第4回 福岡来て2年半、元プロボクサー25歳が手持ち金0円で起業する事になった。

前編: 第3回 福岡来て2年半、元プロボクサー25歳が手持ち金0円で起業する事になった。

ボクシングとの出会い

中学1年生の頃テレビでガチンコのファイトクラブという番組をずっと見てた。

学校でもそのテレビ番組の話題は頻繁にあり、その時に友達から僕たちの最寄駅のすぐ近くにそのジムがあると聞いて、早速見学に行った。

行ってみたらテレビ番組では「なんじゃわれー!!!!」とかシャウトしてるファイトクラブのメンバーも普通に真面目にそして態度良く練習してて笑った。

(トレーナーの言う事も真面目に「はい!」とか言って聞いてるしww)

「テレビってそんなもんよね(笑)」



元々、個人競技に興味のあった僕はすっかりのめり込んで次の日に入会した。

それがボクシングとの出会いでした。

この時は趣味程度にしか考えていなく、まさかプロにまでなるとは思ってもいなかった。

ちなみにファイトクラブの人たちとも普通に会話する事とかあったんですけど、みなさんめっちゃ良い人でした。特に↑の画像の藤野さんはよく練習終わりにジュース買ってくれました。全然テレビの印象とは違いました。沖ボクシングジムはその後経営難に陥り僕が15歳の時に無くなりました。僕は家の近くにもう一軒ボクシングジムがあったので高校進学してからはそこに通う事になりました。

父親の死

父親とは離婚してから2度3度あったりしてましたが、10歳くらいからは全く会う事は無くなりました。

中学3年生の高校受験真っ只中のある夜に電話があり、たまたま母親が不在だったので僕がでたら電話先の相手は父親の妹からでした。



おばちゃん
〇〇ですけど、覚えてる?
はい、覚えてますよ。久しぶりですね!どーしました?
おばちゃん
こうちゃんのお父さんが"危篤"なの…
??????
"キトク"ってなんですが?


15歳の僕には"危篤"の意味は良く分からなかった。

おばちゃんから「死」という単語を聞いて初めて理解出来た。

直ぐに母親に連絡し病院に行った。

故郷の西新宿、僕の産まれた病院で父親は入院していた。

お腹に管を通して寝ている父を見た時は動揺を隠す事など出来ず、病室で思いっきり泣いた。

父親に「泣くな」と言われても泣いた。

父親の「全部俺が悪かった、ごめんな」という言葉は心に残った。

父はその日の夜に他界した。

葬式も誰にも知らせず身内のみでひっそりと行った。

あんだけ父の事を恨んでいた母親も号泣していた。

僕も泣いた。

ウチの父親が何故成功しなかったのか?って今になって思う。

天才的な頭脳持ち、営業センスも抜群、全て一人でなんでも出来る。

しかし、父は周りに恵まれなかった。

頼ろうともしなかったし。

天才過ぎる故に孤立してしまい、失敗し全てを世の中のせいにしてしまった。

そして酒に溺れ完全に壊れてしまった。

人間一人では生きていけない。時には誰かに頼る事、すなわち他人を信じるという事が父にあったらこーいう結末にはならなかったのかもな。。。と思います。

自分が産まれた病院で父親が死ぬ。。。

自分は最後どんな結末を迎えるのだろう。。。と考えたきっかけでした。

高校生~人生の分岐点~

「人生の分岐点っていつだった?」

って聞かれた時には必ずこう答える。

「8年前の9月10日だったよ」って。

今でも忘れる事無く覚えているが、人生で一番「快晴」と言える程天気の良い日だった。

当時僕は17歳、地元のファミレスでバイトをしていて、その日は日曜日でお昼の12時から出勤でした。

バイトの先輩から10万で譲って貰ったスズキのGSX400インパルス(タイプS)にまたがり、雲一つ無い空を見上げながら「なんでこんな天気の良い日にバイト行かなきゃいけないんだろ…」とブツクサ文句を言いながらお店までバイクを走らせた。

日曜日のお昼は忙しい。パートのおばちゃんから怒られながら仕事をこなし15時のティータイムになるとよーやく落ち着く。

その時お店に電話が鳴った。

電話先の相手は枯れた声をしていて小声で「中村 史絵の父ですけど、、、」と言った。

僕は電話先の相手とも面識があったので「あっ中村さんですか!佐治です!どーしました?」と言った。

そしたらお父さんは今にも消えそうな声で「店長さんに変わって頂けますか?」と僕の事はスルーで言った。

「分かりました」と言い店長に繋ぎ店長は従業員控室で電話を取った。

一体お父さんから電話かかってくるってどーしたんだろ?とそんな事を考えながら仕事をしていると、

奥から一目でなんかあったって分かる顔を浮かべた店長がやってきて言った。。。

「史絵ちゃん、、、死んだって」

史絵(シエ)ちゃんこと中村史絵さんは当時28歳のアルバイトの女性。

昔かたぎの典型的な今で言う"アゲマン"な女性で僕がこのファミレスに入ってから史絵さんは僕の教育係兼お目付け役。

毎度毎度だらしない僕のお説教係りでした。

仕事が終わる度に高校生の僕を飲みに連れ出しお酒を僕に教えてくれたのもこの人でした。

年は11個も離れてたけど、だらしない僕としっかり者の史絵さんの二人は思う程気が合い、いつしかお店の中でも名物コンビと言われる2人になるのに時間はかかりませんでした。

僕がバイクの免許を取ってからは2人でお台場に行ったり、週末は朝まで店の近くの居酒屋で2人で飲んだくれたりしてました。

自分ではホントは気付いてたんだけど、僕はこの人の事が好きでした。

でも11個も離れてたし、当時の僕は素直じゃないからどう表現したらよいかも分からなかった。

一緒にバイクで出かけたり砂浜で手を繋いで歩いたり、ふとした時にキスしたり、でも好きって言えない。きっと彼女も同じ気持ちだったんだろーけど、年齢差があるし同じ事気にしてたんだと思う。

でも先輩でもあり仲間でもあり好きな人でもありちょっと恋人チックな"ふわふわ"した関係が楽しかったし幸せだった。

「ずっとこんな日々が続くといいね!」

「そうだね。。。」

今思えばその時から彼女はきっと自分の死期が近い事を気付いていたんだと思う。

そんな関係が数ヵ月続いたある日いつも通りランチから史絵ちゃんと仕事をしてると急に彼女が「腰が痛い!」って言って座り込んでしまった。

僕は普通に「えっぎっくり腰ってやつですか?」って声をかけたら

か細い声で「分かんない…」って

「とりあえず裏で休んできなよ」って言って彼女の手を肩にかけ裏まで運んでいきました。

僕はまだ2時間程仕事を残していたのでそれをこなし、17時に上がり、控室に行きました。

彼女は腰を押さえながら「これから病院に行く」って

僕は「マジで?そんなに悪いの?」って返したら

「結構キツイ」って。

当時の僕の脳みそだと腰が痛い=ギックリ腰かそれに準ずる何か・・・

程度の発想でしかなかったので「まぁ~とりあえず病院に行けば治るでしょ」って言いました。

それから少し他愛もない話をした後に彼女から質問がきた。

「私が死んだらどうする?」

全く予想外の質問でした。

えってか腰が痛いで人間死ぬもんなんですか?ってそんな馬鹿な話しあんの?ってこいつ俺の事おちょくってるなって思いました。

だから僕は「お前馬鹿か?腰が痛いくらいで死んだらみんな死ぬわ!アホでしょ?」って

続けて「仮にこれで死んだとする、もしホントに死んだら葬式で爆笑するわ!めっちゃ笑うわ!」って言いました。

そしたら彼女は「あんたホントに笑ってそ~」って

僕は「そんなんで死ぬわけないじゃん!馬鹿言ってないでさっさと病院行きな!じゃあね!!」って言ってお店を出ました。

その時は想像もしてなかった、あの会話が史絵ちゃんとの最後の会話だったなんて。。

数日後彼女からメールがきて「ストレスで胃に穴が空いてたから入院する事になった」って

だから僕は「えっじゃあお見舞いに行くよ」って返信しました。

そしたら彼女から「検査で忙しいし、お見舞いも多いし、お前が来ても邪魔以外のなんでもないから絶対に来ないで!」って

今の僕だったら「そんなの知ったこっちゃねー!!」で突撃してますが、当時17歳。。全く素直じゃないクソ餓鬼。。。僕が返信したのは「あっそ!じゃあ行かねーよ!入院したとかホントダサイ!ご愁傷様!!」でした。

それから一度も連絡を取る事無くこの日を迎えたのです。

彼女が死んだって聞かされて、全く理解が出来なかった。

だって腰が痛いで死ぬなんてって。。

その日の夜、彼女のお母さんがお店に訪ねてき全ての真相を知る事が出来ました。

実は胃に穴が空いたってのは全て嘘で、彼女は乳がんにかかってて、それが転移してそれで腰が痛くなってたのです。

僕と出会う前に一度乳がんにかかってて手術して完治してたんですが、再発してしまったのです。

僕は勿論過去に乳がんにかかってた事など知りませんでした。

だから史絵ちゃんのお母さんに「なんで言ってくれなかったんですか!?直ぐにかけつけたのに、ずっと傍にいたのに!」って泣きながら大声で言いました。

そしたらお母さんが「史絵からね、佐治君だけには言うなって止められてたの「あいつはまだ高校生だし学校があるしボクシングの練習だってあるし、あいつに私の事話したら、きっと学校も練習も行かずに毎日私のとこに来る。それだけはしちゃだめなの。あいつには無限の可能性があるから」って」

続けて「佐治には綺麗な私を覚えていて欲しい。今の私じゃなくて綺麗な私を」ってだから言えなかった」って

その瞬間僕は声に鳴らないような声で叫んで泣き崩れたのを今でも鮮明に覚えてます。

沢山泣いた。沢山泣いたけど涙は枯れない。。。

目も腫れ、学校にも行けない。

何も考えれない。

気付けなかった自分がただただ惨めで悔しかった。

人生であれほど自分を呪った事は無い。

下唇をずっと噛み締め血がダラダラ流れ出てた。。。

絶望の底の更に底。。。出来る事ならば二度と体験したくない。

学校に行って何も考えずに生きてる人間を見ると「何でお前が死ななかったの?」って本気で思ったりした。そして「あってか何で俺が死ななかったんだろう」ってずっと考えてた。

最愛の人も守れない、傍にもいてやれない、そんな男に生きる意味なんてあるのだろうか?

「私が死んだらどうする?」

その言葉だけが頭の中を永遠にループしてた。。。

彼女は"サイン"を出してた。しかしそれに気付けなかった自分。

その弱さを呪った。

素直になれなかった自分も悔しかった。

好きだったのに、正直になれなくて結局伝えれずに終わってしまった。

変なプライドが邪魔して自分に正直になれなかった。

なんであの時、あんな酷い事を言ってしまったんだろうと8年ひきずりました。

自分の人生に何も見出せず、何も考えれず、そんな日々が数ヵ月続いたある日、ふと思いました。

「生きなきゃいけない」って。彼女が見れなかった世界を見ないといけないって。

当たり前の事なんだけど、あれ程強く「生きる」って言葉を強く自分に言い聞かせた事は無かったです。

だからどんな人生を歩もうとも最後まで闘おうと決意しました。

どんなに悩んでも、考えても過去を無い物になんて出来ない、乗り越えて生きるしかないと思いました。

それと同時にもう二度とサインを見逃さないように強くなろうってあの時誓いました。

17歳の夏の終わり・・・

あれから8年、、ずっと後悔してる部分はいまだにある。

何故あの時・・・って一人で夜中に考えたりの繰り返しでした。

時間が経つにつれ、その時の絵は忘れていくが心の痛みは消えなかった。

当時の彼女を尊敬します。

俺だったら同じ状況になったら絶対呼んじゃうもん。

彼女程強い人間を僕は自分の母親以外で見たことが無い。

後悔は沢山あるけど、史絵ちゃんと出会えた事、そして彼女を愛せた事は人生を大きく変えるキッカケになりました。

彼女と出会って無かったらプロボクサーになる事もなかったろうし、その後の人生で人と違った道を歩くのに何の抵抗も無く進めることもなかったであろうと思います。

「君と出会えたから」

常に何かを決断する時に背中を押してくれてました。

常に俺の影に君がいてくれたって思う。

でも、もう大丈夫。

「一人じゃなかった」

時が経つにつれて、いつしか思い出がみんな四角くなってアルバムの中から少しずつ少しずつ減っていっても、それでもいいって笑って言える。

とても素敵な君と一緒に青春時代は確かにそこにあったと、誇りを持って言えるから。

プロテスト

この出来事があって、全ての物の見方や価値観が変わり、ひたすらボクシングに打ち込むようになりました。

なんとしても高校生中にプロになると決めた。

しかし、現実は中々思うようにいかず、1回目は緊張しすぎて落ちる。

2回目は受かったと思ったのだが、この時からプロの審査基準が物凄く厳しくなってしまい、また落ちる。

2回目落ちた時は物凄くショックで、「もう辞めよう」と思った。

母親に辞めることを告げた。

今回もプロテスト落ちたから、もうボクシング辞めようと思う
別に良いよ!ただこれだけは覚えときな。
「ボクシングで失ったモノは、ボクシングでしか取り返せない」このことを分かった上で辞めるなら結構。分かってないならもう1回考えなさい。
・・・・・・・・

「ボクシングで失ったモノは、ボクシングでしか取り返せない」

この言葉が心に残り、もう1回だけやろうって思えた。

母のこの言葉が無かったら辞めていたであろう。

高校3年生の12月。

ここで受からなきゃもう高校生中にはプロにはなれない。

これがラスト!落ちたら今度こそ辞めると決めて臨んだプロテスト。

流石に3回目ともなると全く緊張もしなかったので本来の動きができ、相手もノックアウトし、見事合格!!

人生で初めて何かを成し遂げれた気がした。

史絵ちゃんとの約束も守れたのが何よりも嬉しかった。

高校生でプロ試験に受かったという事実は僕に大きな自信を持たせてくれました。

その後何かに新たにチャレンジする時も「最初は失敗しても大丈夫!3回目以内には受かる!」って思えるようになりました。

高校卒業後のプロデビュー戦。

僕は作ったトランクスのお尻の部分に「中村 史絵」とでっかく刺繍を入れた。


リングに上がった瞬間「ようやくここまでこれた。もう満足」と思った。

だから速攻で負けました(笑)

なんかもうやりきったなって感じだった。

いつの間にかプロになる目的は史絵ちゃんの為になってたから。

プロになった時点で僕のボクシングは終わったのです。

だから負けても悔しく無かった。

寧ろ6年やったボクシングをよーやく辞めれるって思ったのが本音です。

次の世界にいこうと思ったから。

こうして僕のボクシング人生は終わりました。

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