45歳専業主婦、何が出来る?なんて関係ない!でも、好きなことで起業する!


自分の好きなことを、好きな時間に出来る仕事を起業


私は今、起業して、パステルアートインストラクターの養成、そして、自宅で独学で学べるパステルアートのテキスト販売をしながら、タロットによるコーチングコーチとしての活動を楽しんでいます。

※パステルアートとは?→  

好きなことを好きな時間に出来る♪ 
これは、私が仕事をする上で譲れないことだったのですが、
でも実は、私は絵で仕事になるなんて、まったく考えてもいませんでした。
それは、私は絵を描くのは好きでしたが、決して得意なわけではなかったから。

でも、後になってから、逆に、得意でなかったからこそ、
今の仕事を見つけることが出来た…
とも言えることが分かったのですが・・・。



それは、『寂しい!寂しい!』から始まった…


ほんの数年前、私は、2人の息子を育てながら、

旦那さんのお給料から頂く生活費の一部を趣味の生け花とエレクトーンのお教室代にあて、たまにママ友に誘われてランチに行く、外から見たら、呑気そうに幸せそうに見える専業主婦をしていました。

当時私は、私の母が専業主婦で一切働いたことのない人だったので、私もそんな風に生きるものだ!と思っていて、働く気なんて、まったくありませんでしたし、それを叶えてくれる旦那さんもおりました。

ところが、子育ても楽になり、自分の時間が出来るようになったころ…
丁度、次男が小学校の6年生になろうかというころに、突然『この子も、もうすぐ親離れしてしまうんだろうな~』という想いがどんどん恐怖となって膨らんできて、とても気持ちが不安定になり始めたのです。

それは、先に中学生になった長男が、部活動を始めるとともに、どんどん親離れして、遊びはもちろん親と行動をすることもなくなり、家では食べる・お風呂・寝るだけで、接点が急に減ってしまったということがあったからでもありました。

そのころ次男は、テレビを見るときは、いつも私の膝に乗っていたのですが、
'この子も中学に入ってしまったら、長男と同じように私のところから離れていってしまうのだろうなあ~’と近い未来のイメージをすると、自分はもうお役御免の歯車のひとつになったような気持ちになり、一人でいると自然と涙がポロポロと落ちてしまうようになりました。

鳥の巣症候群だったのだと思います。


友達がいないわけじゃなかったです。ただ、ショッピング、美味しいもの、旅行に行った話、子どもたちの話などお母さん方がよくしそうな話って、正直私には興味があまりなくて、その場の空気を読んで、その場の雰囲気に合わせてのお付き合いもできるけど、でもそれって私のやりたいことじゃない!心は全然喜んでいない!なんだか、私だけみんなと違う?そんな友達だけでいいの?それって友達?
そんなふうに悶々としていました。

そんな時、「学生時代の友達はいいよね~。この歳になると親友ってそう簡単にできないけど、学生時代に育てた友情はいつまでたっても続くよね~…」なんて、
ことを人から言われて、

え?私の学生時代の親友って、みんな結婚しちゃって遠くに引っ越しちゃったじゃない!めったに会えないじゃない!私って、親友って呼べる人は殆どいないに等しいし、今更この歳で親友なんて出来るもんじゃないなんて…私の将来は孤独街道まっしぐら???

私は子育てが終わったら、誰と楽しいことが出来るんだろう?
平日、どうやって時間を過ごしたらいいんだろう?

って、将来を考えれば考えるほど、孤独な自分ばかりイメージされて、心の中はいつも『寂しい!寂しい!』って叫んでおりました。


「天使さんにお願いしてごらん」え?天使?


そんな風に、寂しさを感じながらも、誰にも相談出来ずにいたころ、
メキシコに行ったことがあるという共通のことで、仲良くなったママ友さん2人がおりました。お一人は中国茶の先生として、もうお一人はチャネラーさんとしてヒーリングのお仕事をされ、とても生き生き自分の人生を楽しまれている方たちでした。

「いいなぁ~。そんな風に人に役立つスキルでお仕事を楽しめて・・・私も何かそんな風に自分の得意なことで人の役に立ちたいけど、特にできることもないし、何より、自分のやりたいことが分からない。」そして「どうやったら、あなたたちみたいになれるの?」って聞いたのです。

すると、お茶の先生をしているママ友さんが、「天使でも守護神様でもなんでもいいから、『私に分かる形で私が喜びと出来るお仕事を私に分からせて下さい!』って、頼んでごらん!」って言ったのです。真剣な顔をして…

え?天使?守護神さま?
そんなの私には、見えないし、いるかどうかわからないし、もしいるとしても、天使とかの声を聞けないし…???何を真剣な顔して言っているの?

で、もう一人のママ友も「そうそう!それがいい!」って、やっぱり真剣に言ってくれるのです。どうもからかわれているわけではなさそう…

で、ちょっと怪しげだけど、ツボを買ったり、何かの会に入会させられるわけじゃないし、ただなんだから、試してみよう!って思って、

その夜に、真剣にお願いしてみたのです。
『天使さん、私に分かる形で私が喜びとできるお仕事を私に分からせて下さい!』

って手を合わせてね。

すると…


ちょっとしたラッキーが増え始めたのです。


それは、お天気に恵まれる♪とか、昔懐かしい友人からランチのお誘いを受ける♪とか、

電車で目の前の席がすぐ空くようになった♪とか小さなこと。


でも、なんとなく嬉しかったので、その度に、

「天使さん、ありがとう♡」って、空に向かって小さな声で言っていました。

もちろん見えていたわけではありません。ただ、そう言っていれば、ラッキーがずっと続く気がしていていましたし、もっと大きなラッキーがやってくるように思えたのです。


でも、今思うと、天使さんが何かしてくれていた訳ではなかったのだろうと思います。


天使さんという何かステキな存在が自分の味方になってくれたんだから、

“何かいいことが起こるかもしれない、だから、注意深くそれに気付こう!”

と、私の脳がいいこと探しを意識して、それらをひとつひとつ認識しだしていたのだったと思います。


そんな感じで、少し気持ちが前に向きはじめ、

また、目に見えない存在の力が効いているかも…という思いが、

“ふと思ったことをやってみよう!”という気持ちにさせてくれました。

そんな時に、中国茶の先生をしているママ友に[エンジェルの祭典]のようなものに誘われたのです。

ところがその祭典に行ってみると、

え?みんな江原啓之さん?って思うような私の目には見えないものを語るような人がいっぱい。

未来の話をしたり、とても神々しい方の声を伝えてくれる方がいたり、

軽いカルチャーショックを受けながら、やや拒否反応を感じながら、でも、その不思議な力とか、天使とか存在したら嬉しいな~♪とも思っている自分がいました。

でも、心の声は、そんな曖昧なものは、私に向いていない…

それだけは、ちゃんと感じていました。

それは今思うと、自分には出来ない…その能力が無い、、、という劣等感だったのかもしれません。


ただ、その祭典の帰り道には、“もう何かを始めなくてはいけない!” という思いが強く出て来て、

その祭典で渡されたパンフやチラシの束を必死で読み、その中から何かを学ぼう!と決めていました。


そして、その中から、精神科の治療にも使われるという、なんだかとっても現実的な言葉も付いている

『ヒプノセラピー』(催眠療法)というのを学ぶことにしたのです。


ところが、これがとっても左脳が優位な私に向いていない…

皆が見える!見える!という自分の過去世やら、インナーチャイルドが見えないんですよ!

ある人は、映画館で映画を見てるように見えるって言うし、ある人は、始めたとたん「私、万里の長城みたいなところで、剣を持って立ってるんですけどぉーーー!」って言い出すし…

え?私は、、、まぶたの裏に、まぶたしか見えない…?!みたいな状態で…
でも、ある日、そのヒプノの講座で、講師の先生と組んで練習することになったとき、先生の手前、

「私、見えないんですけど…」って言えなくて、しょうがなくて見えるふりをして、デタラメに
自分の過去世の話を即興で作り出して、その場をやり過ごしたんです。


ところが、驚いたことに、そのデタラメの作り話が、現実を変えてしまったの???と思うようなことが起きたのです。

その作り話は、こんな話でした・・・

「私が降り立った過去は、中世のヨーロッパを思わせる雰囲気で、そこは戦場と化していました。私は、その戦場で、見張りをしている兵士で、その前線では、今世で私の次男として生まれてきた息子が、私の友という関係性の中で、命をかけて戦っていたのです。そして、その戦いの成り行きを見ていた私は、この戦いに勝ち目がないことが分かり、真っ先に逃げ出したのでした。そして、その友であった今世の息子は、あえなく戦死しまうのです。そして、その後、生きながらえた私は、友を助けようともせず死なせてしまったことに罪悪感を持ち、自分の卑怯さを悔みながら、人生を終えるのです。

 そして、その後悔の人生を終えた私は、あの世で、その友との再会をし、自分の卑怯さを詫びるのです。すると、その友は、私に言うのです。『君が助かって僕はとても嬉しかったよ。君を助けられたのだから、命をかけて戦った甲斐があった』と。」

私が即興で作ったデタラメの過去世の話は、こんな話でした。そして、自分で作っておきながら、最後の今世で息子である友の言葉を自分で言いながら、号泣していました。内心、、、自分で作って自分で泣いてどうする?と可笑しい気持ちを抱えながら…(笑)

さて、このデタラメ話に登場させてしまった私の息子ですが、その当時、本人に悪気はないのですが、体格がよくやんちゃだったので、ちょこちょこ問題を起こしておりました。私は、自分の人生の中で、こんなに人さまに謝ったことってあったかしら?と思うほど、その息子のことで謝罪にいくことがあり、私の両親からも色々と心配されていました。

でも、このデタラメの作り話で号泣した私は、不思議なことに、過去世で見捨てた友が今世でちょっと私に迷惑をかけても、そのくらいどうってことない!と思うようになっていました。だって、見捨ててしまったことを責めなかった彼の愛情に比べたら、謝罪するだなんて、ちっぽけなことです。いくらだって、謝りますよ!という気になっていたのです。・・・自分で作った作り話だったのに。。。

ところが、そう私が心を決めると、今までクレームを受けることだらけだった息子の行動が、感謝されるようになったのです。いじめられているの助けてもらったとか、傘を貸してもらったとか、体の小さな子の重たい荷物を持ってくれたとか…。

たまたま偶然だったのかもしれませんが、そんな風に現実は変わってしまったのでした。



そして、その時に、私は気づいたのです。過去世が見えるとか見えないとかが大事なのではない!今起こっている事象に、どんな意味を意味付けして、そこから何を学び、何を決め、行動するのか?!それが、とても大事なことなんだ!ということに。

そして、そこから、心理学や潜在意識に興味を持ち始めたのでした。






著者の吉兼 ほほなさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。