家族のガンから感じた「生き方」と「死に方」、そして親孝行の形

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「おじいちゃん、ガンなんだって」

2009年6月、まだまだ就活中だった僕に、弟が言った。
何も感じなかったわけでもない。でも、だからといって特別、何かを感じるワケでもなかった。生を受けた者が必ず訪れる、万人に唯一共通の「必然」だから。
最初に言っておくと、このあとおふくろもガンになった。ガンのダブルパンチ。
しかし、両者今でも健在。おじいちゃんはフラッと家を出てはフラッと帰ってくるし、おふくろは相変わらずオヤジに文句言いながら、家事・仕事を毎日精力的にこなしている。

おじいちゃんのガンの話

まず、おじちいちゃんの話。胃がんだった。元々少食な上に、胃がん。
食事に一切手をつけない日もあった。
だから、いっつも一緒に食べていた夕食も別々になった。
聞くとみんなが笑って食べている事が羨ましく、でも、見てると嫌になるらしい。
こっちから顔を合わせに行かないと、ほとんど顔も合わせることがなくなった。
一番ショックというか、もうどうしていいかわからなくなったのは「術後」。
胃の4分の3を摘出した。その影響でげっそり痩せた。
人間って一気にこんなに体重落ちるんだっていうくらい。
まぁ予想はしてた。だってほぼ摘出だもん。でも、俺の予想なんて、
文字通り、小さかった。目に見えてやせ細った。これで生きていけるの?
ってくらい。だからかもしれないけど、機嫌の落差が一段と激しくなった。
機嫌を見計らわないと、余計に相手を落ち込ませてしまう状況。
そんな中、術後一度だけ、おじいちゃんとゆっくり縁側で話したことがあった。
「どんな状況だって、自分の人生を生きることが一番いい。そして誰にも文句は言
われないし、言われたくもねえ」そう言っていたことが今でも印象に残っている。

「おかあさん、ガンなんだって」

そして同時期におふくろのガンも発覚。
おふくろが一番最初にやったこと。それは「家事の引き継ぎ」
おばあちゃんと2人で分担していたから、俺がそれを引き受けることになった。
「だっておばあちゃんばっかりに任せられないでしょ」いつものように笑いながら
ノートを差し出した手は、少し、でも確実に震えていた。
「就活やめるよ。東京で働く。」当時内定はあったものの、自分が望んだ会社では
正直なかった。なんにも考えずに、「気づいたら言っていた」、そんな感覚。
次の瞬間、突然おふくろがすっごい剣幕で言った。
「ばか!自分のしたいことをすればいい。納得するまでやればいい。誰もあんたに
心配されなくたっていい。ただ、少しだけ、お母さんのこととか、家族のことを考
える時間を増やしてくれればそれでいい。」
部屋に戻って、全力で、泣いた。

いき方としに方

「お母さんはね、家族のために生きる人なんだよ」
二人で家事をしているときそう、おばあちゃんが話してくれたことがあった。
確かにその通りで、無理言っても、文句は言う。でも最終的にはやってくれる。
そんなおふくろ。
「だから、お母さんのいき方、”できるだけみんなに自分が重荷にならないように
する”っていういき方をダメって言わないであげて。きっと手助けをするってこと

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