猫のキーちゃんが教えてくれたこと
キーちゃんが僕の家に迷いこんで来たのはロンドン・オリンピックのあった年2012年の2月も終わる日でした。
ヴィラのスタッフが庭の枯葉を掃き集めたなかに、まるで打ち捨てられたかのようにうずくまっていたのです。
猫を飼うつもりはなかったのだけれど生後ひと月も経たないようなか弱い彼女の姿をみてるとそのままにしておくわけにはいきませんでした。
その日から家族の一員になったキーちゃんは、とても人懐っこい性格で僕の腕枕で眠ったり、離乳したてなのか僕の指を吸ったりしていました。
食欲も旺盛でなんでも食べて細い手足にも肉がついてき、
うちの猿のクルプ君ともすぐに仲良くなりました。
キーちゃんと遊ぶ時のクルプ君の楽しそうな表情といったら、見てる僕までつられて笑ってしまったほど。
暖をとるため真空管アンプのうえに、ちょこんと乗った姿は僕にはまるで女神のように愛らしかった。。
そんな平和な日々が続いていたのだけれど、ある日キーちゃんは少し嘔吐しました。
それまでも、庭の草をわざと食べて毛玉を吐き出したりしていたので僕はそんなに大ごとだとは考えてもいなかったのです。
翌日、キーちゃんはなぜか僕から離れるところにうずくまり力なく遠くを見るような表情で。
床には下痢の痕。
僕はそのとき初めて、これは普通ではないことに気がつきました。
キーちゃんに近寄り頭や体を撫でたりさすったりしていたのだけれど、そのときキーちゃんはふらふらと歩き出し、家の傍を流れる小川のような用水路に近づいていき、
流れる水面をみている。
「どうしたの?」と問いかけても返事はありません。
そして、何かを決意したかのようにキーちゃんはまるで入水自殺でもするかのようにゆっくり用水路の流れのなかに入っていき沈もうとする。
いつも水を怖がり、シャワーをしようものならすごい勢いで逃げ出す彼女が自ら水の中に入っていくのをみて僕はただごとではないことを悟り急いで水から救い上げバスタオルに包んでうろたえました。
「病院、とにかく病院」
バイクで向かった動物病院はあいにく医師が不在で他の病院を紹介されました。
(よかった。これで助かる)
点滴を受けるキーちゃんをみて、そのとき僕は安心したのです。
その日はそのまま動物病院に入院することになりました。
眠れない夜が明けて、さてキーちゃんの様子をみに行こうと病院に向かおうとしたら、その病院から電話がありました。
悪い予感は的中し、残酷な言葉が携帯電話から聞こえました。
死亡との通告。死因はパルボ・ウイルス感染。猫ジステンパーとも呼ばれる恐ろしいウイルスによるものでした。
予防接種を早く打っていれば罹らない病気だったかもしれない。
元気すぎるほど元気なキーちゃんの様子に安心しきっていた自分を呪いました。
悔しかったし、後悔。後悔。懺悔。懺悔。いろんな言葉で自分を責めました。
病院にいくと亡骸と変わり果てたキーちゃんがいて、
もう、まるでぬいぐるみのようで、そこにはもうキーちゃんの魂はいなかったです。
葬儀の手筈を病院の人と話して、結局、この地のやりかたで祀ってもらうことにしました。
これがキーちゃんの一生です。
この日は7月のオリンピックの開会式の日でした。
それからはしばらく放心の日が続きました。
ときどき僕は思います。
たった1歳にもならないまえに天国へ行ってしまったキーちゃんが教えてくれたこと、それは、あのとき水のなかに入っていった彼女の真剣な表情に
死を受け入れる心と
死に向かう覚悟を
僕に教えてくれたような気がするのです。
それと、予防接種の重要さも。
今でも僕のなかにキーちゃんは眠りつづけています。
すやすやと寝息をたてて。。。
【後日談】
後日談と言っても亡くなった当日のことで、こういうことを言うと「眉唾」と思われるのではと思われるのでなかなか書けなかった事実がひとつ。
あの日の夕方、きっとキーちゃんが荼毘に付されたであろうその時刻に家の前にある田んぼの小屋から突然火の手があがりました。
田んぼの持ち主のおじさんが道具などを置いている藁ぶきの簡単な小屋なのですが、火の気の全くないところから突然煙があがったのです。
その時の写真
僕と村の人たちで必死に水をかけたりしましたが、あっという間に小屋は全焼。
おじさんはずっと「火の元はまったくなかった」とずっと首をかしげていました。
でも、僕は確信していました。
「これはキーちゃんからの最後の挨拶だ。わたしはここにいるよ。ここにいたよ。これから煙となって天に昇っていくよ」と。
僕は残り火に手を合わせていました。
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