対談のリード


 薬物やアルコール、ギャンブル依存症からの脱却を目指す、私たち潮騒ジョブトレーニングセンター(潮騒JTC)の支援活動はとても難産です。

 それは、この病気(依存症)が世間には病気だとなかなか理解されにくい側面があるからです。非行や犯罪と絡むケースが多いために、どうしても倫理的な視線からのみ指弾され、地域に理解者や支援者の輪が広がりにくいのです。

 「好きで薬物を使い、アルコールを飲み、勝手にギャンブル漬けでそうなったくせに…」「やめられないなんて、単に意志が弱く甘えているだけじゃないか」「国の支援なんか当てにせず、家族の愛情と自己責任で治せ!」―。

 こうした手厳しい、当事者の反論や批判を一切許さない冷たい言葉を、私たちは何度耳にしたでしょうか。その度に、私たちは身を縮めながらバッシングの嵐が止むのを待つしか術がありませんでした。

 それに依存症の当事者である私たち自身も、日々生起する目先のトラブルに振り回され、いつの間にか「世間の常識」に呪縛されてしまっていました。その結果、不可思議な依存症の本質を忘れている現実があります。

 例えば「この人はもう大丈夫だろう」「今度こそ回復できるのではないか」…、そう期待すると、多くはスリップ(薬物の再使用、再飲酒、ギャンブルの再燃)してしまい、見事に裏切られます。

 逆に、「この人は自分勝手でちょっと回復が難しいかな」「謙虚さがなく他人への思いやりに欠ける」と思える人が大方の予想に反して、意外に回復のルートに乗ったりすることがあります。

 

 このように依存症の世界では回復のセオリーはありません。不謹慎かもしれませんが、運を天にまかせるしかない、当たるも八卦当たらぬも八卦、乾坤一擲(けんこんいってき)、まるで賭けごとの世界のようです。では、徒手空拳の私たちには味方はないのでしょうか。

 あります。それは貧しいながらも全国に少しずつ関連施設を増やしてきたダルク(DARC=薬物依存症民間回復施設)やマック(MAC=アルコール依存症民間回復施設)です。これらの施設では依存症という厄介な病気を持つ仲間たちが、安全安心な空間で心身のリハビリに励んでいます。

 ダルクもマックも、その基本は当事者による自助活動で成り立っています。世界共通の回復プログラム(12ステップ)を使いながら、同じように依存症で苦しんできた過去を持つ仲間同士が互いを反面教師として、「今日一日」をモットーに薬物やアル―コール、ギャンブルに頼らない日々を積み重ねています。

 潮騒ジョブトレーニングセンターも、その役割の一端を担っていますが、特徴的なのはリハビリ後のビジョンを思い描こうと、これまでの歩みを一歩推し進めて社会復帰に向けた動機付けに力を入れていることです。

 

 具体的には、これまで地域貢献のボランティアとして取り組んできた潮騒JTCの仕事プログラムを発展させた、依存症者の自立と就労支援の独自プログラムの開発(事業名「潮騒ファイザープロジェクト」)に取り組んでいます。この取り組みは間もなく2年目が終わろうとしています。

 試行錯誤の結果、依存症者の作業療法として農作業が有効であると分かり、主に地の利を生かした農業に力を入れていますが、これには外資系のファイザー製薬が助成金を支援(ファイザープログラム市民活動支援事業)してくれています。

 さらに、ここにきて潮騒JTCにとても心強い“生身の助っ人”が現れました。それが異色のキリスト教牧師、進藤龍也先生です。年齢は40代前半と若いですが、既に数冊の著作でも明らかにされているように、その過去は壮絶を極めています。

 進藤先生は郷里が私と同じ埼玉県内で、かつて暴力団組織の中で人一倍激しく活動した過去や、薬物・アルコール依存症だったこと、それによって人生を破滅しかけたことなど共通点が数多くあります。

 

 進藤先生は刑務所内で聖書と出会ったことでキリスト教に回心し、開拓伝道牧師の道へと進まれました。過去の経験を生かそうと、依存症者の更生や就労支援、刑務所伝道に力を入れています。一方、私はダルクで救われ、その恩返しをと潮騒JTCを立ち上げ、責任者となって依存症に苦しむ仲間たちの回復支援に励んでいます。

 ともに更生して第2の人生を生き直していることでも共通しています。その進藤先生が今回、私たちの活動に賛同してくれて、1117日に鹿嶋市中心部では初めての開催となる潮騒JTC8周年公開フォーラムで、特別ゲストのスピーカーとして参加して頂ける幸運を得ました。

 進藤先生は初めての著作である「人はかならず、やり直せる」(中経出版、20101月刊)の中で、教会を提供して独自に進める就労支援から一歩踏み出し、「出所者の雇用のための農場施設を作り、田舎で作業しながら薬物依存からの回復へとつなげたいという夢もある」と述べておられます。

 

 なんという偶然でしょうか。私たちは現在、ひと足先に進藤先生の「夢」に近づこうと、自前で荒れ地を開墾して潮騒農場を創出し、プロの農業者の指導を得て潮騒水田で稲作にもチャレンジしています。水稲は3年目の取り組みですが、潮騒農園産のコシヒカリが大豊作となり、大きな自信につながっています。

 こうしたこともあって、私は人づてに「埼玉には元ヤクザでヤク中だった、凄腕の若い牧師がいる」との噂を聞いていたので、故郷への懐かしい思いも手伝って、もし機会があればぜひ会って話がしてみたいものだ、と思っていました。

 ありがたいことに、そうした願いを我がハイヤーパワー(自分が信じる神)は叶えてくれました。恐らく今回のフォーラムが、私が回復の道に踏み出して今年で10年の節目というメモリアルな意味を持つことに配慮し、プレゼントとして与えてくれたのだと感謝しています。

 

 振り返ってみると、私たちは予期できないトラブルと忙しい毎日に振り回されて、心をなくすような場面に数多く直面しています。しかも潮騒JTCは世間に比べ死に近い場所でもあり、これまでに掛け替えのない仲間を何人か失いました。その度に私たちは非観的に、厭世的になり、深く悩み、苦しみました。

 そして、その度ごとに自分たちの無力を知らされています。でも、そのことは依存症の回復にとっては決してマイナスではありません。逆に希望へとつながる入り口なのです。そのために、かつては気の短かった私もずいぶんと忍耐強くなりました。

 思い出してみてください。2011年3月11日に私たちの国を襲った未曾有の大震災の悲惨を。あの歴史的な国難に、誰しも自分は本当に無力だと実感させられたはずです。そこまで行かなくても不慮の事故や災害、予期せぬトラブル…、私たちは何が起きても不思議ではない日々の中で生活しています。

 そう考えると、私たちも世間の一般の人たちとそう離れた位置にいるとは思えません。依存症という特殊な病気の世界に迷い込んでしまった私たちですが、その回復体験はコンパスが利かない荒海が広がる、困難な時代の反面教師として役立つのでは? と身勝手に夢想してしまいます。

 

 本来、人間が生きているということは理念とか論理づけを拒否する、何のお陰か分からないものに生かされているようなところがあります。今は何とか無事で平穏に生きているけれど、それは自分の力ではない、何か大きな力によって助けられ、かろうじて命拾いをしていることに過ぎないのではないでしょうか。

 本当は、私たちが自分の力できることなんて、ほんのわずかのことなのかもしれません。今、私たちが生きているのは偶然の所産であり、そのことに素直に感謝できる心を育てること。実はそのことが、生きることに対する確信の持ちにくい今を生きる「何事か」であるように私は考えています。

 特定の神を頂く宗教としては信仰のない私ですが、過去の薬物やアルコール依存症の人生とは真逆の人生を手にできている今の幸福を、夜ごとに自分の信じる神(ハイヤーパワー)に感謝し、祈っています。そして今回の対談で、その輪郭を進藤先生から宗教の言葉で埋めてもらったことに深く感謝致します。

 

 この対談は、世間にはなかなか分かりにくい依存症やダルク、そして潮騒JTCの活動を少しでも理解してもらう材料として、またフォーラム当日の進藤先生の講演を補強する目的で緊急に企画され、進藤先生のご理解、ご厚意を得て実現したものです。

 なお、対談は103日に埼玉県川口市の「罪人の友 主イエス・キリスト教会」で、約2時間半にわたり実施しました。その録音を忠実に起こし、舌足らずの個所や分かりにくく伝わりにくい部分を若干補強して小冊子にまとめ、潮騒JTCの責任で発行するものです。

 

 20131117

特定非営利活動法人 潮騒ジョブトレーニングセンター

代表 栗原 豊

 

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