この頃にはダンスチームもアンダーグラウンドでは、そこそこ名前が知られるようになっていた。
このダンスチーム活動というのはダンサーのホームである。
当時は活動チームを変えるという事は、ダンスにおいて転職に近い感覚があった。
なぜなら、各チームでダンススタイルもコンセプトも変わるし、そのチームのネームバリューが各メンバーの仕事にも影響する。
今でこそ色々なダンサーと気軽にコラボするが、当時はみんなライバル。
そのため安易なコラボやチーム移動は少なかった。
それだけチームの絆が強いということでもある。
では、自分のホームとなったチームの話をしよう。
最初のチーム活動は中学からの仲間である、
私shin・T・Mの3人。
この3人は高校時代まで続いた。
卒業後にはMが抜け、自分とTの2人チームになり活動。
ダンスチームで「2人」というのは構成も浅くなりインパクトも出しづらい。
その割には、よく頑張ったなという感じ。
そして、そのTはダンスの専門学校に通うのだが、そこで方向性が変わりチームは活動停止になってしまった。
「これからどうするか・・・」
そんな事を考えていた矢先に運が良かったのか、新たな出会いにより新体制の2人チームで活動を再スタートをすることになった。
この新チームの活動がメジャーシーンへのきっかけとなる。
自分のダンスライフは本当に「人の出会い」によって救われた。
時代は変われど人との繋がりは人生を変えるパワーを持つ。
しばらくは2人で活動していたが、
「普通にやっては有名になれない・・・」
と感じ、当時では誰もやってない新しい構成要素を取り入れていった。
そして、その新しい試みで大きなダンスコンテストに参加し結果は2位の準優勝。
それは大きな自信になった。
審査員の中でも意見が割れていたらしく、
【あれはダンスじゃない!】
【いや、面白い!】
優勝は逃したものの、これは大成功である。
挑戦が功を奏し話題を集めた。
その後「ダンスコンテスト挑戦」という期間を作り自分たちのスタイルを試していた。
中には優勝賞金30万のコンテストで優勝したり、新聞にも小さく載ったりし確実にダンスチームとして成果を上げていったのである。