地方の商店街で国際交流イベントをやってみて学んだこと。

「国際交流」って聞くと、社会的に大事なミッションでありながら、なんかとてもキラキラしてる。

それに「学生カフェ」っていう圧倒的オシャレ感が加わったものだから、
もうコワイものなし、世間にぶいぶい言わせたるなんやすごい事業になると思ったりして、
そう思った次には「アレ?おれってそんなキャラだっけ?」とか無意味な悩みを抱えたりして、
それでも「自分が考えたプランが実現する、ってなんかすげー」くらいの気持ちでそれなりに情熱を燃やして立ち上がったのが2012年の10月。



僕は「Globalcafe いとをかし」という学生事業を立ち上げた。

”地域の人々と留学生・学生の交流の場”というコンセプトで、
月に一回、商店街で国際交流のイベントを開催している。

「学生の国際交流イベントで商店街を盛り上げよう」

勢いとしてはそんな感じだ。

留学生の母国紹介等のイベントや、地元飲食店でつくった外国のお菓子などを販売したりしていて昨年の12月で一周年を迎えた。
一年間走り続けられたため、ありがたいことに周辺地域での認知度も高まってきている。
組織内のメンバーは熱い学生ばかりで、今後も継続していけそうなところまできている。

そんな一年を通して僕が学んだことのうちの一つを話しておきたい。

いとをかしの物語についてはまた別のところで話そう。


さて、

もう一度言うが、「国際交流」という言葉はつよい。
中身はともかく、その言葉だけで一定の高尚さが得られてしまう。
実際に何をやってるかどうかに関わらず、
「国際交流やってるんですね!すばらしい!」ってなりがちだ。


もっと的確に言えば、「交流」という言葉をつけた途端、すごく聞こえがよくなるのだと思う。
地域交流、世代間交流、異文化交流、、、、

それがわるいとか言っているんじゃなくて、
もちろん交流はすばらしいことを認めた上で、でもその「交流」をみんながみんな求めているわけでもないよ、と。

そこに「交流」をコンセプトにイベントを企画をしてきたからこそ学んだことがある。

誰に向けてのイベントなのか、これははっきりと見えていなければならない。


僕たちの活動は、日頃出会う機会のない人たちに出会いのチャンスを提供することだ。(こう言うと婚活みたいに聞こえる...)

九州大学の留学生は、たいてい同じ留学生同士の付き合いが一番多い。もちろん彼らには日本人学生の友達もたくさんいるけど、大学や団体が躍起になって学内国際交流のイベントを告知している状況を見れば、まだまだ学内での国際交流も充分ではないことは明らかだ。
それには日本人のシャイで排他的な性分も関係していると思うけどそういう議論はここでは置いておき、とにもかくにも、学生同士での交流すら少ないわけだから、留学生と日本の地域住民との出会いの場なんてほとんどないわけである。

一方、地域に人々、ここでいう地域は郊外や地方を指しているんだけど、そういう人たちにとって外国人というのは珍しいだけでなく、何を話していいかわからない、というくらい話す機会のない人たちでもある。

だから、そんな留学生と地域の人々が交流できる場をつくることには価値があると僕らは考えた。
「地域の人々はみんな面白がって興味をもってくれるだろう!」
そう思ってた。


さて、ここで一つ聞いてみたい。

『休日、自分の家の周辺で国際交流のイベントをやっていたら、あなたは参加しますか?』


たぶん、イエスと即答できる人はそうたくさんはいないと思う。

そんなイベントに行くよりも家で寝てたいとか、
あまった仕事を終わらせたいとか、
家族や恋人とショッピングにでも行ってる方がいいとか、

そういう人もたくさんいるはずだ。

そう、ここが大事なところである。


みんながみんな国際交流に興味があるわけではない。


商店街を歩いているそのへんの地域の人々で、そこまで外国に興味のある人は多いとは言えない。
そういう人たちに呼び子が声を掛けまくって来店してもらっても、あまり理想的なかたちにならなかったりする。

「外国に興味のない人だってお客さんとして来てくれたらいいことじゃないか。そこで興味を持ってもらえればいい。」

そう言う人もいるだろうし、それは本当にその通りなのだけれど、そこには一つ誤解がある。
頭をゼロにして考えてみてほしい。


外国に興味がない人は別にそれはそれでいいじゃん?


いいんです。はっきりいって別に国際交流なんてしなくてもいいんです。(僕がこんなこと言ったらまずいのかもしれないけど笑)

じゃ、どうして国際交流をしようとするのか。

友達
なんで国際交流をするの?
自分
え?! うーん、楽しいから!!
そう、楽しいから。

外国の文化や伝統を知ったり違う言語をしゃべってみたり、食べた事のないお菓子や料理を食べたりしてその国に行きたくなってくる、そして母国日本のことを案外よく知らない自分に気づく...


それを楽しい!と感じるから参加するわけ。

それはクラシックを聴くのが楽しい、とか、
サッカーを観戦するのが楽しい、とか、
読書が楽しくて仕方がない、とか、

そういうのと一緒。


だから、ぼくらの国際交流イベントも、
そういう「外国や異文化に興味がある人たち」だけにもっとターゲットを絞るべきであって、誰でもかれでも来てほしいっす!ってイベントにすべきではなかった。

エプロンつけた呼び子が商店街を歩いて声をかける、というスタンスはポイントがずれていたわけです。

国際交流の押し売りになりかけていた。

きっと声をかけられたために「タイとかマレーシアとか、そんなに興味ないけどねー」とか思いながら来店したお客さんもいたことだろうと思う。

それがわるいとは思わないし、それでも楽しんでもらえるイベントをつくってきたから良かったんだけれど、それって本当に価値のあることなのか考え直す必要はあるはずだ。


ではその「外国や異文化に興味がある人たち」ってどんな人たちか。
それはぼくらのイベントの常連さんたち、毎回来てくれる人たちだ。
だいたいの層としては、シニアの女性や子連れのママさんなど、アクティブな女性の人たちが中心。

僕らはそういった人たちがより楽しんでくれるようなイベントをつくっていく必要がある。

国際交流に興味がない人はそれはそれでいい。
もし興味を持ってくれたらそれは本当に嬉しいけれど、サッカーに興味のない人にサッカーの素晴らしさを伝えようとするような企画はやっても意味がない。

国際交流はたしかに推奨すべきものかもしれないけれど、問答無用で価値があるほど高尚なものでもないのである。



誰に向けてのイベントなのか

これはすごく大事なことだと思う。

ビジネスプランとしては単純にターゲットを絞りきれていなかったわけだけれど、
商店街活性を視野に入れて立ち上がった経緯もあるので、商店街を歩いているそのへんの人々にも声をかけるのはこの場合間違ってはなかった。

でも両立はむずかしい。
商店街を歩く人々が思わず立ち寄るイベントにしたいのであれば、もっと誰しもが興味のあることをテーマにする必要がある。
一番の例は食べ物だろう。美味しいものに興味のない人はいない。


何か事業をするときは、必ず、

誰を対象とするのか

を明確にしなければならないと学んだ。
仮にそれが商店街活性のような場所依存の事業だったとすればなおさらだ。



誰からも嫌われないようにする人は誰からも好かれない、って聞いたことがある。



そういうことかもね。

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