細川英雄のインパクトと私、あるいは「時には起こせよムーヴメント」―『研究活動デザイン』(東京図書)の書評のような何か―

 日本語教育の世界に実践研究フォーラム(以下、フォーラム)という集まりがある。フォーラムは、2004年に立ち上げられた。当時、委員長を務めていた細川英雄は立ち上げの経緯に関し、『研究活動デザイン』に詳しく記述している。その記述を読むと、現在のフォーラムで継承されている下記のコンセプトも、そして、現在、活発に議論されている実践研究という概念も、全て当時の委員会の議論の中から立ち上がってきたことがわかる。
・誰でも参加できる。
・やりとりに時間をかける。
・実践の中身を見せ合う。
・インターネットを活用する。
 当時の日本語教育の世界に上記のようなコンセプトを備えた集まりは存在しなかった。いや、それどころか、この場をどのような場にしたいかというところから議論され、創られた集まり自体がなかったのではないか。つまり、細川を中心とする初代の委員会は、少なくとも日本語教育の世界では、それまでに誰も見たことがなかった場を創ったのである。そして、その場は、多くの日本語教育関係者に受け入れられ、今や、そのような場があることが当たり前のようになっている。
 『研究活動デザイン』には、フォーラムに限らず、新たなコンセプトを提唱し、ムーブメントを起こしてきた細川英雄の軌跡が描かれている。(だいたい書名である「研究活動デザイン」からして新たなコンセプトである。)細川が提唱したコンセプトの中でもその中核をなすであろうコンセプトに「総合活動型日本語教育」(以下、「総合」)がある。その「総合」の原点と思われるのが、『研究活動デザイン』で描かれている直接問答法との出会いである。
 細川は、1982年夏に言語文化研究所(長沼スクール)で2週間の日本語夏期講習を受講している。その講習で細川は、講師の一人であった木村宗男による直接問答法を用いた模擬授業を見学した。(木村は1982年3月に早稲田大学語学教育研究所を定年退職し、同5月にそれまでの日本語教育実践の集大成として主著『日本語教授法―研究と実践―』を出版している。)
 細川は、今日、日本語教育の世界で一般的に用いられている直接法ということばと直接問答法の違いに関し、次のように述べている。
一般的に、直接法は学習言語だけでその言語を教えるという意味で用いられていますが、そのなかで直接問答法という場合、問答という観点がとても重要で、話し手と聞き手の問答が基本になっているという点に注目する必要があります。(pp.12-13)
要するに、日本語の文脈のなかで日本語を習得させるという点で「直接」であり、そのポイントが問答というやりとりにあるため、「問答法」という名称がついているのです。(p.13)
 日本語教育の基本は、話し手と聞き手の日本語による問答である。「総合」は、この細川の気づきから始まった。日本語教育の「基本」を形式の習得ではなく、問答においたという点で当時の日本語教育における(もしかして現在でも?)コペルニクス的転回だったのではないだろうか。その気づきは、木村という戦前の日本語教育を経験している日本語教師によってもたらされた。
 細川は、『研究活動デザイン』の中で「総合」に関し、次のように述べている。
個人の問題から社会を見る視点が生まれ、一つの社会解釈論として読めるものとして「書く」活動を展開するにはどうしたらいいか。これがわたしの実践課題だったのです。その手順としては、まずテーマとその動機(どうしてこのテーマを選んだのか)を、次に、その具体的な展開例、インタビュー内容の記述、最後が、テーマの動機に対する結論です。この三つの順序に従って書いていくことを枠組みとして定めました。(p.49)
 私は、2004年の春から夏にかけて、「総合」のクラスに実習生として参加していた。その際、「総合」における「対話」(=インタビュー)の位置づけを自分なりに整理するために下記の文章を書いた。

「対話」について

 学習者は「○○と私」というレポートを書くにあたり、まず「○○」を決めます。これは、「自分が一番興味・関心を持っていること/もの」です。「○○」が決まったら、「世の中に存在する無数の事物の中で、どうして私は、特定の「○○」に興味・関心があるのか」について考え、その結果を「私にとって「○○」は△△である(から)」という形でまとめます。このプロセスで、「私が今興味・関心があること(=「○○」)が何か」ということは、比較的簡単に思いつきますが、「私はどうして「○○」に興味・関心があるのか」は、簡単にはわかりません。それは、おそらく「自分の興味・関心」は把握していても、「自分の興味・関心の原因」については、考えたことがないからだと思います。
 「「私」が「○○」に興味・関心を持つ」ということは、「「私」が生きていく上で、一番大切だと思っていること」(=「私」の価値観)があり、それを実現するために「○○」が持つ要素が必要だと感じることです。つまり、「自分の興味・関心及びそれに基づく具体的な行動の原因」は、「私」の価値観にあるということで、「自分の興味・関心の原因」を考えるということは、結局「私」の価値観について考えることです。
 以上のことから考えると、「対話」において語られるべきことは、「○○」を通しての「私」の価値観です。もし「○○」そのものについて話してしまうと、その結果は、対話の相手に「「○○」に関心がないから話せない」と言われるか、単なる情報交換(例えば、「○○」がヨーグルトだとすると、「どこどこのヨーグルトがおいしい」とか「こんなヨーグルトの作り方ある」といった話が続く)に終わるかで、その人からでなければ聞けない話が聞けるということはないでしょう。しかし、「私」の価値観について話せば、(意識的か、無意識的かは別にして)一人として同じ価値観持っている人はいないので、対話の相手からでなければ聞けない話が聞けるはずです。このような自分が持っている価値観とは異なる価値観に触れられた「対話」が、「いい対話」なのではないかと思います。

 上記の文章を書いたとき、私は、「総合」とは何かに関し、自分なりに理解できたような気がした。私にとって、「総合」とは、「私」の価値観、すなわち、「私」が生きていく上で、一番大切にしている何かをことばにより表現するともに、他者とのことばのやりとりにより更新する活動である。(「私」の価値観は、細川が述べている「一人ひとりの文化」(p.51)とほぼ同義ではないか。)
 「NIHONG eな」などを見てもわかるように、現在、インターネット上には、学習者が一人で(なおかつ無料で)日本語を学習することを可能にするツールがあふれている。今や、単なる日本語に関する知識の受け取りや日本語運用のトレーニングであれば、教室に行かずして、あるいは、教師から教授を受けずして、行うことが十分に可能である。日本語教師(外国語教師)は、ある特定の場所(例えば、教室)に複数の人間が集まらなければできない実践とはどのような実践かを真剣に考えなければならない時期に差し掛かっている。その答えは、私の中では、すでに出ている。私は、「総合」のような参加者それぞれに固有の価値観をお互いに表現する実践こそがある特定の場所に複数の人間が集まらなければできない実践ではないかと考えている。
 最後に『研究活動デザイン』を読むことにより実感した「日本語教育に関する歴史的語り」の重要性を述べたい。私は、『研究活動デザイン』を読み、「総合」の誕生に関し、次のような考えを抱いた。
 日本語教育という営みは、戦前と前後で分断されているのではないか。戦前の日本語教育は、植民地支配の先兵としての役割を担っていた。そのため、戦後の日本において、戦前の日本語教育を継承しようとすることは、一種の禁忌となっていたのではないか。故に、戦前の日本語教育実践は、戦前の日本語教師経験者により、細々と継続されはしたものの、組織的に継承されることなく、失われてしまったのではないか。しかし、実は戦前の日本語教育実践の中にも現在に通じる学ぶべき何かがあったのではないか。戦後生まれの細川は、戦前の日本語教育を経験した木村との邂逅をとおし、いわば、偶発的に戦前の日本語教育の遺産を継承したのではないか。
 以上は、今のところ、何の根拠もない、私の妄想に過ぎない。私は(そしておそらく「私たち」は)、自分たちが行っている日本語教育という営みがいつどのように形成されていったかをあまり知らない。おそらくその過程には、様々な思惑、出会い、偶然、そして、ドラマがあったはずである。そういった話を先人たちからきけるうちにきいておかなければならない。

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