ヤカンいっぱいの水


明治生まれの祖母は東京に住んでいた。大正十二年、関東大震災に遭遇。山梨県の知人宅へ祖父と共に逃れる途中、どうしようもない喉の渇きに苦しんだ。

ある夜、祖母はヤカンを覗き込んでいた。少年だった僕が何をしているのかと尋ねると、

「水がちゃんと入ってとるか見とるんやで」

「なんでそんなことするの?」

「地震がきたら、ヤカンだけ持って逃げるんや。大震災のとき、水が飲めんかったから死にそうになった。あれこれ持って逃げることはできんやろうけど、ヤカンいっぱいの水だけは必ず持っていく」

祖母はヤカンを空にすることがなかった。湯を沸かした後にはいつも水を満たした。そして、就寝前には必ず確認していた。

祖母はその当時には珍しい恋愛結婚。女学校を出て間もなく駆け落ち同然に技術者の祖父と上京し、関東大震災まで東京で暮らした。山梨へ逃れた後は大阪に移り住んだが、今度は室戸台風が直撃。さらに第二次世界大戦が勃発し、空襲に追われた。

戦後、夫は三十九歳の若さで病死。大阪で生まれ育った長男も結核のために二十六歳で死んだ。

祖母は三人の姉妹と次男である僕の父を連れて帰郷し、親戚の家の一間に長らく居候をしていた。針仕事をして生計をつないだ。

「それも道やでな。人の道。道や」

祖母はいつもそう言って決して過去を語ろうとはしなかった。

僕が東京の大学に進学すると、

「あんたは、東京の水飲んで腹壊さんか?」

帰省するたびに尋ねた。

「東京の水は合うか?水が合うということは大事なんやで」

時代が激動する渦中、祖母にとってヤカンいっぱいの水は「命の水」だった。その水が合うということが命をつなぐことだった。

関東大震災から八十年後、祖母の没後四半世紀を経た今、眠る前に僕はヤカンに水を注いでいる。

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