中学時代のイジメ。君を恨んだときもあったけど、20年経った今でも君のことを覚えているのは、もう世界で私だけじゃないかと思う。不思議な縁の話。

聞こえませ〜〜ん」。
中学の、国語の授業中。Aが足を机の上に投げ出して、笑いながら言う。
私は先生に指名され、立って教科書を声に出して読まされていた。
教室内にくすくすと笑う声がさざなみのように広がる。

もっと〜大きな声じゃないと、全然きっこえませ〜ん」。

今度はくすくすじゃなく、どっと笑いが起きる。
私は、恥ずかしさと悔しさで、震えそうになるのをこらえて必死に教科書を読み終えた。
授業が終わったあと、わざわざ先生が私のところに来てくれて

「ごめんね。先生、知らなかったの。指名してごめんね」

と言った。知らなかったの、と先生が口に出したことで、
ああ私はイジメに合っているんだ、と再確認させられた。



始まりは何だったろう。
確か、中学1年生だった私には、当時好きな人がいた。1組のE君だ。E君とは小学校が一緒で、ずっと憧れていた。サッカー部でゴールキーパーをしている、背の高い、かっこいい男の子だった。私は10組だったので、ずいぶん離れてしまったけど、中学に上がっても変わらず好きだった。

私はバレンタインに、彼にチョコレートと、当時大好きだった『らんま1/2』の缶バッジをあげた。まだ13歳だったので、彼がそれを好きかどうかは関係なく、自分の好きなものをあげたのだ。(漫画が大好きで、当時将来の夢は漫画家だった!)

それを、クラスのAに知られ、馬鹿にされたのだったと思う。

Aは、フダ付きの悪だった。いわゆる「ヤンキー」と呼ばれてる人たち。学ランの上はショート丈で、ズボンはボンタンと呼ばれるワタリの広いズボンを履いていた。Aは言葉遣いも乱暴で、いつもポケットに手を突っ込んで、取り巻きを従えて歩いていた。先輩たちとばかりつるんでいて、シンナーとかもやってるって噂だった。

学校で誰もAに歯向かう人はいなかった。怖がられていた。
皆、目が合わないように避けて通るくらいだった。

ある日Aが、音楽の時間終わりに話しかけてきた。
「よぉ、おまえ1組のEに、チョコと"缶バッジ"あげたんだってぇ?なんかワケわかんねぇ漫画のバッジあげるとか、すんげーダセぇな!ハハ!」と笑われた。

私は、前日あげたばかりのものを、なんでAが知っているのかとびっくりし、混乱した。それでつい、「うるさい!ほっといてよ!!アンタに関係ないでしょ!」と怒鳴ってしまった・・・。

今まで笑ってたのに、一瞬で目つきを変えたAは
「あぁ?んだとコラ、おまぇ誰に口聞いてんだ??あぁ??」
と下からなめ回すように、私を睨みつけて来た。

私は口に出した瞬間から後悔していたが、もう言ってしまったものはしょうがない。
「うるさいうるさい!!!!」と言って、音楽室から教室に逃げ帰った。
やばい、取り返しのつかないことをしてしまった気がする・・・としばし呆然としてると、友達のOさんが近くに来て、

「トミー、ごめん・・・実は缶バッジの話、私がAにしちゃったんだよね・・・」
と言った。おまえか!!!!

しばらくして取り巻きと共に教室に帰ってきたAは、クラス全員に高らかに宣言した。
「おい、おまえら今からコイツ(私)と口聞いたら、ボコるかんな」。

そうしてクラス全員からのシカトが始まった。


無視、というのは結構きつい。
当時クラスは30人くらいいたが、一日中誰も口を聞いてくれなかった。もちろん大人になってもシカトは辛いけど、当時私はまだ13歳。怒り、悲しみ、辛さ、理不尽さ、そういうものに対処する術を全く持ちあわせていなかった。ただただ悔しく、毎時間授業が終わっては、別のクラスの友達のところに行って泣いていた。
Aが怖かったわけじゃない。Aの命令により、今まで仲良くしていたクラス全員が変わってしまったことの方が辛かった。総勢30名の裏切りだ。無視だけならまだ耐えられたかもしれない。でも、皆が皆、Aに同調するように、授業中に私を笑ったことがショックだった。


数日して、先生たちがクラスの異変に気づいた。担任から「ちょっと来なさい」と、先生しか入れない、畳の部屋に連れて行かれた。部屋では学年主任も待っていて、私は泣きながら事情を話した。

担任は「ちょっとAを呼んで来るから」と途中で席を立ち、すぐにAを連れて戻って来た。Aは意外にも大人しく私の向かいに正座し、主任が「謝りなさい」と言うと、素直に「すみませんでした」と言った。後で何かされるのかなと思ったが、私は事実が公になったことにほっとしていた。

その後はクラス替えなどがすぐあり、私はAと同じクラスになることはなかった。
騒動を知ってか知らずか、E君ともその後話すことはなかった。


実はその頃、私はテニス部でも「ハブ」にされていた。テニス部で、一学年上に姉のいる子がいて、テニス部内の9割の女子が、その子の「取り巻き」に属していた。姉がいるというだけで、Mちゃんは絶大な権力を持っていた。取り巻きは、総勢10人くらいだったろうか。なんとMちゃんの「送り迎え」までしていた。

馬鹿らしい。馬鹿らしくて「取り巻き」に属さないでいたら、ハブられた(笑)。

それもまた馬鹿らしいんだけど。

そしてその姉世代の先輩方にも、部活で相当シゴかれていた。1年生は廊下に一列に並ばされ、先輩方は1人1人の「気に入らないところ」を述べ、ラケットで叩きのめすという(笑)、恐ろしい部活だった。そしてコートでは、もちろんボールが身体のあちこちに当たった。先輩方、コントロールは抜群でした・・・。でも私は、部活を辞めることもなく、学校も休まず行き、無事中学を卒業した。


高校に入って少しした頃、ある日電話が鳴った。

中学の友達
あのさ、A覚えてる?・・・死んじゃったんだって。車の事故だって。お葬式があるんだけど・・・

Aは中学を卒業し、すぐ就職したらしい。大型トラックの仕事で、助手席に乗っていて事故に巻き込まれたそうだ。一瞬の出来事だったという。

私は複雑な気持ちを抱えたまま、元クラスメイトとして葬儀に出席した。

久しぶりに見たAは、遺影の中で笑っていた。でも、そんなAをまっすぐに見ることも彼を偲んで泣くこともなかった。良かった思い出なんてひとつもないからだ。

ただ、同じ年の、まだ16歳で知っている人が亡くなること自体初めてで、ショックを受けていた。まだ若いのに可哀想、という普通に同情する気持ちと、それでも彼は私をイジメたのだ、という思い出したくない思い出に最後まで複雑な気持ちでいた。


その後もなぜか人生の節々で、私は彼を思い出した。ハタチになって地元の成人式に出席した際、大人になったE君を見かけて、私はぺこりとお辞儀をした。E君も、頷いてくれた。

そのときも、なぜかAのことを思い出した。
中学の頃の自分を思い出すたびに、やはりAは私の頭の中に出てくるのだ。

あの頃の、ボンタンを履いた姿で。少しニヤけた顔で。もうあのときから25年近く経つ。親御さんはもちろんAを思い出さない日はないと思う。

ただ、自分たち以外に、Aを25年経った今でも思い出している人間がいるとは知らないだろう。

もうきっと、中学の誰も彼のことを思い出していないに違いない。彼の顔を覚えている人は、どのくらいいるだろうか?あのとき、自分がひどい目に合わせた女の子だけが、何十年経ったあとも、自分の顔を覚えていてくれる「唯一の人間」になるなんて、あのときのAは想像出来ていただろうか?


意外に思うかもしれないが、私はAから多くのことを学んだ気がしている。まだ10代の頃は、あのことは「思い出したくない出来事」「イジメられた記憶」だった。Aのことを恨んだこともあった。自分を可哀想に思っていた。でも20代になって、恋に仕事に忙しくしていると、恨みの気持ちはいつの間にか薄れていた。16歳で亡くなるなんて、無念だったろうなという気持ちに変わっていった。そして、自分の子供を持ち、Aの亡くなった年から倍生きて来た今、むしろAのことを懐かしく思い出している自分に気づくのだ。


Aは、25年かけて気持ちの移り変わりを教えてくれた。

ゆるす

という、とても大事なことを教えてくれたのだ。

今では、きっとあの出来事も、きっと必然だったのだと思えるようになった。今この瞬間も、彼の鮮明な笑顔をはっきりと思い出すことが出来る。25年を経て、亡くなった年のその倍の年月をかけて、彼が私に教え続けてくれたこと。私は不思議な縁を感じずにはいられない。

あの頃の彼に、もう一度だけ会ってみたい気さえするのだ。

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