メジャーアーティストを辞めました。メジャーデビューから、インディーズデビューをもくろむ話。

1 / 2 ページ


はじめまして。

菅原紗由理といいます。

私は2009年、19歳のときに FOR LIFE MUSIC ENTERTAINMENT から、歌手としてメジャーデビューし、活動してきました。

そんな私ですが、2013年11月某日、

メジャーアーティストを辞めました。

幼い頃から、ずっとずっと夢だった憧れの舞台を飛び降りて、まっさらな「インディーズ」の状態から、すべてをスタートさせます。

メジャーアーティストを辞める。

ここまでに至った経緯と、そして今の自分の『想い』と『感謝』を伝えたくて、カタチにして残しておきたくて、ストーリーにしました。

「歌手になりたい!」その気持ちだけで、東京と秋田を行き来していた10代。



私が生まれ育ったのは「かまくら」などで有名な、東北の秋田県横手市という、とても小さな町。冬は見ての通り、屋根が壊れるくらいに雪のつもる豪雪地帯。

東京にオーディションを受けに行くだけでも、

友達
さゆり、東京さオーディション受げに行ってるらしいど!


なんて学校でも、近所でも、
すぐに噂が広がってしまうような田舎町。

そんな秋田の田舎町から、オーディションを受けるため、高校で禁止されていたアルバイトをしてお金を貯め、家族の反対も押し切り、ひたすら東京に通い続ける。

そんな日々を過ごしていました。

オーディションでグランプリ獲得!念願の歌手としてメジャーデビューすることに!!



初めはなかなか上手くいかずにいたオーディションも、高校2年の冬に FOR LIFE MUSIC ENTERTAINMENT が主催する「7DAYSオーディション & 30DAYS オーディション」という大きなオーディションで初の合格者に。そして2009年4月に、メジャーデビューすることになりました。

デビューミニアルバムの「キミに贈る歌」は、
配信サイトで
100万ダウンロードを達成。

ドラマの挿入歌や、テレビゲームのテーマソングを唄うことが次々と決まっていく、まるで夢のような毎日。

アーティストとして最高のデビューに、これから全部、私は絶対にうまくいくんだ!そんな期待に胸を膨らませていました。

聴こえはじめた、もう1人の私の声。



最高のスタートを切った、私のデビュー。

当時は「せつない」とか「愛しい」とか「会いたい」とか、女心を歌った曲が大ブーム。なので私もスタッフの方々のプロデュースで、

「切なくて」「会いたくて」
「恋しくて」「愛しくて」

といった、女心を表現するアーティスト「菅原紗由理」でした。そんな私を、沢山のメディアが、紹介してくれました。

もちろん、楽しいことばかりではなく、スタッフの方々には、時には厳しく、スパルタで接してもらっていたと思います。

私が書いた歌詞にOKが出ないことは日常茶飯事だったし、何十歳も年の離れた大人から、会議室の机を叩き割る剣幕で、罵倒された日もあった。ミーティングで「お前のここがダメなんだ!」と毎回のようにダメ出しを受けたこともあった。

それでも、これは自分のためなんだ!と言い聞かせて、必死でそれを理解しようと、クリアしようとしていました。黙ってうなずくしかなかった。それが今の私がやるべきことなんだと。

そんな辛くも夢への期待があふれる毎日が続いていたある日、

私はふと、私自身に生まれつつある、
不思議な感覚に気付くようなりました。

それは、

詞を書けば書くほど、
曲をつくればつくるほど、
人前で歌えば歌うほど、
音楽に向き合えば向き合うほど、

自分が書く詞、自分が歌う曲さえも、

「誰かにOKをもらうこと」が、最優先になっている自分がいる気がしたのです。

いったい私は、

誰のために歌ってるんだっけ?
誰のために書いてるんだっけ?
これが私の求めていた音楽だっけ?

そんな疑問が生まれるようになっていました。

当時の私には、それに反論できるような力が無いことは分かっていました。だけど、音楽で伝えられることは「恋愛」だけじゃなくて、もっと沢山あるんじゃないか。

もっともっとバラードだけじゃなく、みんなとLIVEで楽しめるような曲を作っていきたい。

その声は日に日に大きくなり、気付いたときには、もう無視できないほど、大きなものに。

女心を表現するアーティストとしての「菅原紗由理」と、それとは真逆の欲求を叫ぶ、心の中の、もう1人の私。

頭では、周りの人たちが期待してくれるアーティストとしての「菅原紗由理」に徹するべきなのは、分かってる。でもどうしても、もっと自由に、もっと解放された「自分」への憧れを抑えられない。

そんな葛藤が続いていく中、ファッションも、インタビューの受け答えも、毎日の言動も、「菅原紗由理として期待されるような答え」ができなくなっていました。

中学時代からの友達に久しぶりに会ったときも

友達
さゆ、服装変わったよね?


と言われて、「あれ?」と思ったり。

自分がどうして、普段着ないような「いい子ちゃん」な服を着ているのか、どう答えていいか分からず戸惑ったり。

ふとした時に、

なんだか私、操り人形みたいだなあ...

と自問自答するようになったり。

その度に、

これがアーティストとしての菅原紗由理だし…

と納得したり、しなかったり。

こんな毎日を繰り返していく中、

あれ?
私の本当にやりたいことってなんだっけ?

と、改めて考えるようになったのです。

「やりたいことが分かりません病」に侵されていた私。尊敬するあの人にもらった、忘れられない言葉。



そんな「私の本当にやりたいことってなんだっけ?」に苦しんでいた時期、ずっとずっと尊敬していた「ある人」との出逢いがありました。

あの「BENNIE K」のヴォーカル「YUKI」さんです。


当時の私にとって「BENNIE K」はスターのような存在。実際に、オーディションの際、履歴書には「尊敬するアーティスト BENNIE K」と書いて提出していたほど。

そんな憧れの存在だった YUKI さんと、初めての食事。

そこで、YUKI さんを目の前にしたとき、今までずっと溜め込んできた想い、女心を表現するアーティスト「菅原紗由理」との葛藤に押しつぶされて、悲鳴をあげていた想いが、一気に溢れてきました。

本当は、バラードだけじゃなく、恋愛だけじゃなく、もっと明るい曲を、みんなが前を向いていけるような曲を作りたくて。

自分が夢を追いかけているように、同じ心境でいる人に、歌で伝えたいメッセージがあって。

女子校で過ごしたハチャメチャな学生生活。信じているモットー。高校時代、推薦で入ったバスケを辞めてしまったときに感じた劣等感や孤独。ずっと一緒にいた友達と、ちょっとしたことですれ違ってしまったりしたこと。

音楽で伝えられることは、
恋愛だけじゃなく、もっとあるはず。
もっともっと、自分に出来る音楽があるはず。

私だからこそ、
歌えるメッセージがあるんじゃないか…

それを黙って聞いてくれたYUKIさんは、
私にやさしくこう言ってくれたんです。

YUKIさん
それ、すごくいいじゃん!
YUKIさん
そのまま歌詞にできちゃうよ、ぜんぶ!

この言葉を聞いた瞬間、今まで自分を縛り付けていた何かが、ほどけていきました。

こんな身近なところに、こんなにも伝えたいことが沢山あるのに、どうして、今まで気付かなかったんだろう。

私は、表現者として最も大切な「自分が何をしたいか」という自我を持たずに、ただ「歌手になりたい」「歌が歌いたい」とだけ、思ってしまっていた。

YUKIさんにすべてを話したことで、表現者としての「私」に、ようやく気付くことが出来たんです。

気付いたら治っていた「やりたいことが分かりません病」

みんなの読んで良かった!