気づかされる

今でこそ、自分の長所のひとつにコミュニケーション能力を挙げられる。
まぁ、社会人の方々にしてみれば、生意気な話だけど。それでも、コミュニケーション能力に関しては、なかなか良いものを持っていると豪語できる。
だが、こんな僕は小学校の頃は不登校だった。児童相談所では、社会性の欠損、つまりコミュニケーション能力が著しく低いと診断されたほど。
そんな僕は、「人見知りです」と自己紹介すると「なに意味不明なこと言ってんの?」と言われるほどに成長できた。
コミュニケーション能力の著しい成長は大学4年間にある。この内容は次回のstoryに書こうかな。
僕のコミュニケーション能力の成長の発端は小学校時代にある。コミュニケーション能力ゼロだった僕にどのようにコミュニケーション能力の種が宿ったのか、拙い文章の物語で誰かに届いたら嬉しく思う。

入学早々、不登校に。

保育園から小学校に入って、友達がすぐに出来た。たぶん、人気者っていっても過言じゃないくらいに、クラスに馴染んでいたと思う。
それでも僕は不登校になった。
きっかけは確か、兄弟喧嘩だったと思う。喧嘩の理由は覚えていないが、「あんな兄がいる学校には行きたくない」と言ったのはぼんやり覚えている。体は健康なわけで、つまりはずる休み。
次の日、ずる休みに味を占めて、またずるしようとする。子供だからね。すると兄は、そんな生意気な僕を許せなかったのだろう、力づくで学校に行かせようとする。そしてまた喧嘩。そしてまた、「あんな兄がいる学校には行きたくない」が始まる。
それから、不登校が始まった。あの頃の僕は本当になにを考えていたんだろう。母が仕事に行ったら、窓をカーテンで締め切り、部屋を暗くする。自分の勉強机の下に潜り込んで一日中テレビを観る。ワクワクさんの番組を見て、マネをしてみる。手持ち無沙汰になれば、テレビショッピングを見まくる。どんなに暇でも家から一歩も出ない。毎日、ワクワクさんの番組が終わったら、暇すぎて家の中をウロウロ。
精神的に病んでいたなんてことは決してない。あの頃の僕には悩みなんてなかったし、学校でいじめられたなんていう経験もない。
なのに不登校。

客観視すると、本当に気持ち悪い。

そんな毎日、ニートよりも暇な毎日を過ごしていた僕にも唯一の楽しみがあった。
毎日、担任の先生が昼休みに友達を僕の家に連れてきてくれた。
今になって考えれば、先生は学校側に無許可で行ったことだったと思う。
そうして先生がたまに言う。
「午後から学校くるなら、お前が好きなパソコンの勉強にするから学校行こうよ!」
その頃の僕はパソコンに詳しくなかったが、好きだったゆえに、その餌に釣られてまんまと学校に行く。学校に行けば友達が、話しかけてくれる。ワクワクさんのマネで作ったものを披露したり、友達ひ作り方を教えたり。
こうしてまず、人と会話するというコミュニケーションの初歩の初歩が身についたのかもしれない。インプットしたものをアウトプットするという行為は、意外に良い練習になるんだね。

学年があがっても...

不登校が完全に解消することはなかった。そんなある朝、校長先生が家に来て

「学校、行こうよ!」

なぜかその頃、校長先生が大好きだった僕は、校長先生の車に飛び乗り、校長室でたった二人の授業が始まった。その頃は「休日」を「やすみ」と大真面目に読んでいるほど、基礎知識が身についていなかったな。
それから毎日、校長室での勉強が始まった。その勉強の合間を縫って行っていたのが、絵描きだ。ウルトラマンが大好きだった僕は、オリジナルのウルトラマンの話を小さなノートに絵を描いて、自分の頭の中の情景をアウトプットしていた。なぜか文章は書かないスタイルを貫いていたので、絵だけでストーリーを伝えようとしていた経験は、現在にも活きている。
絵の才能はないが、この経験はプレゼンテーションで活きている。文章を極力少なくして、視覚に訴えるべきプレゼンテーションは、絵を言葉で伝える。
僕も校長にノートを見せて、ウルトラマンの状況を知らず知らずプレゼンテーションしていた。
「百聞は一見にしかず」は、まったくその通り。ものを見せて言葉で補うというスタイルでプレゼンテーションをする、つまり聴き手とコミュニケーションすることが、お互いにストレスがないだろう。

アイディアのアウトプット

校長先生は忙しい。僕の相手ばかりしてられない。
そんな時僕は、自由工作の時間を貰ってダンボールや何やらで自分の頭の中にある工作のアイディアを形にしていった。

思いついたら、まず作ってみる。

この姿勢は、あの工作の時間によって得られた。思考やアイディアを整理するには、やはり考えているだけではなく、実際に紙に書き出したり、作ったりしなければ難しいだろう。
それをしないで済ませられる人は紛れもなく天才と言っていいだろう。


この場を借りて

担任だった先生と、校長先生に感謝の意を述べたい。あの経験がなければ、今のように人とコミュニケーションすることを真剣に考える思考回路は身につかなかっただろうと思う。
なにより、先生方は僕の不登校を責めることも叱咤することもなく、ただ一緒に時間を過ごして、僕を成長させてくれました。本当にありがとうございました。

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