南十字星と白夜(1)


プロローグ

慶大に進学しても四回も留年して中退したのだから、その後の人生が大きく変わって当然だろうし、社会的にはかなりドロップアウトしたダメージに普通はそのとき気づくのだろうけれども、僕はそうでもなかった。破天荒だったからではないし、安穏としていたからでもなかった。世間知らずだったために、その先どうなっていくのかがよくわかっていなかったのだと思う。

十八歳と二十五歳の間。

大学二年生を二回、四年生を三回やって、七年通った上に中退、仏文を除籍。三田通りに面する「幻の門」と呼ばれる坂道の上から、僕は転がり落ちるように出てきた。そして、そこからの人生では、いくつも分岐点の時々に、その中途半端な学歴がボディブローのように効いてきた。何をするにしても劣等感がついてまわった。

二十代半ばの僕は、一時、心の底から自分が嫌いになった。

人とは違うという思いが顔をのぞかせることがあっても、それは虚無感に等しかった。ネガティブな声が聞こえてきて、いつも足を引っ張った。それでも一年もしない内に劇作家や脚本家や、時にはカーレーサーになることをアトランダムに思い描いて、いつかきっと成り上がれると自分勝手な生き方をしていたのだから、まったくロクなもんじゃない。

八十年代。

当時、有楽町は日劇がマリオンへと再生され、日比谷は旧映画街からモダンな商業ビル街へと変貌を遂げようとしていた。その近代的なビルとは対照的に、JRの架橋下の焼鳥屋は炭火の煙を周囲に拡散し薄暮の客を迎え入れていた。その雑多な風景が僕の原点となった。この間のことが僕を大きく変えていった。

僕は、成り上がるという漠然とした空想だけを思い描いた。 

生活の糧を得るために喫茶店のウエイターや紳士服店のビラ配りなどのアルバイトの面接を受けた。しかし、どこへ行っても不採用だった。唯一、日比谷のエスニックレストランだけが僕を皿洗いとして雇った。僕は痩せて骨ばった顔をしていてギラギラと人を睨みつけ、革ジャンパーを肩に引っ掛けて斜に構えていた。面接官が僕を不採用にした理由も今ならばうなずける。

親や兄弟にとんでもない迷惑と心配をかけた。

とんでもない独りよがりな考え方をしていたと思う。夢見ているだけでは実現しないのに、まるでシンデレラのストーリーのように幸運が向こうからやってくると思いこんでいた。その一方で、妬み、羨みに毒されていた。好き勝手に生きることと、好きなことを追い求めて生きることは違うことをわかっていなかった。

その頃、母が僕に言ったことは、

「あんた、いつまで東京にしがみつくつもりや。」

僕の二十歳台は混沌とした中で過ぎていった。

それでも、それから三十年以上、それなりに生きてきたのだから、少しは聞いてもらえる話もあるのかもしれない。自分を過小評価して、かなり安売りしてきたかもしれない。サラリーマンになった僕が今の会社の同僚に話をすると、健全なビジネスマンほど変わり者であり馬の骨のような奇妙な僕の存在を面白がって聞くのだから。

僕は五十六歳になった。

一昨年の夏、僕は右肺にガンが見つかった。幸いに早期発見だったものの、いつまでも生きていられるものでもないことを実感した。生きている内に一度はすべてを吐き出さなければ、二十歳の頃から引きずっているドロドロした感傷から抜け出せないだろうと思う。何十年も前のことだから語り始めれば長い話になるかもしれないし、それで時計の針が戻るわけでもない。

しかし、うまく自己評価ができれば、人生の最後を変えられる。

ただひとつ自負できることは、自分には決して嘘をついてこなかったということ。

だから、少しずつでも書いていくことに決めた。

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