今日本で教えられてる道徳は正しいのか?

斎藤道山はいった。
「人の世の面白さよ。人は、群れて暮らしている。
群れてもなおお互いに暮らしてゆけるように、
道徳ができ、法律ができた。人間ほど可憐な生きものはない。
道徳に支配され、法律に支配され、
それでもなお支配され足らぬのか
神仏まで作ってひれ伏しつつ暮らしている。」
人間は何ももたずに生まれてきた。
言葉なんてものはなく、
ルールなんてものにも縛られてなかった。
人が増えるにつれ、
コミュニケーションが必要になり、
言葉ができた。
コミュニティができるにつれ、
いくつものルールが生まれた。
法律、神仏、道徳が最たる例だ。
これらはすべて人間が後から
作りだしたものにすぎない。
そして時代とともに権力者が代わり、
時代とともにニーズが変わるにつれ、
カタチ、内容ともに変化し続けてきた。
日本でもいま憲法問題が取りざたされるようになってきたが、
いまの日本の法律は本当に正しいのだろうか?
空気を読む、他人を優先する、といった
日本独特の価値観は今の日本の道徳としてふさわしいものなのか?
歴史を振り返ると、
日本の道徳もころころと変わってきている。
徳川300年のころなんて、
主君にさからうのは悪いこと、が道徳であり、
幕末に日本がピンチになったときにも、
幕府にさからわない土佐藩、土佐藩にさからえない土佐藩士、などがたくさんいた。
結果、当時の道徳の常識を
ぶっ壊した脱藩の志士たちが日本を救った。
恥をかくくらいなら、切腹した方がましだ
と思う日本人もいまはいないだろう。
じゃぁ今の日本の道徳はどうなんだろうか。
増え続ける自殺率、
希望を見いだせない若者、
世界有数の国になったのに自信をもてない日本人、
これら惨劇の元凶には間違いなく、
自分より他人、会社、空気を
優先することを美とするといった、
日本の道徳がからんでいる。
そもそもこの道徳はいつできたのか?
自国を卑下し、他国を美化する国民性は誰がつくったのか?
日本の起死回生を恐れたアメリカか?
徳川時代のように平和ボケして勝手にできあがったのか?
人間は何もなしで生まれて来た。
道徳なんて誰かがつくった幻想にすぎない。
いま日本人一人ひとりが
自分たちの人生ために
何が必要なのか、どう行動すればいいのか、
道徳、法律に縛られず
0から真剣に考えないといけない時がきている。

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