キス・アンド・クライ(1)~ Midori Ito, 5.9

一九八八年、カルガリー五輪。女子フィギアスケート、シングル・フリー。
「ミドリ・イトウ、ファイブ・ポイント・ナイン」(Midori Ito, 5.9)
フルマークに最も近いジャッジが告げられたとき、スタンディングオベーションに湧きたっていた観客は、よりいっそうの拍手と歓声をあげた。
リンクには次々と花束が投げ込まれた。
その花束を両腕いっぱいに抱えた高校三年生の女子スケーターは、顔をくしゃくしゃにして泣いた。
果敢に挑んだジャンプは破天荒だった。
自分が決めたことには全力を尽くすこと、失敗しても、それでもなお立ち上がること。
その強い思いを込めて四分間に五種類の三回転ジャンプを七回飛ぶ。
右足はフリーレッグの左足の膝上で巻き足になる。
その独特のジャンプを決めるたび、いかにも嬉しそうに満面に笑顔があふれる。
クライマックスの高速スピンに入る直前には、拳を握りしめて二度、三度、強く高く掲げ、前代未聞のガッツポーズをやってみせた。
完璧な演技だった。
ものすごいプログラムだった。
いかにもひたむきであり、純粋であり、誰よりも美しく、そのジャンプは泣けるくらい高い。
「自分が決めたことには全力を尽くすこと」
「失敗しても、それでもなお立ち上がること」
伊藤みどり。
フィギアスケートの歴史を変えたスケーターに、僕は何度も勇気を与えられた。そして、同じ時代、同じ時間を活きてきたことを今もなお誇りに思う。
※当時のジャッジは6.0満点の減点法だった。
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