自分が大嫌いだった私が、芸能界入りしCDデビューをした話。
これは小学生の頃の話。
私は幼稚園の頃から自分の事が大嫌いだった。
何かあるたびに目鼻立ちのはっきりした顔の事を指摘されたからだ。
「外人みたい」「日本人じゃないみたい」と言われ
そのたびに傷ついていた。
私の父親も目鼻立ちがはっきりしている。
どうしてこんなに父親に顔が似てしまったのだろうとよく思っていた。
一重で、眉毛も薄くて、色が白い薄顔にどうして生まれなかったんだろう、
何でこんなにみんなと顔が違うんだろう。
とにかく幼い私はコンプレックスの塊だった。
そんな私が小学3年生になった頃、
母親から知り合いが主催しているオーディションを受けてみないかと誘われた。
当時の私はオーディションなんて知らなかったので、母の言われるままついていった。
初めてのオーディション。
自己紹介をしてくださいといわれたが、審査員の視線が私に集中している事が怖くて、顔を合わせることもできなかった。
落ち着かなくてピョンピョン飛び跳ねていた。
その数日後、
合格の連絡が来た。
私は事務所の社長に「どうして私は選ばれたんですか?この濃い顔嫌いなんです。」と尋ねた。
すると、
「めぐの顔は素晴らしい個性だし、魅力なんだよ。ほかの人にはないんだから」
と言われた。
生まれて初めて、誰かに自分のコンプレックスを褒めてもらえた。
少しだけ自分を好きになれそうな気がした。
それから、ダンスと歌のレッスンを始めることになった。
歌は音楽教室に通っていたし、ピアノも習っていたので抵抗はなかったが、
運動神経の鈍い私はとにかくダンスが下手だった。
しかし、学校ではサブキャラのまたサブキャラの私。
学校とは違う空間が心地よかった。
レッスンを重ねていったある日、ユニットを組むことが決まった。
そしてリードボーカルのメンバーに選ばれた。
リードボーカルは私を入れて3人。
3人という事は・・・・センターポジションがあるのだ!
始め私はセンターだった。
この頃には自信が芽生えつつあった。
しかし、間もなくしてセンターを下された。
私の代わりにセンターになったAちゃんは運動神経がよくてダンスがうまかった。
フリ覚えも早かった。
人生で初めて、悔しいと思った。
自分にまだコンプレックスはあったが、今まであったものが失われた感覚と
これじゃあ学校での私のようにサブキャラになる気がした。
知らせを聞いたその日、子供部屋で沢山泣いた。
それから、学校から帰ると自宅で毎日ダンスの練習をした。
母にビデオを撮ってもらってチェックをしたり、
ダンスの上手い人の映像を見て研究したりもした。
勉強以外はひたすらダンスの日々。
メンバーの2人も努力しているのだ。
だったらその3倍は努力しなければならないという気持ちでいっぱいだった。
絶対にセンターを奪還しようと思った。
そしてデビュー前、センターを奪還することができた。
それは私にとって大きな自信になった。
それからCDデビューをして、
沢山のテレビやCMに出て、雑誌や新聞にも載った。
1日TVに密着取材をされたこともあった。
バンダイミュージックというレコード会社からCDは3枚リリースした。
3枚目のシングルは元プリンセスプリンセスの中山さんが詞を書いてくださった。
▲子供の頃のものですがiTunesで売ってますw
芸能界は初めて私のありのままを認めてくれた場所だ。
芸能活動をしなかったら、自分を好きになる事も、
自分を信じることもできなかったかもしれない。
今も「頑張れば何とかなる!」と思えるのは、
あの頃努力をして掴んだものがあるから。
この経験は私にとって宝物・・・
いやそれ以上である。
▲現在の私w
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