「うまい飯がタダで食えるぞ。」
高校生の頃のお話。
その頃私は宮城県仙台市に在住で、実家から自転車で20分の私立高校に通っていた。
私立だから学費がかかる。入学する前は親とさんざん喧嘩した。
月額は自分で稼ぐから、入学金はごめんなさいなんとかお願いしますということになり、なんとか入学。晴れて華の女子高生ひゃっほい!
私立としては学費は安かった。月3万の学費とお小遣いのために高校時代はずっとバイト三昧だった。
コミュニケーション能力はあった方だから、高校3年間で接客業ばっかやってた。掛け持ちとかもしていた。バイト学生!
入学した高校は専門分野別にカリキュラムが分かれていて、私は美術コースに在籍していた。興味があった分野であるし、これが目当てで入学した。
しかし絵はうまいわけじゃない。飽きっぽいからデッサンも毎日できない。
周りは超努力家&絵とか造形のセンスに長けた人たち。オワタ
とりあえずバイトに明け暮れていた。
「千葉、美味いもん好きだろ。」
2年生に上がり、クラス替えが行われた。
美術コースの顧問(学科長みたいな)のヒゲメガネの先生が担任になった。
1年生の頃はもう片っぽのクラス担任だった先生だ。
2年生の5,6月あたり、放課後の掃除中、ほうきで掃き掃除をしていたとき、先生に声をかけられた。
このときのこの一言が、バイト学生から意識高い学生にジョブチェンジするきっかけだった。
書いてこい言われた小論文のテーマは「環境問題」だった。小学5年生のときに自由研究で調べた酸性雨の資料やEM石っけん系の資料を引っ張りだし、軽くこしらえた。
もともと文章を書くことを苦に感じなかったし、調べ物は大好きだしで本当に軽く書けた。
そしてある日、休日のバイト中に「選考が通った」と電話をもらった。
はて、選考とは?なんの選考だ?
高校生が環境問題について本気出して考えてみる
アサヒビールさんが高校生を対象に実施していた環境教育「若武者育成塾」の選考だった。
2007年度は第3回目の開講で、東北6県から7グループ選抜された。
突然の「お前が宮城県代表のグループリーダーだ」宣言でひええええって思ったことを覚えている。
私がかー、まぢかー、どうすっぺー、といった感じでしばらく実感は沸かなかった。
地元の友だちは、経緯を聞くなり「なんかマンガっぽい展開!」と言って応援してくれた。
なんだかよくわからんけどやるしかない。課外活動は好きだったし、特に長く悩むこともなくやるかってなった。
意識高い戦友のちっしー、男装乙女のさとと、148cmしかない髙橋、の4人でチームを組んで参加した。
12月に「私たちはこういうことをして環境問題改善に取り組みたいと思います!そのためにこうしてあーしてこうやってきました!」を話す発表会がある。
それに向けて半年間動いた。
気づいたら巻き込まれていたので、やる気はそんななかったかもしれない。リーダーだという自覚も無い。
チームと折り合いが悪くなったりもしてめんどくさくなっていたりもした。
完全に巻き込まれたから仕方なくやっている感じだった。
そんな意識が変わったのはやるべきことが目に見えてからだった。
他の学校は何かを育てたり、実験したり、地域活動を立ち上げたりしている。私たちが得意なのはなんだ、そうだ、美術コース在学の学生ができることをやろう、と。
「アートやデザインの力で人の意識を変えるってできるんじゃないの?」
そうやって繋げることで、ようやくやる気がでてきた。なーんだ、私たち普段からやってることをもっと頑張ればいいんだっちゃ。
伝承文化を伝えて地域に興味を持ってもらうこと
一つ上の先輩方が「伝承文化研究会」というものを立ち上げていた。
その活動には、その年の夏休み辺りからちっしーと一緒に参加していた。
宮城県に伝わる伝承文化の紙芝居を、いろいろなイベントで読み聴かせを行うことが主な活動だった。
もちろん、紙芝居の絵を描いているのは美術コース在籍の生徒、自分たちである。
先輩、同級生、後輩、何代にも渡って作られた紙芝居は何十点もある。これを使わない手は無い!
伝承文化の紙芝居にはたぬきが出てきたり、旅人が出てきたり、つぶ貝が主人公だったりする。
そして紙芝居の舞台はすべて宮城県の地域。
二十人町、松島、旗立緑地、七北田川。現代の人でも知ってる地名が出てくる。
その物語から読み取れることは、「昔ここにはこんな生物がいて」「ダムになる前はこういう場所で」ということ。
外来種の影響や、人間の生活による自然への影響が物語によって知ることができる。
わたしたちはもっと地域に興味を持つべきだ!ってことをこの活動を通して訴えたかった。
半年間の紙芝居朗読会・環境イベントへの出展経歴も評価され、
見事若武者育成塾で最優秀賞をいただくことができた。これは本当に嬉しかった!
本当に美味いもんがタダで食えた!!!!
夏の合宿では福島で。合宿代は、もちろんタダ。
地元の美味しいご飯が食べられた。おかわりいっぱいした。
アカハラって呼ばれる川魚(猪苗代湖の環境問題でそんなにいっぱいいないらしい)の塩焼きは最高だったことを覚えている。また食べたい!
最優秀賞の副賞で、高知県の四万十川に連れてってもらった。もちろん、タダ。
初めての飛行機は超興奮した。
そして現地の学生さんたちと交流をして、地元の美味しいご飯が食べられた。おかわりいっぱいした。
現地の民宿みたいなとこに宿泊し、お夕飯とは別にお夜食も用意してもらったりした。
イノシシと鹿の肉は美味かった。最高。狩ってくれた甲斐犬まぢリスペクト。
土佐のカツオもいただいた!美味かった。一生のうちでまた来ようと思った。
ヒゲメガネの恩師に出逢えたことで、文字通りに美味しい思いができた。
感謝しかない。今でも、私のする行動のすべての原動力は倉本先生かもしれない。仙台へ帰るたびに、倉本先生に「こんな活躍したよ」報告をしている。
だって、美味いもんただで食えるかもしんねえべっちゃ!
人に刺激を与えることができる人って最高だ。
人にきっかけやチャンスを与えられる人は、人に関心・興味がなきゃできないと思う。
そして、もちろんその人に幸せになって貰いたいんだと思う。
私は美味しいものがお腹いっぱい食べれるだけで幸せだ。先生はそのきっかけをくれた、あとは私が頑張るだけだ。そしたら美味しいものが食べられるはず。そうゆうことだ。
16歳の頃のこの経験から、私も周りに良い意味で刺激を与えられる人になりたいと思えた。
これは6年経った今でもブレなくて、私が企んでいるすべてのやりたいことは、「誰かのきっかけであったり良い機会であったりしたい」という行動原理から繋がっているのだ。
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