ダンスで稼ぐのだ!

前話: ダンス人生の始まり。
次話: ダンスチームの重要性と方向性。


MASTA THERAPY。


ダンスをしていくにあたり本当に仲間って大事だと思う。


一緒に練習する仲間。

一緒にイベントに行く仲間。

一緒にステージに上がる仲間。


これが無ければ自分はダンスを続けなかっただろう。


中には単独渡米で活躍するなど強者もいるが、

やはり海外にいても仲間の存在は大事だったりする。


そんな仲間と高校卒業後、

相変わらず練習、イベントやコンテスト参加などで

活動を広げていった。


そうなると後輩なども現れ、

自分達もスクールをやろう!

という流れに自然となった。


あのYO-SAKUの経緯は後で話すが、

後に初期KRUDメンバーの母体となる7人チームの

MASTA THERAPY(マスタセラピー)

というチームを組むのだが、

その発起人ヤリと2人で

池袋にて合同レッスンをスタートしたのが

スクールの第一歩だった。


このマッセ(MASTA THERAPY)には、

現ドリカムダンサー(AKS)のSHIGEもいた。


レッスンはバイトより効率的だし、

好きな事で収入を得るという感覚、

自己効力感というところはここで培った。


そこから、生徒が増え始めたタイミングで

ヤリと自分は別の場所でレッスンをし始める。


自分のメインは、

池袋、渋谷、川越となり、

週に決まったサイクルで転々とレッスンをこなしていった。

それこそ、ダンスヒッピーという生活。


SHIGEと出会ったのも川越サンロード(商店街)

踏切近くでしていたレッスンでもある。


そいや川越はレッスン終わりで、

これまたマッセメンバーのヒデ

(アダ名はジジイ)

の車で朝までグルグルしていたのを思い出す。


レッスン場の中でも特に

渋谷の美竹公園は、

ダンサーの練習場所ではかなり有名だった。

(現在は禁止?)

行けば絶対に誰かしら練習しに来ていたものだ。

待ち合わせも

【じゃ美竹で!】みたいになっていた。


そして、この美竹レッスンでは

ピーク時には1レッスン40人近くにもなった。


レッスンでは生徒一人から1000円いただき、

夏も冬も外で行なっていた。

当時は月謝でなく、その日のみ単発で飛び込み有りの

まぁ現金やり取りの

1レッスンチケットみたいなノリだった。


時間は決まってはいなかったが、

平均すると2時間程度か。

1000円で2時間は安いだろう。


しかし、こちらの利益は40人では

4万である。


この時間に対し、しかも好きな事で稼ぐ10代の4万は、

デカイ!


この金額はピークだとしても、

平均でも10人オーバーはしていたので、

それなりにバイトレベルにはなっていた訳だ。


ハッキリ言うと、

チョロいもんだ。

と調子にのっていたのは事実だ。


このチョロさが後に勘違いを起こすのだが・・・。


まず、

レッスン生を増やすには自分がステージに立ち、

それを生徒に見せつけ先生の偉大さを知らしめ、

更にファンを増やし生徒を広めるという、

ある意味広報活動が肝になる。


自分はチームや環境にも恵まれていたので、

この様に高校卒業後は大してバイトもせず、

レッスンやイベントのチケットバックなどで生活が出来ていた。

実家というのもある。


ほんと舐めきった生活だ(笑)


この時点では

ちゃんとしたダンスでの仕事はまだ先の話・・・。


レッスンも次第に

外からスタジオ、スポーツジム、専門学校と広がり、

チームもアンダーグラウンドでは結構名前が知られる様になる。


その中で、

ダンサーの若手の中でも派閥ができ、


流行りに敏感でノリや黒さ、イケイケ感の強い、

BABYNAIL(ベビーネイル)

(初期EXILEメンバーが主に活動していたチーム)




コンセプト、振り構成重視の

MASTA THERAPY


大体どちらかの派閥スタイルになっていたと思う。










続きのストーリーはこちら!

ダンスチームの重要性と方向性。

みんなの読んで良かった!

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