第3回 福岡来て2年半、元プロボクサー25歳が手持ち金0円で起業する事になった。

前編: 第2回 福岡来て2年半、元プロボクサー25歳が手持ち金0円で起業する事になった。
後編: 第4回 福岡来て2年半、元プロボクサー25歳が手持ち金0円で起業する事になった。

家庭の崩壊

幼いながらになんとーなく気付いてる部分は振り返ってみればあったと思う。
幼稚園が終わると他の友達はいつもお母さん連中と一緒に10人くらいでデニーズに行くのが日課だったんだけど、僕は一度も行った記憶が無い。僕は凄くそれが嫌だった。
みんながデニーズに行ってるのに僕だけまっすぐ家に帰らないと行けなかったのがなんでか分からず、いつも道路で大泣きしていた。
今思えば母親が一番辛かったんだろーなと思う。
しかし、そんな事分からないからとにかくずっと泣いてた。
小学校に行ってもそうだった。
みんなが買ってるゲームとかを僕は買ってもらえない事が多かったから。
あと何かと姉のお下がりが多いのが嫌で嫌でしょうがなかった
(ホント子供って贅沢ですよね…)
西新宿ってやっぱ家賃も高くて、僕が住んでたあのビルで毎月14万くらいしてた。今思えば不思議だったんだけど水道代が大家さんに徴収制だった。
毎月11階に住んでる大家さんのおばさんにお母さんと届けに行ってた。
僕はなんとーーーなくだが当時からあんま好きじゃなかった。

雰囲気的な感じ。
なんか嫌ぁ~~な雰囲気。

引越した後分かった話だが、この大家さんは毎月水道代を5千円水増し請求してたらしい、それがバレて出てかなきゃいけなくなったんだって。
(やっぱりねって感じ)

お父さんは僕に自分は凄い人アピールをずっとし続けてた。
覚えてる限りだけど、
1.元レーサー
2.会社社長
3.お金持ち

4.料理人

「お金持ちを息子に自慢するならデニーズくらい行かせろ!!!!」
と今なら声を大にして突っ込む(笑)
まぁ~全部嘘だったわけだけど。

しかし、料理の美味さは絶品だった!
もう半端ないくらい!
何故かウチは父親が料理を作ってた。
でも仕事には行かなかった。
これ、今で言う主夫の先駆けかな?
うん。。。今なら「料理なんて作ってないで仕事しろー!!」と突っ込む。
うん。。。やっぱ男は料理の腕より仕事です。
間違いない(笑)
仕事が上手くいかなくなりだんだんとお酒に逃げるようになり、仕舞には母親に暴力をふるうようになった。

当時7歳だった。
初めて母親に暴力をふるった日の出来事は今も鮮明に覚えてる
夜中に酔っ払って帰ってきたお父さんがお母さんを呼びつけこう言った。
「もう、やるしかないんだよ」って
それで後はみなさんの想像通り。
僕は怖くて何も出来ずただ見てるだけだった。
食器が棚から落ちて割れる音が無性に大きく感じた。
数分後、姉がふすまを破って「もうやめてよ!!」って言って終わった。
お姉ちゃんはずっと泣いてた。
お父さんは「祥子泣くな!泣くんじゃない!」と言ってた。
(今考えてみると父親に泣くなという権利は無い)
お母さんが布団に戻ってきて、僕のおでこそっとキスをしながら
「酔っぱらってるんだよ」って一言言った。

この瞬間僕は父親を尊敬しなくなった。
というより敵に感じた。
次の日、なんかなんも無かった感じだった。
母親は普通に料理を作り、僕と姉と父親は普通にご飯を食べそれぞれでかけた。
「あれはいったいなんだったんだろうか?」
7歳の僕には全く理解できなかった。
恐らく僕と姉を不安にさせないよう母親が平然を装ってたのだろう。
なんか知らないウチに普通の家庭に戻ってた。
全然いつもと変わらない日々がそれから1年続いた。

8歳(小学2年生)になった時にある問題が勃発した。
「えっ学校が無くなる??」

廃校&離婚

そりゃー廃校ですよw
だって生徒いないもんねww
正確には廃校じゃなくて合併。
淀橋第6小学校と合併して西新宿小学校(現在もあります)として生まれ変わるとの事。
淀6が全校生徒で200人くらい。でウチと合併する事によってまぁ~300人くらいにはなるって話し。
いざ決まるとやっぱショック。。。
学校無くなっちゃうって。。
廃校問題とホントジャストタイミングで勃発した離婚問題。
当時の僕には”離婚”ってゆー意味がいまいちよく分からなかった。
というより父親と離れて暮らすのが全く想像できなかった。
母親に「なんで離婚するの?」
って聞いたら「大きくなったら分かるよ」って
「ふーーーーん」みたいな・・・
ただ引越しというのは一度やってみたかったんでそれはそれで楽しみだった。
最後父親となんて話したかもう覚えてない。
そんなわけで3月で学校が終了と同時に両親の離婚に伴い板橋区に引っ越し。
僕の新宿ライフはこーして幕を閉じたんです。
最後の学校であったお別れ会。
今でも覚えてる。
たった8人だけどみんな暖かく見送ってくれた。

転校

初めての引越し&初めての転校&初めての離婚(笑)
全部が初めてづくし!
引っ越した新しい家は、上板橋ってゆー駅から歩いて15分くらいの3階建てのアパート。
ボロイ。。
しかも1階がスナック(笑)
完全に教育上よくありません。
部屋は1DK
三人で暮らすには狭い。。。
家賃7万円。

始業式
ルンルン気分で新しい学校へ。
着いた瞬間ビビる!!
人が多い!!!!
86人の学校からいきなり400人の学校に行っちゃったから!!
恐い恐い!!!!

恐る恐るクラスへ。
34人もいる!!!!
前は8人しかいなかったのに!!
狭い!!教室が狭い!!!!
グェ。。もう無理。。。
泣いた。転校初日始業式に教室でマックス泣きました。

その数日後、僕は耐えられなくなって不登校児になりました。。。
(だって、、、恐いもん)

この時母親は日中は生命保険会社の営業マンとして、でも当時は全然稼げなくて、夜は歌舞伎町のお客さんの殆どが60歳以上のクラブで働いていた。
(本人曰くナンバー1だったらしい)
お金も無い、時間も無い。
そんな中で休みの日は不登校児の僕を外に連れ出しミスドへ連れてってくれた。
そーいう優しさに気付いていたから出来るだけ学校に行くようにした。
あんまり友達は出来なかったけど、それからは徐々に復帰し、最終的に野球チームにも入って、それなりに楽しい小学校生活を送れた。

小学校の時の母親の話しで一番思い出に残ってるのは、僕が友達も出来ず、学校にも行きたがらない時にクラスの男の子から野球チームに誘われて、お母さんに「野球がやりたい!」って言ったら、グローブとかバットとかを次の日に全部買って用意してくれた。
お金無かったのにね。
ありがとう。

次回は中学~高校編です!
ここで色々人生の分岐点があったのです。
あっあとコメントとか書いてくれるとめっちゃ嬉しいです。
当たり前ですけど、全部きちんと返信させて頂きます!

転校した中台小学校
(なんか今校庭が人工芝なんだって・・・東京って凄い!!ww)

続きのストーリーはこちら!

第4回 福岡来て2年半、元プロボクサー25歳が手持ち金0円で起業する事になった。

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