ワレモコウを聞け!
喜寿を迎えた母は、以前、家族六人が暮らしていた家に一人暮らしをしている。
「一人のほうが気楽でええ」
母は言い、にわかに忙しくなった僕は、しばらくの間、会いにいかず電話もしなかった。
あるとき、母から電話があった。
「あんた、ワレモコウを聞いたか?」
僕には何のことかがわからなかった。そして、つまらないことから口論となり、きつく叱られ、喧嘩別れになった。このままではいけないと思い母の家へと車を飛ばした。しかし、さらに激しい口論となってしまい、
「ワレモコウを聞け!」
母は僕が理解できないことを言って怒った。
このときから犬嫌いだった母が座敷犬を飼い始めた。犬の世話をすることと、犬の世話をどうすればよいかと近所に聞くことに母は忙しくなった。
「エサは重いし、どれを選べばいいかわからんから、一緒に買いにいってあげるほうがええよ」
妻に言われても、乗り気がせず母に会うことを避けた。
「ばあちゃんにな、あやとりを教えてもらいたいやけど」
幼稚園に通っていた長女にせがまれ、僕はようやく重い腰を上げた。
長女を母の家に連れて行くと、子犬が一人暮らしには広過ぎる家を走り回っていた。母は楽しそうにあやとりやお手玉を教えた。
ワレモコウとは「吾亦紅」という歌のことであると知ったのは、それからすいぶん経ってからのことだった。その歌詞は、仕事が忙しいことを理由に母に会いに行かなかったことを死後に詫びるというものだった。
僕は母の本心を垣間見たように感じ、何とも言えない脱力感に襲われた。
その日から僕は、毎週末に母に会いに行くことに決めた。忙しいとは決して言わず、語らずに。
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