイプの授業の中で主に教師の利便性を高めるための手段として用いられているような印象を受けた。(例えば、教材配付の際、紙を何枚も配らなくてすむといったような)
 デジタル教科書の学校教育への導入は、政府が旗を振っていることもあり、もはや既定の路線とのことであった。しかし、技術の導入が目的になってしまっては、せっかくの技術も活きてこない。やはり、何を目指したどのような教育を目指すかという理念が先にあり、その理念を実現するための手段として技術を用いるべきであろう。何を目指したどのような教育を目指すかという議論の中で論じられてこそ、デジタル教科書という存在は、教育や学校のあり方を問い直す契機となる。

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