カーレーサーのように


カーレーサーのように勝ち負けがはっきりとしているダイナミックな世界にあこがれていた。二十代の頃にはひたすら夢を追った。

八〇年代初め、映画「フラッシュダンス」を観て感激した。そのストーリーのままに映画会社のオーディションを受けた。

映画の仕事をして成り上がるという漠然とした空想だけを思い描いた。生活の糧を得るために喫茶店のウエイターや紳士服店のビラ配り、選挙のポスター貼りなど、さまざまなアルバイトの面接を受けた。

しかし、なぜかどこへ行っても不採用だった。

僕は痩せて骨ばった顔をしていた。ギラギラと人を睨みつけ、革ジャンパーを肩に引っ掛けて斜に構えていた。今ならば面接官が僕を不採用にした理由もうなずける。

唯一、日比谷のエスニックレストランが僕を皿洗いとして雇った。エスニックレストランには夢を追う若者が集まっていた。

当時、近隣の日劇は有楽町マリオンへと再生され、日比谷は旧映画街からモダンな商業ビル街へと変貌を遂げようとしていた。その近代的なビルとは対照的に、JRの架橋下の焼鳥屋は炭火の煙を周囲に拡散し薄暮の客を迎え入れた。

その雑多な風景が僕の原点となった。

僕はバブル経済とはまったく無縁なまま、長く皿洗いを続けた。生活は苦しかった。

「君は今時、時代遅れな生き方をしているね」

ある時代劇の脚本家が僕を評した。

僕はむきになった。マネーゲームが連日のように新聞紙面をにぎわせていた頃、僕は職を転々としていた。まったくつながりのない職歴を連ねた。どんな職業に就いても役者として演じているような感じだった。一生懸命になればなるほど、夢は遠ざかった。

そして、定職に就いたのは三十八歳になってからだった。

そんな僕を妻は許容している。

「あんたは出世せんな。あんたの稼ぎが増えたら、もっとお気楽な仕事して、料理教室に行ったり、習い事をしたりしたいと思っとったけど、あきらめたわ」

そう言って微笑する。

社会人として出遅れた夫を妻は受けとめる。口にはできない不安を抱きしめつつ、それでもなお僕と共に生きて、子供を育て、ささやかな妻自身の夢と子供の夢を僕と共に実現させていこうとしている。

「理想の男性はハーバード大学を首席で卒業して、日本の片田舎で大工仕事をしているような人。よくわからんけど、ギャップがあるほうがドラマチックやろ」

いつだったか妻は言っていた。

「あなたはそれに少し近いけど、何か足らんな。ひとつ足らんのかもしれんし、全然足らんのかもしれん」

そのひとつが、この頃ようやくわかった。

僕には家族への思いや情熱が足りない。家族の匂いが吹いてくるような、家族が喜ぶ声が聞こえてくるような、夫として、父としてあたりまえのことを僕はやっていない。家族のために、今からできることは何なのかを知りたいと痛切に思う。

僕は家族を守りたい。自分の手足で何かを実行し、何かを実現したい。真っ白いキャンバスに、渾身の思いをこめて家族のいる風景を描きたい。

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