『1級身体障害者』が『自殺』をする為に全国を旅した話

1 / 7 ページ



プロローグ

これから、私が自殺未遂をした時の体験談をお話しようと思います。この物語はノンフィクションです。


私は腎臓が死亡してしまって、人工透析という延命治療を行っている1級身体障害者です。

週に三回、1日五時間の延命治療が必要で、その副作用として重度の睡眠時無呼吸症候群、欝病、強迫性障害(不潔恐怖症)、アトピーなどを発症して生活を送っていました。

私は自分が自殺未遂をするまで、

「死ぬ覚悟があれば何でも出来る。だから一時的な感情で自殺をするのは命の無駄使いだ。」

そう思って生きてきました。健常者の方も、このように考えている人は多いのではないでしょうか。

でも、現実は健常者が考えているほど甘くはないのです。


例えば、想像してみて下さい。


もしあなたが、一生40度の熱を出しているような状態で髪の毛も全て抜け落ちて生きていかなければいけない病気や身体障害を抱えたとする。それは、どうやっても逃げることが出来ない。

その治療(延命地長、実際に治るわけではなく、命をつなぎ止めるだけの措置)の苦しさは、インフルエンザや風邪にかかっているような苦しさがあり、毎日、クソ不味いゴムのようなビーフステーキを何枚も食べさせられるようなものだと想像してください。(※重度の病気にかかったことの無い人でも想像しやすそうな文章にしました。実際の苦しさとは異なります。)

あなたはそれでも、

「死ぬ覚悟を決めるより、そのまま生きていればいいことがあるさ。」

なんて思えるでしょうか。


少し大げさに書きましたが、自殺を決意する人の中にはこのように、

「今の苦しい状況を抜け出す方法が無い。だから、死のう。」

と考える人も少なくないのです。もちろん、自殺者の中には、まだ助かる方法があったのに、という方はニュースなどではなんとなく見かけます。でも、本当に追い詰められている人間というのはそんなところまで気を回す余裕なんてないのです。

私の場合も、

「逃げることの出来ない状況」

つまり、自分の身体障害を乗り越える気力が様々な理由からなくなったが為に、自殺を決意しました。

「自殺」というよりは、人工透析という辛い延命療法から抜け出したかった。だからそれを拒否したのです。

拒否する=死を意味する病気、それが「慢性腎不全」です。

でも私は、人工透析をしなくても1週間は生きていける。その間に今まで我慢して出来なかった「旅」をして、そのまま静かに死のうと思っていました。


自殺を決意した理由


自殺を決意した理由は、私は兄と母との3人暮らしなのですが、兄の精神疾患(統合失調症)が原因なのか仕事場で度々問題を起こし、安定した職業である国家公務員であったにも関わらず退職してしまいました。

そこまではよかったのですが、「病気」だからと遠慮して好きなようにさせていたら、仕事をしていないにも関わらず、ネットで知り合った女の人と、福岡と東京という遠距離恋愛。自分の退職金をどんどん使い潰していくのが分かっていましたし、それを注意しても激怒するだけなので、とにかく怒らせないように好きにさせるしかなかった。それが私には、おそらく母にも、ストレスでしかなかったのです。

母も、もともと寂しがり屋だったのか、兄がインターネットのチャットサイトを勧めてしまった為にそれにハマり、家事も疎かになっていきました。所謂インターネット依存という奴です。

兄の感情の落差が激しいこと、精神疾患というものを母には全く理解できず、いつも私が母の話し相手をするようになっていました。

兄からも病気の愚痴を聴き、母からも兄に対する愚痴を聞く。私は一級身体障害者です。愚痴を聞いてもらいたいのも、サポートを必要としているのも私のほうです。でも、それは叶いませんでした。


あとは病院でのこと。とにかく病院という場所は当たり外れが多いものなのです。


私が人工透析という延命治療を受けていた病院は潰れかけで、看護師も院長もピリピリしていた。そして、中の教育、職場環境も悪いために次々に看護師が辞め、人が足りていない状態でした。

その為、対応も凄く悪く、しょっちゅう針を刺すのを失敗するだとか技術面でも問題がありました。

それだけならまだ許せるのですが、臨床工学技士という医療機器を扱う人間が、

「俺、昔自分の学校のひ弱な奴を虐めていたんだ~」

と、患者の前で平気で話したり、自分の上司や同僚の悪口を患者の前で平気で口走る人もいました。


そのように従業員の教育のなっていない病院でした。


これは私の個人的な意見、というよりは良い病院の基準みたいな本を読み、的を射ているなと感じた意見なのですが、

「院長がちゃんと患者に毎日声かけをする」

ということが出来ている病院は、熱意のある病院だと思っています。


私が自殺未遂をする原因の一つにもなった病院は、声かけどころか、院長は常に論文を書いているだけ。現場は、医師をアルバイトとして雇ってその人に診断させているという状態。つまり、病院自体が病んでいたのです。そこの従業員も臨床工学技師長も院長も。

医療関係者には鬱病の人多いですからね。大変な仕事です。心中はお察しします。しかし、それだったらちゃんと休業していただきたいものです。医療関係者はちゃんと鬱病診断が出れば休むことが出来るのですから。


そこの病院で私は人工透析のせいで肌荒れが酷くなったときに、

「それ、気持ち悪いね。」

と言われました。本人は悪気がなかったのかもしれませんが、普通はサービス業でこんな不適切な言葉をかけるようなことはしません。普通なら、こういった部分もしっかりと教育を施し、患者によりそった看護をするもの。しかし、これも教育不足から起こったことでしょう。(看護師はサービス業ではない、と言い張る人がいますが、医療はサービス業の一種です。だからって患者が威張っていいわけではないですが、看護師の中には患者を「教育する」という言葉を使う人がいます。しかし看護師が患者を「教育する」という言葉を使うこと自体間違っています。)


・患者の前で上司や同僚の悪口を言う。

・病院の前で自分はイジメをやっていたと発言する。(それをカッコイイとまた思っているのが馬鹿らしいものです。そんな人間に、医療関係者に信頼を置くことは出来ません。)

・院長自身は論文などを書いてばかりで患者を見ない。

・針の刺しミスなどが多い(私の血管は一般の患者より特別に刺しやすい血管です。)


こういう病院に当たってしまったが為、私はずっと我慢してきましたが、ある日我慢の限界が来て、病院の院長に苦情を言いました。しかし、この病院事態が病んでいました。ということは院長が普通ではないのです。(精神疾患のようなものを抱えていたのだと思います。)そのような院長です。苦情を言われて揉めないわけがありません。そういった理由から私は院長と喧嘩をしてしまいました。

すると、私の体調は人工透析により色々な副作用が重なり、人工透析という延命治療を5時間は最低でもやっておかないと、治るはずの身体の悪い部分が治らない状況だった。それどころか益々身体の悪い部分が増える。そんな状態にあるにもかかわらず、その病院側から、

「じゃあ、この病院を出て行ってください。病院が決まるまでは居させてあげます。そのかわり、透析は4時間しかしません。」

と通告されました。もう、この病院はほんとうに腐っているのだなと思いましたね。院長も従業員も。

そこで、私は次の日には、自分がお世話になっている総合病院のかかりつけの医師に事情を伝えて、そこの病院で人工透析を行わせてもらうことになりました。


それ以来、私は医療従事者および病院不信に陥りました。


悪いことは続く


急に病院を移動してきたことも原因なのでしょうけれど、運の悪いことに、私の担当になった看護師は恐らく鬱病(キレやすいタイプの欝)を抱えているような看護師でした。

何かある度に細かい文句ばかりを言ってきます。例えば、

「布団は綺麗にたたんでから帰れ!!」

などと言われることが頻繁にありました。人工透析後の患者は疲れているのに、普通に歩くことすら困難なのに、

「キビキビ動け!!」

と罵られることもありました。私からすると、布団をたたむのは看護師の仕事じゃないの? という感じです。キビキビ動けるのは健康体の人だけでしょう、と。

(別の看護師さんから聞いところ、うるさい事で有名な人で、部署の異動願いもだしていたらしいです。つまり、透析病棟での仕事のやる気はこの時点で無いわけです。)


私は、最初は我慢していたけれど、だんだん病院に行くのも嫌になって、

「担当を変えてください。」

と申し出たところ、どうやらその看護師はその病棟内では結構な権力者だったらしく、

「あの患者は問題があるから、病院から追い出すべきだ!!」

と、その担当の看護師が言い出して、何故だか話が大きくなっていきました。私は揉めないように、相性が合わないようだから担当を変えてくれと、穏便に話を進めたはずですなのですけどね。

「担当を変える」

これが、その人のプライドを傷つけたのでしょう。

普通は私の言い分も聞くはずです。しかし、そこは総合病院だったのですが、何故か私を追い出す方向に話が進みだしました。


さすがに私も、前の病院でも嫌な思いをし、新しい病院でもそんな状態。仕事ではパワハラにあっていました。


そういった様々なことが重なったことがきっかけでストレスから欝を発症。精神的にも追い詰められて行きました。そしてある日、SNSのmixiにだけ、

「もう限界です。もう二度と人工透析はしたくありません。病院にも行きたくありません。生きていることも辛いです。死にたい。だから、私は死ぬ前に今から旅に出ます。」

というようなコメントを残し、人工透析の日にそれを無視して、携帯の電源を切り、そのまま車で九州から東の方に、つまり本州に旅に出ました。


これが、私の自殺未遂の旅の始まりです。


初めての旅


車で旅に出るというのは私にとって生まれて初めてのことでした。だから、死ぬ恐怖なんてものよりも、楽しい気持ちの方でいっぱいでした。もしかして自分は透析を受けなくても、死なないかもしれない、とすら思うような精神状態でした。普通の精神状態ではありませんね。そんな訳の分からない理由で治るはずの無い病気・障害であることは本人が一番身にしみて分かっていたことなのに。


普通の精神状態ではなかったから、このような思考に陥ってしまっていたのです。


九州からどんどん離れて行けば行くほど、

「やっと逃げることが出来た!」

という開放感でいっぱいでした。とにかく何もかもが新鮮で、楽しかったのです。

でも、なんでなんだろう。パーキングに止まって休憩をする度に涙が溢れてきました。悲しくなんてないのに。楽しい気持ちのはずなのに。それにも関わらず、涙が止まりませんでした。普段は泣くことの無い私。涙なんてとっくに枯れてしまっていたと思っていたのですが、私は心のどこかで今までの人生を振り返り、

「どうして自分はこんな仕打ちを受けなければいけないのか。俺が何をしたというんだ。」

という気持ちでいっぱいだったのかもしれません。


だから私は、突然このようなことを思いついたのです。

「そうだ、きっと大阪へでも行けばもっと気分が明るくなるはずだ!」

そう安易に考えて、私は大阪へと向かいました。勿論、車での移動です。


初の大阪


みんなの読んで良かった!

他49コメント
STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。