あの時介護の心得を知っていたら・・・お父さんごめんなさい!

私が産まれた時



  

 私が産まれた時は、祖父母がいて、伯父、伯母がいて、みんなに祝福されて

 家族に愛されて幸せでした。

 みんなに、可愛がられ、怒られ、遊んで貰い、教えて貰い・・・

 そうして大きくなりました。

 そして近所の友達と遊んで、喧嘩をして、一緒に学校へ行き、

 担任の先生や、校長先生と遊んで貰い、可愛がられ、教えて貰い・・・

 中学生になり、高校生になり・・・


   

そうしてもっともっと大きくなり


社会人になっていきました。

私が、そのようにして大きくなるにつれて、祖父母や両親、伯父、伯母は

結婚をして別の家庭を持ったり、亡くなったり、老いていったりと、環境は随分変わりました。

環境が変わるにつれ、私も変わらなければいけません。

頼る人がいなくなる、可愛がってくれる人もいない。

依存から自立をしないといけません。


ですが、急に生活を変えるのは難しいですネ。

でも、準備段階がしっかりしていればスムーズにその位置まで行けますよネ。


私は良かった!


その準備段階というのが、周りの大人たちに囲まれて育った環境です。

その環境の中で、私は愛情豊かに愛され、色々な事を体験したり、学んだりしました。


お陰で、家族から離れて社会人になっても、

スムーズに、立ち止まる事なくこの歳まで幸せに生きる事が出来ています。


     

そして今度は、私がみんなに、今までの恩返しをする番です。

今までは、受け入れる方でした。

愛されて、怒られて、遊んで貰って、教えて貰って・・・

今度はお役に立たさせて頂く方です。

私がしっかりお役に立つまでに、私の両親は待ってくれなかった。

もっと早いスピードで学んでおけば良かった。

然し、人生とはそういうもので、それはそのことに意味があったと思います。

両親には役に立たなかったし、心配ばかりかけたままでしたが、

私が元気でいる事に喜びを感じてくれていたので、

人の役に立つように気づけばそれで満足してくれるような気がします。

その気づきを得させる為に、待たずして旅立って行ったと思います。



然し、あの時私が介護の心得を知っていたら・・・・とは今でも思います。

これは私の体験を通じて、

皆さんには、悔いない人生を送って頂けるなら、という思いから書き留める事にしました。


私が産まれた時は、27歳でバリバリの実業家だった父も、晩年は人並みに老いていきました。

そうボケていったのです。

こんな言い方は人にはしません。

今は人権が取り沙汰されて。〇〇が不自由な方とかの表現を使わないといけません。

今流に言えば、認知症や、アルツハイマーなどですが、

症状に合わせて細かく分類されています。

父はそんな病名はなかったので、私はただボケていったと思っています。

治療目的ではないので、病名は関係なかったのです。

父とは27歳違いですがその頃は、私も仲間入りしてもおかしくない年齢になっています。

最早ボケ老人同士のような感じです。(笑えます)

TVを見ていても、「あれは誰々や!」と知ったかで、知ってるのを自慢げに言うのです。

私は「違うやん!あれは誰々やん!」と勝気な私は譲らず、言い合いになり・・・父は負けます。

全てそんな調子で、父はボケていても私の事を考えていました。

勝気な私の言うことを優先して負けてくれたのです。

父の子供といっても、それなりにいい歳をしているくせに・・・

思いやりの欠片もなく自己中でしたネ(笑)

その私が、介護の勉強を始めて、知識や、対応などを知っていくと恥ずかしくなり、

父に悪い事をしたなぁと・・・その時の父の気持ちになると・・・ごめんなさい。

本当に後悔先に立たずです。

歳を召された方は、それなりにその歳まで人生を歩んで来られた。

そこまでになるには、色んな事があった筈。

そこまで生きて来られただけでも凄い事です。

山あり、谷ありを乗り越えて来られた方です。

その人の中にはそのノウハウがたっぷり詰まっています。

それは生きていく為の知恵です。

知恵がたっぷりある人に対して、何の知恵もない若輩が偉そうに見下して・・・

自分の方が偉いと勘違いして・・・本当に恥ずかしい事です。


        

皆さん、私がこのような思いになったのは、急にではありません。

介護の勉強をしてからです。

そうでないと、未だに気持ちは同じだったと思います。

気づく条件がないからです。

今の状態、環境に満足している内は、気づきは得られないと思います。

私の場合は、偶々妹のお陰で勉強をする機会があったので、これも又感謝をしています。

老いて益々勉学に励んでいる次第です。

勉強をするという事は自分を高めてくれますし、理解、把握すると優しくなれます。

私の勉強というのは、介護の勉強です。人間のあり方です。

数字を追って勉強をしても、地理が解っても、歴史を勉強しても、直接的には、関係ありません。

人間とは?について勉強をすると自分もやがて老いてくるし、その時の対応はどうしたらいいか?

などの勉強は、人に向かう介護がいいと思います。

同じ人に向かう勉強でも、医学の場合は命を救う病気に目を向けています。

生身の生きている人間にどう対応すればいいか?などは介護の勉強が一番だと思います。

もう一つの対人サービス業で学校もありますが、今の学校体型では望み薄です。

私の小さい頃のような、

先生が、子供との遊びの中から学ばせるというような環境になっていないから、

人に対する勉強は、無理です。

困難に立ち向かわずに困難を避けていく体制にあります。

何かが発生した時にそれを乗り越える力を育てようとはしません。

困難を乗り越える方法は教えません。

そんな学校には、基礎知識だけ教えて貰えればいいです。

出来るなら、学校には生徒を一人の立派な人間に育て上げる使命を持って欲しいですが・・・

現実は儚い夢です。学校の崩壊です。

事なかれ主義、自己保身がまかり通っています。

自分の学校では何も起こって欲しくないのです。

何も起こらず穏便に済めば万々歳です。

そうではなくて、世の中は色々な人で形成されているのだから、

何が起こっても不思議ではありません。

その時にどう対処、対応するかが問われるのですが・・・

サラリーマンと化している現状では望む術はありません。

先生という名前も変えて欲しい位です。

という事で介護の勉強をする事をお勧め致します。

これは、皆さんに介護の仕事を勧めている訳ではありません。

仕事はご自分のお好きな仕事をなさって、勉強だけされたらいいと思います。

仕事もしないのに勉強をするのは抵抗があると思いますが、、

みんなは決して一人ではないという事です。

それぞれに、親がいる、兄弟がいる、友達がいる、友達の友達がいる、仕事仲間がいる、

自分の子供が産まれる、その子が子供を産む・・・孫が出来る。

生きていると、誰かと関わりがあります。

その、自分と関わりのある大事な人が困っている時に、自分で役に立つ事がある。

これは嬉しい事です。

自分の子供が病気をした時、父親が床ずれになった時、母親が認知症になった時、

友達が障がいを持ったら・・・人の手に委ねなくても自分が対応出来るのです。

仕事に就かなくても、培った技術は身に付いています。

いざという時に役にも立ちます。

自分の両親には間に合わなかったけど、両親が気づかせてくれた介護で今、困っている、

寂しい、不安を抱えた方達のお役に立てれば嬉しく思います。

私は世界に笑顔の連鎖を拡散して世界が愛に満ち溢れん事を祈ります。

読んで下さった皆様、有り難うございました。  ~感謝~
































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