守られる 〜僕が母の愛を知るまでの道のり〜

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はじめに

母さん、ごめんなさい。僕は最低の息子です。僕はあなたを未だに許せずにいます。


初めて母を…

中学2年から、僕と母の間には奇妙で大切な距離ができた。

物心ついた頃から僕には父親がいなく、母子家庭だった。確か、僕が保育園の頃かな。僕の両親は離婚した。当時はわけもわからずただ母親が

「今日から新しい名字になるからね!」

と明るく振舞っていたことを覚えている。当時僕は、新しい名字になることに新鮮さしか感じていなかった。
もともと僕には父親と過ごした記憶がない。離婚せずとも別居はしていたことに、成長してから気づいた。
親と呼べる存在が母しかいなかった僕にとって、父親がいない家庭は普通でしかなかった。

それから僕は、母と不登校を乗り越えた。母は、なぜ学校に行かない僕を咎めなかったのか。その答えは未だにわからないでいる。
僕はそれまでいろんな苦難を母と乗り越えてきたと思う。母は僕といろんなことに共闘してくれたのだろう。

でも中学二年。僕は母を頼れなくなった。それまでは、母と共に苦難を乗り越えてきた。それはきっと母が導いてくれて、それに着いていけば大丈夫と思ってあたからだろう。
でも、僕は初めて母の導きに背いた。良くも悪くもプライドが芽生え、自分のことは自分で決めたかった。
簡単に言えば、自由になりたかった。


中学の苦悩

中学校に入学して、僕はこれといって入りたい部活動がなかった。そこで、ある先輩から
「マネージャーでいいから入部してくれ」
と言われ、特になにも考えず相撲部に入部した。

入部してからの8ヶ月くらいは楽しかった。自分が雑用することで、誰かの役に立っているのが猛烈に嬉しかった。
その日々が終わったのはある日、選手の一人がケガをした時だった。監督に言われた。

「団体戦に出るにはどうしてもあと一人必要なんだ!頼む!選手として大会に参加してくれ!」

その頃嫌われる勇気、断る勇気がなかった僕は、渋々承諾してしまった。

相撲は見た目以上に痛い。大会会場全体に、選手同士の頭と頭がぶつかる音が響きわたるくらいに激しいものである。
なおかつ、自分より倍以上の体躯をもつ相手にわざわざ吹き飛ばされるためにぶつかっていくのは怖くて仕方なかった。
でも、それが選手のケガが治るまでだと思えば耐えられた。
しかし、選手のケガが治っても僕はマネージャーに戻れなかった。いつまでも選手として扱われ、あれだけ充実感を得ていた部活動が嫌になった。
中学二年になった頃には僕は、部活動を無断欠席するようになった。いわゆる帰宅部の人間が羨ましいほどに部活動を嫌った。
同じ部活の同級生は、僕に呆れていた。僕は余計に部活とその部員を避けるようになった。

その頃同時に、僕は母に塾に通わされるようになった。当時の人見知りだった僕には、周りに味方となる知人がいないことは拷問と言えるほどの地獄で、毎回塾に行く途中は緊張していた。

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