自律学習への違和感

 自律学習に関し、考えてみたい。なお、ここに記述する内容は、私が自身の経験から得た実感であり、明確な根拠があって述べているわけではないことをあらかじめお断りしておく。
 私は約3年前から「わせだ日本語サポート」という実践に携わっている。「わせだ日本語サポート」は、早稲田大学に在籍する留学生の自律的な日本語学習のサポートすることを目的に開設された。具体的には、週2回/1回3.5時間(※1)サポートルームを開室し、大学院生スタッフが主に日本語学習アドバイジングと日本語学習に関わる人的/物的リソースに関する情報提供を行っている。
 日本語学習アドバイジングでは、学習者が自己主導型学習を自身で展開できるようになるようなサポートを行う。自己主導型学習とは、目標設定→計画→実行→評価→・・・という学習のサイクルを自身で展開することである。つまり、自身の学習をメタ的に認識し、修正しながら、展開していくということである。自己主導型学習は、実現できれば、確かにすばらしいし、おそらく学習者の日本語運用も向上する。しかし、自身がアドバイジングを行う中で沸いて来たのは、果たして、みんながみんながこのような自己主導型学習ができるようになるのか、あるいは、自己主導型学習をできるようになる必要があるのかという疑問であった。
 これはあくまで私の実感に過ぎないが、自己主導型学習ができる人というのは、アドバイジングを受けるまでもなく、すでに、目標設定→計画→実行→評価→・・・という学習のサイクルを何となく展開できているような気がする。アドバイジングを受けることにより、自身が今まで何となく展開していたサイクルをより意識的に展開できるようになる。一方、自己主導型学習があまり定着しない人というのは、たとえ、目標設定→計画→実行→評価→・・・という学習のサイクルが有効であることがわかったとしても、なかなかそのサイクルを展開できないように思う。(私自身もそのような人の一人である。)
 非常に乱暴な言い方だが、自己主導型学習には、向き不向きがあるような気がする。(こういう言い方は正確ではないかもしれない。より正確には、自己主導型学習に向いている環境で育ってきたがゆえに、自己主導型学習に馴染んでいる人とそうではない人がいるというべきか。)そして、自己主導型学習に向いている人は、自己主導型学習という概念を得ることにより、より効率よく学習が進められるようになるという仕組みになっているのではないだろうか。そうだとすると、自己主導型学習という学習観には、元々できる人はよりできるように、できない人はそのままになるといったある種エリート主義的な傾向が内包されているのではないだろうか。(つまり、自己主導型学習ができるかどうか、あるいは自己主導型学習に向いているか否かは、学習者が属する社会階層の影響が大きいのかもしれない。)
 自己主導型学習の「目標設定→計画→実行→評価→・・・」というサイクルは、いわゆるPDCAと呼ばれるサイクルと同様である。PDCAサイクルは、企業経営や生産管理、あるいは発展途上国の開発支援等、現代のあらゆる場面で推奨され、また実行されている。なぜPDCAサイクルが推奨されるか。それは、企業等の組織を効率よく成長、発展させていくためには、目標を設定し、評価(リフレクション)により問題点を見出し、見出された問題点が解消できるような計画を立てるというサイクルが有効だからである。自己主導型学習は、このような組織を発展させるためのサイクルを個人の学習に転用した方法であると言うことができるであろう。
 しかし、組織のサイクルを個人に転用することは本当に可能なのであろうか。PDCAサイクルにより、個人は、組織のように順調に成長、発展していくのであろうか。PDCAサイクルの背景にある組織を発展させるための論理に関し、そして、それを個人の学習や成長に適用することに関し、もう少し検討が必要ではないだろうか。どうも私には、自己主導型学習のサイクル=PDCAサイクルには、資本主義的な論理、すなわち、効率第一主義が内在されており、それは非効率の極みである教育/学習とは相容れないのではないかという気がしてならない。
※1 2013年度秋学期。サポートルームの開室曜日/時間は学期により異なる。

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