車いすの男性と出会って結婚するに至るまでの5年間の話 その9

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祝福されて

両親に結婚の許可をもらったのが3月。母の誕生日の少し前だった。母の好きなフリージアの花束も持っていった。正式に結婚の許可をもらった後に、花束を渡した。でも、自分たちが何と言って、両親に何て言われたのか、全く覚えていない。緊張していたのかな。
4月に親族の顔合わせと婚約を兼ねて食事会をした。と言っても、彼のほうは母親だけで、こちらも両親と姉家族(義兄と姪ふたり)だけなので、本当にささやかなものだったけれど、個室を予約して記念品の交換もした。
婚約指輪などは、お金もかかってもったいないということで、以前に彼からプレゼントされた指輪をもう一度もらうことにした。サイズが少し大きくて、ずっと中指に着けていたのだけど、それを薬指のサイズに直してもらって、婚約指輪の代わりにした。彼には時計をプレゼント。これも以前に私がプレゼントしたものを、包装して記念品の代わりにもう一度プレゼントした。
親の反対を押し切ってまで、強引に結婚するつもりはなかった。こうやって、家族に祝福されて結婚の準備に取りかかれる日が来るなんて、最初は思いもしなかったけれど、時間が解決してくれることってあるんだと思った。
私はもうすぐにでもブライダルカウンターに相談に行きたかったのに、彼はなかなか動こうとしない。ある日、一緒にテニスに行こうとして、あまりの渋滞で諦めることになった。テニス行かないのなら、ブライダルカウンターに行こう! と強引に連れていった。
いざ、相談し始めても、全く乗り気じゃない彼。それならそれで、私の好きにやるからいけれどと思っていたら、料金の話が出始めたら俄然に乗り気になった。担当の方は、「男性は数字が出てくると身を乗り出します」と言っていた。まさにそのとおり。彼はとにかく安く済ませようとしていた。私も無駄にお金は使いたくないけれど、過去に十数回結婚式に出席した経験から、イメージは膨らんでいた。
あるホテルを見学に行ってみたら、ホテル内のチャペルの前に1段の段差があった。結婚式には、車いすの友人たちも招待する予定だったので、この段差を解消してくれないかと相談した。が、以前スロープを用意したら、それが壊れてしまったことがあり、ケガをされると困るのでできないと断られた。1段の段差なら、介助すれば上がれないこともなかったし、料金がかなり安かったので、一応仮予約をした。
彼と一緒に見学に行ったり、私ひとりであちこち見に行ったりもした。バリアフリーの会場を探すのは、やはり少し大変だった。ホテルならば問題ないと分かっていたけれど、私はできればレストランウエディングをしたかったから。
そして、東京駅そばの高層ビルの中にレストランウエディングのできる会場を見つけた。多目的トイレはビル内に1カ所あった。会場はワンフロアで、ほぼ段差なし。そして何より、そこの支配人が素晴らしくて、私は一目惚れしてしまった。普通、仮予約は1日しかさせてもらえない。でも、週末に両親と相談したいといったら、土曜と日曜の両日予約しておくので、相談して決めてくださいとおっしゃってくれた。さらに、4月に動き出して、5〜6月には挙式しようとしていたので、「どこに会場を決めるにしても、今から招待客などのリストを作っておかないと、間に合わなくなりますよ」とアドバイスしてくれた。
週末、実家に帰って両親に日程と会場の相談をした。母は「そんなにすぐに式を挙げるの? 秋くらいにしないの?」と驚かれてしまったが、父は「家も決まってるんだから、別に早くていいんじゃない」と言ってくれた。そして、仮予約をしておいたホテルとレストランについて相談した。ホテルは安いけれど、スロープを用意してくれないと伝えたら、「そんなところにする必要ない! すぐに用意するのが普通でしょ」と、レストランに即決した。挙式は6月の中旬に決まった。
平日は私ひとりで、週末は彼も一緒に、急ぎ足で挙式の準備を進めていった。衣装選びは姉も付き合ってくれて、あれこれ試着した。彼も私も、イメージどおりのものが見つかった。ベールや髪飾りも、母が相談に乗ってくれて一緒に決めた。挙式直前にちょっとしたすったもんだもあったけれど、ほぼ順調に準備は整った。
「ジューンブライド」。よく耳にしていたけれど、私は小馬鹿にしていた。6月に挙式なんて、ヨーロッパなら雨が少なくて理解できるけど、日本でジューンブライドなんて意味が分からないと思っていたら、自分がジューンブライドになってしまった。予想外過ぎる。5月中に式を挙げたかったのだけど、会場が空いていなくて6月になってしまった。そしてその年の梅雨はしっかりと雨が降った。
6月は緑も青々として瑞々しくて、それはそれでいい季節だとは思うけれど、やはり雨が心配。お天気に左右されないような会場にしたし、特別な演出も考えていなかったので、雨が降っても問題はなかったけれど、やっぱりできれば降ってほしくない。が、そこは晴れ女の私のパワーで、見事に乗り切った。
挙式の1週間前にひとり暮らしの家から、彼がすでに住んでいた新居に引っ越しをした。荷物だけを移して、私は挙式までの1週間実家に帰って過ごした。その引っ越しの日だけ、見事に晴れた。挙式の前日は朝から土砂降りだったけれど、午後から止んで晴れ間も出てきた。そして当日、雲は厚かったけれど雨は降っていない。そして式が進むにつれて、太陽が顔を出してきた。彼は私の晴れ女パワーに恐れおののいていた。
式が始まる前に、写真撮影をしていると、徐々に友人たちが集まってきた。私と彼はニコニコで撮影をしていたのだけど、それを遠巻きに見ている友人たちは、なぜか涙涙。まだ式は始まってもいないのに。終始にこやかにスケジュールが進んでいたのだが、いよいよ式のリハーサルを始めるというとき、ふたりで並んでいたら彼が急に涙を拭い始めた。普段、滅多に感情をあふれさせない人なのに、「ここまで来たんだなあ」と思ったら、目が潤んでしまったらしい。
式は滞りなく進み、終盤へ。私から家族への手紙を読んだ。まず姉へ。最初に彼のことを相談したのは姉だった。車いすなんだけれど、でもきっと結婚すると思うと、最初に伝えていた。その後も見守ってくれていた。「お母さんたちの心配事はあなたたちのことだけなんだよ」と、結婚へ背中を押してくれた。
そして両親へ。心配をかけてしまったけれど、彼と出会ったときに何の抵抗もなく結婚を意識できたのは、両親に育ててもらったからだと感謝の気持ちを伝えた。
そして両親へ花束贈呈。父へはブートを。そして母に花束を渡したときに、「おめでとう!!」と言われた。やはり母は、私の幸せを願ってくれていただけだったのだ。反対されたり、イヤなことを言われたり、いろいろしたけれど、全て私の幸せを願っていただけだった。母からの祝福の言葉で、すべて氷解した。
そして父の挨拶。父は昔から、娘ふたりだから「結婚式で挨拶しなくて済む!」と言っていたらしいのだけど、姉の相手は父親が亡くなっていて、私の相手は離婚で父親が不在だったため、2度とも父が挨拶をすることになった。父、残念! でも、本望でしょう!!
新婦の手紙から両親への花束贈呈、父親の挨拶。ここまでがクライマックスのはずだった。だが、私の予想に反して、この先にクライマックスが来るのだった。

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