世間や周りはなんだかんだ言うけれど、わたしは休学して良かったよ
法政大学国際文化学部3年生を休学しています。
年明けに書いた「休学中の大学生が、縁もゆかりもない地方都市でバーテンダーをしてみた話」を含めもっと俯瞰して、今回はわたしの休学の話を書きます。
本当であれば休学の話って、ぴったり1年間の終わった復学のタイミング(4月)に書くべきなのですが。
ちょうど去年の誕生日(2月5日)からわたしの休学デイズは動き始めていたなあ...と思い返し、先日1年経ったので、それを節目にまとめることにしました。
休学しようか悩んでいる大学生や、昨今の休学持ち上げムードに猜疑的な皆様に届けばいいなと思います。
世間や周りはなんだかんだ言うけれど、わたしは休学して良かったよ。
わたしの休学経緯
2011年(大学1年生)
「休学」というワードを知ったのは大学に入る少し前のこと。
高校時代の先輩が休学する旨を知り、そんなことがあるのかーと驚いたのでした。
もちろん当時は、自分のことになるなど思いも寄りません。
高校時代の先輩が休学する旨を知り、そんなことがあるのかーと驚いたのでした。
もちろん当時は、自分のことになるなど思いも寄りません。
2011年春。震災の影響で入学が5月にずれ込んだため、何もやることのない空白の4月が生まれました。
ボランティアへ赴く勇気のなかったわたしは、その隙間を埋めるために、なんとなくイベントサークルに加入します。
入ってみたら、そこにいるのは留学やら海外インターンやら、もはや珍しくない「世界一周」の先駆けなど、海外・休学志向に富んだ学生だらけ。
そうしていとも簡単に感化されたわたしは、御多分に漏れず「休学して海外旅行しちゃおっかなー」と思ったのですが、
同時期に世界一周・休学バッシングも出てきた頃(笑)で、どうするか悩むようになりました。
ボランティアへ赴く勇気のなかったわたしは、その隙間を埋めるために、なんとなくイベントサークルに加入します。
入ってみたら、そこにいるのは留学やら海外インターンやら、もはや珍しくない「世界一周」の先駆けなど、海外・休学志向に富んだ学生だらけ。
そうしていとも簡単に感化されたわたしは、御多分に漏れず「休学して海外旅行しちゃおっかなー」と思ったのですが、
同時期に世界一周・休学バッシングも出てきた頃(笑)で、どうするか悩むようになりました。
2012年(大学2年生)
大学1年の夏からインターン生として働いている、LIGというWEB制作会社があります。
大学2年になりたての4月、思い切ってその会社の社長に休学について相談してみました。そうしたら、
「休学して旅行っていうのはさ、国内じゃだめなの?」
などと。
「これから温泉の自社メディアを作るから、そのひとつのコンテンツで全国温泉巡り的なやつをやれば面白いんじゃないか」という提案でした。
当時のわたしはなぜか狂ったように旅行いきたいとばかり思っていたので、二つ返事で快諾。
まさに超展開。いやはや、何事も言ってみるものです。
大学2年になりたての4月、思い切ってその会社の社長に休学について相談してみました。そうしたら、
「休学して旅行っていうのはさ、国内じゃだめなの?」
などと。
「これから温泉の自社メディアを作るから、そのひとつのコンテンツで全国温泉巡り的なやつをやれば面白いんじゃないか」という提案でした。
当時のわたしはなぜか狂ったように旅行いきたいとばかり思っていたので、二つ返事で快諾。
まさに超展開。いやはや、何事も言ってみるものです。
2012年の後半は、学部のカリキュラムでスイス留学へ行っていました。
「全員が大学2年の後期に留学しなくちゃいけない」という特異な学部なのです。
単位互換の留学で、休学とは関係がありません。
羨ましがられたりもしますが、実際は勉強も生活も緩くてモチベーションもなく、なんだか退屈な日々でした。
そんなこともあって「長い間海外いるのしばらくいいや」となってししまい、1年間休学して温泉巡ってから世界一周へ行く…という夢はあっけなく散ります。
日本一周だけして半年で復学するか、東京恋しいし。そうしようそうしよう、と。
「全員が大学2年の後期に留学しなくちゃいけない」という特異な学部なのです。
単位互換の留学で、休学とは関係がありません。
羨ましがられたりもしますが、実際は勉強も生活も緩くてモチベーションもなく、なんだか退屈な日々でした。
そんなこともあって「長い間海外いるのしばらくいいや」となってししまい、1年間休学して温泉巡ってから世界一周へ行く…という夢はあっけなく散ります。
日本一周だけして半年で復学するか、東京恋しいし。そうしようそうしよう、と。
2013年1月(大学2年生春休み)
年末にスイスから帰還し、いよいよ温泉企画が本格的に動き出します。
わたしはひとまず移動手段である車を操れるようになるべく、茨城のド田舎教習所へ合宿免許を取りに出掛けました。
無事免許を取得した後は、もうLIGに通い詰め。
企画のデザインやルール、スケジュールなど、いろいろなことを決めていきます。
2013年2月(大学2年生春休み)
クラウドファンディングで旅資金を募ることになったわたしは、「20歳の誕生日が過ぎてから出して欲しい」と強くお願いしていました。
多額のお金を伴う企画なので、せめて責任を負える20代になってから世間に声をあげたいと考えていたのです。
2013年2月5日。20歳の誕生日に、わたしのクラウドファンディングは始まりました。
「まあしかし、別に有名でも可愛くも逸材でもないわたしの旅なんて、誰が支援してくれるだろうか…」
と自分の企画にさえ自信がなかったのですが、結果、驚く程の支援が集まりました。ありがたいことです、本当に。
※当時のプロジェクトはこちら。
多額のお金を伴う企画なので、せめて責任を負える20代になってから世間に声をあげたいと考えていたのです。
2013年2月5日。20歳の誕生日に、わたしのクラウドファンディングは始まりました。
「まあしかし、別に有名でも可愛くも逸材でもないわたしの旅なんて、誰が支援してくれるだろうか…」
と自分の企画にさえ自信がなかったのですが、結果、驚く程の支援が集まりました。ありがたいことです、本当に。
※当時のプロジェクトはこちら。
2013年3月〜8月(大学3年休学中)
というわけで、全国温泉巡りの旅が始まりました。
ここを詳細に書くと本当に果てしないので、いくつかURLを張っておきます。
:たかちの湯巡り、日本一周 | 温泉JAPAN
:【感謝】183日、300の温泉取材、25800kmの旅を終えて
:[感想] 183日・25800kmの旅から帰還!300の温泉取材を終えて思うこと。
今でこそ自分でも信じられませんが、本当に車中泊で半年間温泉の取材しかしませんでした。
当初の「温泉のレポートもしながら全国旅行できるのって最高だな〜」という淡い想いはどこへやら、超絶ハードモードな日々であったことだけをお伝えしておきます。
2013年9月(復学or休学延長)
半年間の休学を終え、復学するつもりでしたが...
以前storys.jpに書いた通り、休学を延ばし、愛媛県松山市でバーテンダーをすることにしました。
:「休学中の大学生が、縁もゆかりもない地方都市でバーテンダーをしてみた話」
これもまた長い話になるので、経緯や実態は上記を読んで頂ければ。
2014年1月〜現在(まだ休学中)
3ヶ月間の松山滞在を終え、東京に戻ってきました。
現在は全国温泉巡りをプロデュースしてくれた、株式会社LIGで働いています。
毎日朝から晩まで、いわゆる社員さんと同じタイムスケジュールで。
松山から帰って来る時、復学までの短い間をどうしようか決めかねていました。
ひとまず「帰るので新年会とか誘ってください〜」と伝えたところ、「復学までがっつり一緒に働こう」と言ってくださったのです。
その時ちょうどBLOGOSの編集スタッフに応募しようと思っていたところでした。
少しだけ悩んだけれど、LIGで働く理由はひとつだな、と。
「期待してくれている大人に応えたいな」と。
大学1年の夏にするりと潜入してみたLIGで、働き始めて2年半になります。
わたしがスイスへ行ったり温泉へ行ったりして細切れにいなくなる間に、従業員は7,8倍に増え、オフィスはどーんと大きくなりました。
曲がりなりにも、ひとつの会社が成長していく姿を、見て来れたんだなあと思います。
働き尽くしたわたしの1年間
わたしの休学経緯は以上です。
海外旅行にでも行こうかなーという気持ちはどこへやら、一言で言えば「働いた」1年間でした。
全国温泉巡りで、旅するライター(いわゆるノマドワーカー)として。
愛媛県松山市で、地方のバーテンダーとして。
株式会社LIGで、東京で切磋琢磨するWEBベンチャーの社員として。
そもそも休学して働く、というのは本末転倒なことだと思っています。
温泉だって、わたしが「お金なくても時間があって動ける学生」だから任せてくれたわけで。
よくわたしは自分のやってきたことを大人の真似事といって自嘲します。
いつだってまだ先にはキャンパスライフが待っていて、社会人のように自分で食い扶持を稼がなきゃ詰む、なんてことがありません。
父の扶養家族だし、年金も保険もまだ払わなくていいし、奨学金は返済どころかまだまだ貰い途中です。
1年間ずーっと働いてみたけど、お金に余裕なんて全くありませんでした。
日々をどうにか生きていくことで精一杯でした。今はそんなことありませんが…。
「報酬は経験で」。
温泉のときも松山のときも、わたしのやりたいことを応援してくれた大人の方々が、口にした言葉です。
働いたことへの対価をもっと要求しなよ、と周りには何度も言われました。
だけど、「報酬は経験で」と言って頷けるのは、今しかないわけです。
大人の生活にはお金や信頼や細々したいろいろが必要だと思うのですが、わたしは学生で、それらがなくても大丈夫だったので。
休学の経験は「憧れをつぶす」ことでした
「旅ライター」「ノマドワーカー」「地方で働く」「WEBベンチャー」という賛否両論ホットワードを総嘗めした1年間。
経験の先に大人のしんどい部分がもっとあることを大前提に、大人の真似事をしているという気持ちを元に。
これらは楽しいか楽しくないか、向いているか向いていないか、やりたいかやりたくないか、という判断をしました。
憧れを抱いたままだったら、これから社会に出たとき、憧れこじらせて超コンプレックスになってたかもなあと思います。
友人の中には、「1年間アメリカ留学して英語を話せるようにはなったけど、結局東京が好きだし海外で働きたいとは思わないし、20代の貴重な1年間を費やすほどでもなかったのかもしれない」とこぼす人もいます。
でもわたしは、「英語を話せる」「でも海外で働きたくない」という2点を掴んだだけでも十分じゃないか、と思うのです。
もしその友人が、アメリカ留学や英語や海外で働くことへの憧れを抱いたままだったら、めちゃくちゃ不幸だったんじゃないかなと。
反対に「留学して語学身につけたから将来絶対外資で働いて白人と結婚するぞー!」的な、憧れを肥やした休学生も多いと思います。
「休学してまでその経験する必要あるの?」
結局休学の云々については、そこが論点ですよね。
わたしは「憧れをつぶす」のも「憧れを肥やす」のも休学ありきだなあと考えています。
違う街、違う国で、違う時間とお金の使い方で、違う生き方をする。
そういう今の自分と全く異なる姿に憧れているのが、休学したい学生の大半なのでは。
そしたらもう、とことん憧れつぶしに、肥やしにかかったらいいと思うんです。
やってみたら違うことってたくさんあるなーって、やってみないと分からないから。
やってみたらめっちゃ楽しかったなーって、憧れへの最短距離だと思うから。
反対に、在学中に「憧れをつぶす」「憧れを肥やす」ことが出来れば休学の必要はないと思います。
住んでいる街と工夫して捻出した時間とお金で、賄えるのであれば。
とは言え、この1年間の経験って本当に最高。
なんだかんだと小難しいことを言いながらも、
日本全国を巡って、温泉や地方観光事情にすこし理解が深まったこと、
また行きたい街や、また会いたい人が全国にいること、
愛媛県松山市に自分の社会ができて、また行きたいお店や、また会いたい人がそこにあること、
東京のWEBベンチャーで社会人っぽく働いてみていること、
そういう経験は1年間もし休学しなかったら何もなかったのだと思うと、恐ろしいわけです。
何も変わっていない気がするけど、何もかも変わった気がする。
いやあ、休学して良かったです。
復学したら周りみんな就活生で、ぼっち確定なんですけどね。
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